天才による凡人のための短歌教室/木下龍也 著

歌人、木下龍也氏による短歌の始め方。

天才による凡人のための短歌教室

天才による凡人のための短歌教室

 

 少し前から短歌に興味を持っている。短歌に限らず、以前は詩というものを軽んじていて、言葉を幾らいじくり回しても現実の世界は何も変わらないし無駄な行為だとさえ思っていた。しかし小説だって同じこと。読了後何かの気持ちが心の中に留まってそれが心地よいという目的のために読んでいる。そういう感情を味わうために物語を消費している。
ネット上にある短歌を色々読んでみると、そこには共感であったり可笑しさであったり、はたまた感心することも多々ある。短い詩によって小さく心が動くことを味わうのも悪くない。

では、短歌ってどうやって作られるのか、その作法に規則はあるのか、そんなことを思って入門書を読んでみたいと思って手にとった一冊だった。
色々と面白い、というか勉強になることが書いてあった。第二章の「短歌をつくる」の項の見出しを拾うと

定形を守れ
助詞を抜くな
文字列をデザインせよ
たくさんつくれ

などとなっていて、歌人というのはそういうことに留意して歌を詠むのかと思ったりする。そして自分でも何か作ってみたくなる。昨日見た景色が57577の言葉で表現できないかと知らぬ間に考えてみたりしている。たぶんはまってるのだと思う。

ナナロク社というあまり知らない出版社からの刊行で、造本が文学フリマで売っている自費出版の書籍のような感じで可愛い本でした。それだから手にとったというのもあるかな。

上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!/上野千鶴子、田房永子 著

フェミニズムについての対談本。


昨今、フェミニズムという言葉を聞くことが多くなった。SNSでの論争とか。そういうものを見聞きして「ああそのとおりだな」と思うこともあるし「それは違うんじゃないでしょうか」と思うこともある。女性を差別しているつもりは毛頭ないけれど、だったらフェミニズムというものを自分は理解しているのかと自問すると、正直よく分かってない。なので入門編のような本書を読んでみた。

 

正直言うと本書を読んでもそれほど新しい知見はなかった。というのも、フェミニズムがかつては女性運動などと呼ばれた時代に母親がその周辺にいたから。母からは男も女も同権で男ができることを女もできるし、これからは女がやっていることを男もできるようにならなければいけないとよく言われて育った。

 

フェミニズムの起源から、時代の変遷と共にどのような考え方が生まれてきたか、そして現在は、みたいなことが読みたかった。フェミニズムといっても色んな考え方の派があったりすると思うがそういうものを。

 

しかし右翼思想の変遷とか左翼思想の歴史みたいなものも簡略にまとめられた書籍には簡単に巡り会えないので、ないものねだりをしても仕方ないのかという気もする。

邪宗門/高橋和巳 著

明治期に興ったある新興宗教の勃興を、戦前、戦中(開戦前夜)、そして戦後という時代の流れの中で描く小説。

邪宗門 上 (河出文庫)

邪宗門 上 (河出文庫)

  • 作者:高橋 和巳
  • 発売日: 2014/08/06
  • メディア: 文庫
 

 

邪宗門 下 (河出文庫)

邪宗門 下 (河出文庫)

  • 作者:高橋 和巳
  • 発売日: 2014/08/06
  • メディア: 文庫
 


恐らく人生の中で忘れずに記憶される小説のひとつになったと思う。

新興宗教とそこに集う人々を描いた群像劇と言えば簡略すぎるかもしれないが、概要としては間違っていないと思う。登場人物たちが、教団が国家に弾圧される中で日々の生活を倦み、そして信仰とは何なのかを自省したり討論したりする描写には、この思考も独白もすべてたった一人の作家の頭の中から生み出されたのかと思うと畏敬の念さえ湧く。裏表紙の宣伝文句には「日本が世界に誇る知識人による世界文学」とあるが決して大げさな文句ではないことが納得させられる。

どの登場人物も魅力的で、悪人は誰ひとりとしておらず、皆一様に時代の波に揉まれて苦しい生活をしながら宗教人、信徒として正しく生きようとしている。そういうのは時代が現代であっても信仰心こそ希薄なれど庶民に変わらぬ態度であるように思う。

作者のあとがきには

この作品の準備期間中、私は日本の現存の宗教団体の二三を遍歴し、その教団史を検討し、そこから若干のヒントを得た。とりわけ、背景として選んだ地理的環境と、二度にわたる弾圧という外枠は、多くの人々にとって、ああ、あれかと思われるだろう類似の場所および教団が実在する。

と書かれている。この「あれ」とは大本教だろう。京都の亀岡や綾部辺りから興った大本は国家から弾圧された歴史もあるし、教祖の出口王仁三郎が著名だ。Boredomesの山塚アイの家が大本の信者であったと聞いたことがあって少し興味があって調べたことがある。
本書に登場する教主も行徳仁二郎という名前であることから、よく分かる。が、あとがきにはモデルとなった教団と小説は別物だとも書かれている。

最終盤の展開はオウム真理教やハルマゲドンを渇望するキリスト教原理主義者を想像させる。しかし今2021年に読んだからそう思うのであって、この作品は60年代に書かれている。
作者は信仰宗教団体の成長を思考実験したものがこの小説であると書いているが、その思考実験ははっきりと未来を予見していたと言わざるを得ない。

もしこの頁を読んでいる人がいれば、私の拙い感想文など読まずに一度この本を手にとってみてほしい。冒頭から傑作であるということが分かるから。凄い小説を読んだ。

極私的2020ベスト

暮れも押しせまってきましたね

■映画
『シング・ストリート』

augtodec.hatenablog.com2016年の映画をビデオ観賞。
5、6月はコロナの非常事態下で仕事も無くアマプラで映画ばかり見ていたが、その中で一番好きな映画。高校生がバンドを組むという永遠不滅なお話だけれど、登場人物たちが皆愛らしく何度も繰り返し観た。同監督の『はじまりのうた』も観て好きな監督が一人増えるきっかけにもなった一本。

次点
『おらおらでひとりいぐも』

augtodec.hatenablog.comコロナのおかげで春から夏にかけては映画館に行けなかった。何を公開していたのかもあまり記憶に残っていない。秋になって観た本作は、原作を読んだ上で観たけれど、原作とは違う味わいがあり心地良い作品だった。
さっき数えると今年映画館で観た映画は11本。来年はコロナが収まってくれるといいけれど。


■読書
カンボジア0年』

augtodec.hatenablog.comポル・ポト政権下のカンボジアについて書かれた本。
ポル・ポトカンボジアについては何故だかずっと気になっている。というか誤った政治運営で国民が犠牲になる歴史というものに興味があって、そういうことを知るのは今の政治を見る時にも役に立つのだと思っている。同時期に『墓標なき草原』という文化大革命時の内モンゴル地区について書かれた本も読んだが、こちらも悲惨極まりないもので、読んでいて辛くなってきて中断してしまった。文化大革命ポル・ポトというのは近代アジアでの最悪の歴史だと思う。

次点
『罪の声』

augtodec.hatenablog.com昭和の大事件、グリコ・森永事件を題材にしたミステリー小説。
ミステリー小説は久々に読んだけれど、やっぱりよくできて評判のよろしい小説というのは面白いものです。読んでいる間中、次はどうなるのかという興味が持続し続けて、仕事をしていても、家に帰ればあの本の続きが読める、という楽しみがあるから。そういうの大事だと思う。

 

■音楽
『解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の偶発的出会い』

augtodec.hatenablog.comNURSE WITH WOUNDの名盤。しかしこんな昔の盤を今年のベストに入れてよいものかとも思うが、盤を買い聴いて気に入ったのだから仕方ないとも思う。でもやっぱり今年でたものをベストに上げるべきだとは思うなあ。

次点
I'm Ready/Maia Wright

www.youtube.com今年一番良く聴いた曲。
ライブに一回も行かず盤を買う枚数も激減した一年だった。もう音楽を聴くのが趣味だとは言えないかも知れない。

 

コロナ禍で仕事がなかった時期には、ビデオ観賞ではあるが映画は沢山観ることができて印象深い映画が沢山あった。特にジェイソン・ライトマン監督作の『タリーと私の秘密の時間』『ヤング≒アダルト』が記憶に強く残っている。

長いお休みの後は、仕事がきつく休日も不定期で仕事の疲れを癒すことと次の日に向けての体調管理、充分な睡眠をとることだけが生活の目標になった。本を読む時間も映画を観る時間も音楽を聴く時間も削って仕事のためだけに生きているような状態で、毎日があっという間に過ぎ去ってしまう。それでも働かなければ生きてはいけないし。

文明の生態史観/梅棹忠夫 著

国立民族学博物館の初代館長である梅棹忠夫が1950年代に発表した論考『文明の生態史観』を中心に、アジアを旅して感じた様々な考えを述べた書物。

 

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

  • 作者:梅棹 忠夫
  • 発売日: 1998/01/18
  • メディア: 文庫
 

 


本屋のブックフェアのようなもので梅棹忠夫の本が並んでいて手に取った一冊。梅棹忠夫という人は何を専門としているのかと調べたが、広範な分野にその研究、論考は及んでいるようで「○○の専門家」と単純に言えない感じがある。

『文明の生態史観』は文明の興隆にはパターンがあるのではないかという考察。西ヨーロッパと日本のように先進国となった国々と東南アジアや東ヨーロッパのように先進国に近接した位置にある国々、それと強固な文化を持つ中国、インド、ロシア、地中海・イスラム世界、このそれぞれの文化圏の発展にはパターンというか法則があるのではないかということが書かれている。
1950年代にこれだけ世界を俯瞰して眺めているというのは凄いことなのじゃないだろうか。第二次世界大戦は終わっているけれど、まだそれぞれの国のことしか考えられず、大きく目を開いて地球規模で歴史を眺める視点を持っていることに驚きがある。
随分前に話題になった『銃・病原菌・鉄』などというものもそういう巨視的な視点で人類を眺めたもので、その視点を50年代に持っているというが学者というのは凄い気がする。

『比較宗教論への方法論的おぼえがき』は特に面白かった。宗教を伝染病と比較して、その振る舞いに似た動きがあるのではないかということを提示していて、なるほどと納得する箇所が多々あった。
ただ、自然現象と人間社会の振る舞いに似た部分があるなということは自分でもあって、WEBサービスなどである一定の評価を得られればそこからは一気に寡占状態に成長していく現象があるけれど、あれは塩水の中に塩の小さな塊を吊るしておけばそこにどんどんと塩の結晶が付着していく現象に似ている気がする。
また、昔と違って近年は国境を越えて移動する人々が多くなったように思っていて、アジアからの観光客が多くなったし、日本から外国へ旅行するハードルも低くなった。コロナでそれらは頓挫したけれど、濃度の違う液体が仕切りがなくなると均一な濃度になるべく自然と混合する現象にも似ている気がする。その仕切りは国境なのか経済なのか分からないけれど、化学で説明できる分子の振る舞いは社会という液体の中の人間という分子の動きにも適用できる部分があるような気がする。

たぶんブックフェアがなければ手に取ることがなかった種類の書物で、そういう意味では本屋に出かけることはこういう思いがけない書物と出会うことだよな、みたいなことも思いました。