文明の生態史観/梅棹忠夫 著

国立民族学博物館の初代館長である梅棹忠夫が1950年代に発表した論考『文明の生態史観』を中心に、アジアを旅して感じた様々な考えを述べた書物。

 

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

  • 作者:梅棹 忠夫
  • 発売日: 1998/01/18
  • メディア: 文庫
 

 


本屋のブックフェアのようなもので梅棹忠夫の本が並んでいて手に取った一冊。梅棹忠夫という人は何を専門としているのかと調べたが、広範な分野にその研究、論考は及んでいるようで「○○の専門家」と単純に言えない感じがある。

『文明の生態史観』は文明の興隆にはパターンがあるのではないかという考察。西ヨーロッパと日本のように先進国となった国々と東南アジアや東ヨーロッパのように先進国に近接した位置にある国々、それと強固な文化を持つ中国、インド、ロシア、地中海・イスラム世界、このそれぞれの文化圏の発展にはパターンというか法則があるのではないかということが書かれている。
1950年代にこれだけ世界を俯瞰して眺めているというのは凄いことなのじゃないだろうか。第二次世界大戦は終わっているけれど、まだそれぞれの国のことしか考えられず、大きく目を開いて地球規模で歴史を眺める視点を持っていることに驚きがある。
随分前に話題になった『銃・病原菌・鉄』などというものもそういう巨視的な視点で人類を眺めたもので、その視点を50年代に持っているというが学者というのは凄い気がする。

『比較宗教論への方法論的おぼえがき』は特に面白かった。宗教を伝染病と比較して、その振る舞いに似た動きがあるのではないかということを提示していて、なるほどと納得する箇所が多々あった。
ただ、自然現象と人間社会の振る舞いに似た部分があるなということは自分でもあって、WEBサービスなどである一定の評価を得られればそこからは一気に寡占状態に成長していく現象があるけれど、あれは塩水の中に塩の小さな塊を吊るしておけばそこにどんどんと塩の結晶が付着していく現象に似ている気がする。
また、昔と違って近年は国境を越えて移動する人々が多くなったように思っていて、アジアからの観光客が多くなったし、日本から外国へ旅行するハードルも低くなった。コロナでそれらは頓挫したけれど、濃度の違う液体が仕切りがなくなると均一な濃度になるべく自然と混合する現象にも似ている気がする。その仕切りは国境なのか経済なのか分からないけれど、化学で説明できる分子の振る舞いは社会という液体の中の人間という分子の動きにも適用できる部分があるような気がする。

たぶんブックフェアがなければ手に取ることがなかった種類の書物で、そういう意味では本屋に出かけることはこういう思いがけない書物と出会うことだよな、みたいなことも思いました。