民主主義とは何か/宇野重規 著

民主主義の成り立ちを古代ギリシャから紐解いて現代の民主主義までを概説する本。

 

リベラルとは何か/田中拓道 著 - 8月~12月

保守主義とは何か/宇野重規 著 - 8月~12月

と読んできて、最近はアナキズムの本を幾つか読んだけれど「それでは民主主義とは?」などと思いつつ手に取った新書。著者は『保守主義とは何か』と同じ方だった。

古代ギリシャにおいてアテナイの市民が寄り集まって協議し、都市国家の政策を決定した直接民主制から始まって、フランス革命当時のヨーロッパでの君主制から議会民主制に移っていた動き、それとアメリカ独立における民主主義の位置付けが記され、現代の民主主義までを当時の出来事と著名な学者、理論家による思索と共に紹介してくれている。

読み終えて思うのは、民主主義というものは民衆の意見を汲み上げてそれによって国策を決定する仕組みで、その仕組みは様々な試行錯誤の上で現代の議会制民主主義、間接民主主義に至っているのだということが分かった。そしてその制度も完璧なものではなく、ポピュリズム大衆迎合主義といわれるものも昔からあり、それを防ぐ手立ても未だに完成しないまま問題になっている。他にも民主主義によって独裁主義や寡頭政治が生まれる可能性もはらんでいたり、何より民主主義の制度があるにも関わらず、そこに参加する国民の意志が低迷している問題もある。まだまだ民主主義の制度は不完全で改善と進歩が必要なのだろう。
技術の進歩もそれに関わるのだろうなと思う。もう既に議論されていることだけれど、選挙における電子投票なんかは民主主義の制度の変更に大きく関わるだろう。選挙における電子投票が完成したならば、ある政策や立法における採決などというものは国会議員にまかせておかずとも国民の直接投票で採決できるようになるだろう。しかしそれが良いことかどうかという疑問も残る。ある程度の見識と専門知識を有した人間を介して決定されたほうが間違いが起こらない気もするが、今の国会議員のすべてが「ある程度の見識と専門知識を有した人間」だとは到底思えない。差別主義者や公平・平等を理解していない者、ただ世襲で国会議員になった者、漢字が読めない輩、「三角関数なんて勉強する必要がない」と宣う愚か者まで揃っている。それならば国民による直接採決でも何の問題もないのではないかと考えたりもする。

結局は、政治に関心を持ちそこに参加する意志を国民が持たなければ民主主義は進歩しないし、あっという間に政治なんて誰かの占有物になってしまうということだろう。しかし自由を尊重するならば、「国民が関心を持ち参加する」ことを強要するわけにもいかないし、まったく難しい。色々と考えさせられる内容でありました。