ヒトラーのための虐殺会議

2023年、ドイツ、マッティ・ゲショネック監督作

1942年のドイツ、ユダヤ人の問題を最終解決するためにナチス、親衛隊、官僚が集まって行われたヴァンゼー会議の模様を再現する映画。

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ヨーロッパ中のユダヤ人の「処分」を決定するための会議。
端的に言えば狂っている。1100万人の人間をどのように殺して、この世界からひとつの民族を抹消しようとする相談なのだから。
しかし、それも今の時代だからそう思えるのかも知れない。出席者の全員がナチスの政策に心から賛同していたのかも知れないし、この会議で下手なことを言うと地位も命も失うという恐怖があったのかも知れない。
どのようにしてユダヤ人を選別するのか、彼らをどのように連行するのか、それが現実的に可能なのか、そもそもどこで?誰が実行するのか?そして実行するのなら効率的に殺す方法は?そんなことを話し合う。狂気であり、恐ろしいとしか思えないが。

本国ドイツではテレビ放映されたドラマで、それが日本では劇場公開されているということらしい。そういうこともあるのか、映画的な起伏や物語としてのクライマックスというものはあまりない。ただ淡々と会議が進む様子が演じられていて映画的な動きもあまりなく、映画よりも演劇的な質感がある。

映画を観ている間に気付いたのはユダヤ人虐殺について「最終解決」や「処分」という言葉を使っていることだった。この会議の議事録は存在していて、戦後連合国によって発見されたらしい。議事録でもそのようになっているのだろうか。当の議事録を読んだほうが恐ろしいかもしれない。
虐殺や殺戮、はては「殺す」という言葉さえ使わず、耳障りの良い言葉に置き換えて会議は進む。そして如何に効率良く大量殺戮という事業を進めるかということが話しあわれる。
これを観ていて現代の政治家や劣悪なコメンテーターたちがやっていることと同じではないかと思った。改革という言葉を使って制度を破壊し、改憲と称して憲法を改悪しようとする。維新と名乗って世の中を刷新するどころか混乱に陥れる。民主主義を名乗りながら分断と対立を煽る。そしてそれらは前向き、成長、効率、経済優先を真っ先に唱えるような現代の自己啓発にまみれた人々から発せられて、言葉を汚染していく。ナチスがやってきたことをなぞっている。
ナチスというものは、自己啓発に洗脳された社会的ダーウィニズムを信奉する人達には受けが良いということを改めて思った。ナチス的な考え方はいつどこでも墓場から復活してくる。気をつけなアカン。