死なないための暴力論/森元斎 著
世の中にあふれる暴力には、否定すべきものと、肯定せざるをえないものがあるのだ。ジョルジュ・ソレルからデヴィッド・グレーバー、女性参政権運動からBLMまで……世界の思想・運動に学びつつ、思考停止の「暴力反対」から抜け出し、倫理的な力のあり方を探る。
アナキズム研究者の森元斎先生による暴力論。
国家、権力者による暴力があり、それに抵抗する民衆の暴力は許容されるべきものであるということが豊富な事例と共に語られていて、英国の女性参政権を求めたサフラジェット、メキシコの貧困地域から生まれたサパティスタ民族解放軍、ロジャヴァ革命などが取り上げられている。民衆の暴力的反攻だけでなく、アナキズム的な抵抗運動が紹介されていて、それらも興味深い。
この本に書かれていることには概ね同意したい。暴力を良い暴力と悪い暴力に区分けするのは難しいから一律に暴力をいけないものだとしてしまうのは分かるけれど、暴力による圧政には民衆も暴力で対抗するしかないのではないかと思う。それに権力者は自分たちに反抗する勢力の行動には「暴力」のレッテルを貼りつけるものだから。
一切の暴力に反対する人は警察や軍隊にも反対するのだろうか。それこそ国家による暴力装置なのに。それらは合法だからと許しているのではないだろうか。全ての暴力に反対するという論者が警察や軍隊の解体も主張するならそれは理にかなっていると思うけれど、生憎そのような主張をする人はあまり見かけない。
合法か違法かということを問題にしているのかもしれないが、権力者は自分たちの暴力は合法で、それに抗する人たちは違法に認定してしまうものだ。
本書の中では「エキストリーム・センター」という語が出てくる。
ここで参考になるのが、「エキストリーム・センター」という概念だ。和するなら「極中道」「過激中道」といったところだろうか。「極左」「極右」ならまだわかるが、これはどういうことなのか。イギリスのパキスタン系の活動家で、歴史家のタリク・アリがこの概念を説明してくれている。ひと言で言ってしまえば、中立を装って、結果として体制を擁護することになる言説や態度、あるいは思想のことを指す。
こういうエキストリーム・センターといってよいような意見も色んなところで見かける。中立を装っているけれど、その実は保守的な変化を求めない意見だったりするもの。右とか左に分類されるよりも、こういう人のほうが多いんじゃないかとも思う。