キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

2023年/米国/マーティン・スコセッシ監督

戦争から米国に帰ってきた若者、アーネストはオクラホマにいる叔父を頼ってやってきた。そこは石油が噴き出した事により土地の権利を持つ先住民族のオセージ族が豊かに暮らす土地だった。
アーネストは、土地の権利を持つ先住民族の女性、モリーと結婚するが、土地の有力者である叔父は、アーネストにモリーの一族が亡くなれば利権が手に入ると囁く。それによってアーネストは数々の悪事に手を染めていくことになる。

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街の有力者で悪事を裏で操る叔父を演じるは名優ロバート・デ・ニーロ、そして妻を愛しつつも妻の一族を葬ることに加担してしまう男を演じるのはレオナルド・ディカプリオ、その妻であり先住民族の女性であるモリーを演じるのはリリー・グラッドストーンという配役。デ・ニーロとディカプリオが演技巧者だということは知っているが、リリー・グラッドストーンという女優さんは知らなかった。慈悲深く母の包容力を持った女性を演じていて強烈な印象が残った。

群像劇ではあるけれど、ディカプリオの演じるアーネストが叔父の指示に従いながら妻の一族を殺すことに加担していく様子が主軸。このアーネストという人物には正義と悪が入り乱れている。元々モリーと親しくなったのも叔父の策略ではあるけれど、真に恋に落ち結婚し子供をもうけて家族を愛している。家族を愛して大切にすることほど正しいと呼べることはない。しかし妻の一族を次々に暗殺していくことにアーネストは加担している。こちらは悪としか呼べない。
勧善懲悪な物語は分かり易いだろうが、世の中の出来事というものは勧善懲悪の物語ばかりではない。悪人にも止事無き理由があり、善人にも瑕疵はある。分かり易い勧善懲悪しか受け付けられない幼い時期というのは自分にもあって、主人公が完全な善人でなかったり、悪人にも同情すべき理由があったりした場合には、そういう物語の構造が不満だったりしたものです。でも今はそこそこ、というか、まあ、大人なので、そういう勧善懲悪の物語は単純過ぎるというか、幼いというか、深味が足りないと思ってしまう。そういう意味でこの映画は複雑で深い物語と人物を描いていると思う。

映画というものは遊覧船に乗ってその景色を見て楽しむようなものだな、とも思った。上映時間が3時間を超える映画だけれど退屈するひまは無い。遊覧船に乗って船窓の景色が移り変わるのを楽しむようにスクリーンを観ていて、そこに映画製作者の技工が施されているものを観ているといった感覚があった。

鑑賞後にパンフレットを買おうと思って売店に行くと、この映画のパンフレットは無く、作られていないということらしい。そして公式webサイトもあまり力の入ったものではない。どうなっているのだろうか。洋画は集客が鈍いという話を聞いたことがあるが、その影響なのだろうか。ノーランの『オッペンハイマー』も未だに日本公開は未定のようだし。どうなっているのだろうか、みたいなことを映画館の帰りに立ち飲みに寄ってビールを飲みながら考えてしまった。