ヨシキ✕ホークのファッキン・ムービー・トーク/高橋ヨシキ、てらさわホーク 著

すべての映画は政治的だ!ディストピア化する世の中にファック・オフ!
ガラパゴス化する邦画市場、終わらない80’sリバイバル、不毛なポリティカル・コレクトネス論争、世界を埋め尽くすディズニー帝国の覇権、ファンダムの肥大と映画批評の行方……今、映画にある危機を語る。

 

本書冒頭の「はじめに」で、てらさわホーク氏がこの本を

ある映画作品についての内容を掘り下げるというよりは、映画という娯楽/文化そのものを取り巻く状況についての話が中心になっている。

と書いている通り、特定の映画作品についての解説やよもやま話でなく、映画状況についてのよもやま話になっている。それがとても面白いのは、二人の考え方に共鳴するからだろう。

3章「アンチ・ポリティカル・コレクトネスの不毛な議論に終止符を」で高橋ヨシキ氏はこう言っている。

あと、その「ポリコレ云々」難癖をつけてくる手合は、決まって「今はなんでもポリコレで、ものが自由に言えなくなった。息苦しい」とか言うけれど、これってつまり「のびのびと差別できた時代は良かったなあ」ってことでしょ。南北戦争の南軍の末裔か!

と小気味良い。こういうことをはっきり言えないとダメですよねと思う。右だとか左だとかのイデオロギーに毒されて、本当に大事なことは何かを忘れてしまうようではダメなのだと思う。
他にも邦画や80年代のヒット作の続編が延々と作られることやディズニーが資本の力で映画界をディズニーランド化していくことにも手厳しい。そしてそのどれにも同意してしまうし、その理路に感心してしまう。
基本的に自由であることを最大限に尊重していて、それに反するあれやこれやには抵抗していくという姿勢があるから、この人たちには信頼できる感じがある。

「音楽に政治を持ち込むな」みたいなことを言う人が一時期沢山湧いてきていたが、あれもどうかと思う。政治性のようなものを全く見聞きしたくない気分になることは確かにある。あるけれど、ずっとそんな姿勢でいては、映画ならジブリかディズニー以外の映画は観られないのではないだろうか。観客に寄り添った甘ったるいメッセージしか込められていない映画を観たいこともあるし、そういうものが癒やしになることも否定しないけれど、そんな甘やかされた環境だけでいいのですか?と思ってしまう。あまりにもナイーブすぎやしませんかと。

そういう意味で高橋ヨシキとてらさわホークというお二人は信頼できる語り手だし、そこに柳下毅一郎という異才の加わったYoutube番組『Blackhole』は映画解説の番組としても信頼している。

結局、いちばん大事なのは自由であって、でもその自由は他者の権利を侵害したりするものであってはいけないし、何らかの不自由さがそこに必要になった時に権威や権力にすり寄った発言をする奴らは右でも左でもクソなんですよ。そういう考え方でやっていきたい。