激怒
2022年、日本、高橋ヨシキ監督作
行き過ぎた捜査が問題となった刑事は、療養施設に送られる。そこから帰ってくると、町と警察は変貌しており、市民による暴力が治安を維持する力になっていた。
暴力をも持さない、という現代の常識で言えば問題のある刑事が主人公。
ある町に引き籠もりの男がいて、地元住民たちは彼の家に大勢で押し寄せる。正義感から。しかし男に逆襲されて捕らえら、家の中に軟禁されてしまう。
そこへ主人公の刑事が現れ、引き籠もりの男に暴力を加えて制圧してしまう。その過程で、刃物を持っていた男の母親は誤って死んでしまう。
この場面で、登場する人々は誰も間違っていないけれど誰も彼も間違いを起こしている。
地域住民は引き籠もりの男をどうしようとしていたのか分からないが、彼が地域住民に何かしらの迷惑をかけていたのだろうか。地域の住民が連帯して問題を解決することは間違っていない。引き籠もりの男を更生させようとしていたなら、それも正しい。しかし勝手に人の家に乗り込んで行ってよいものではないし、自分たちと違う人間をよってたかって非難したり攻撃したりしていいものでもない。そこには縄張りの中にいる異物を排除しようとする群れの性質が垣間見える。彼らは自分のやっていることを正義だと疑っていないし、その行動に邪悪が潜んでいることに気付かない人もいるだろう。
主人公の刑事にしたって信号無視はするし、あまり夜露死苦ない人たちと付き合っている。引き籠もりの男に行き過ぎた暴力を加えてもいる。そして犯人とは言えぬ母親を事故とは言え死なせてしまう。
しかし刑事のやり方は、少しやり過ぎではあるが事件を解決するという彼の職務には合っている。そのことで事件は解決されるのだから。そして、たとえ犯罪者の身内であっても殺していいものではないではない。
正しさも間違いもある。人間というのは大抵どちらも内包しているものだ。
刑事が仕事に復帰すると町と警察は変わっている。自治会が結成した自警団が小さな犯罪にも私刑を行使することで町の治安に貢献している。それを警察署長は黙認している、というより積極的にそれに加担している。刑事のかつての仲間の中にも、そんな状況に従順に従う者もいる。
正邪が混沌としている。
自治会の会長の男は、女性の警察署長に治安維持のために法を超えた行動を求めるが、彼女はそれを拒む。そこで「あなたが男性だったら」という明らかなミソジニーを発露する。しかし彼だって町が平和であることをのぞんでいて、それ自体は悪いことではない。でも法は法。男女の区別は関係ない。
駐車場の料金を踏み倒した男女に自警団が暴力をふるう場面がある。小さな犯罪だとて悪いことにはかわらない。犯罪を小さな芽のうちに摘んでいくことは大きな犯罪を産まないことにもなる。しかし行き過ぎた制裁は問題で、それが私刑ならば尚更。
自分の中に正義とはどういうものかという信念があることは悪いことではないが、それを疑わずに無邪気に己の正義を振り回すことには害がある。良かれと思ってしでかしたことが悪い結果を生むこともある。悪気はなかったと言えば免罪されるという無邪気さは通用しない。でもそんな人は世の中に沢山いる。それでも自分の中の正義を信じていなければ不正に声を挙げることもできない。
解決されない正義と邪悪の問題が渦巻いている。清廉潔白な者が悪を退治するといったわかり易い物語は多くの人に届くし、それに溜飲を下げる人も多い。SNSで、マナーの悪い奴を懲らしめたという真偽不明の逸話に多くの人はいいねのボタンを連打する。でもこの映画はそうじゃない。勧善懲悪ではない。
それでも、この映画はそれを解決してしまう。それは行き過ぎた暴力で。主人公の男は自警団のやり方に激怒して対決し彼らを徹底的に暴力でねじ伏せる。リアルな描写でなくていいのだ。これは映画なのだから。映画とはそういうものなのだから。フィクションの中で現実には起こり得ない事が発生しそれをねじ伏せる。ファンタジー、SF、フィクションにはそれができるし、それが力なのだから。怒りが充満しそれをあり得ない展開で発露する。そこに現実にはない映画的快楽がある。
休刊した映画秘宝の熱心な読者ではなかったものの、それなりには読んでいたし、創刊したころは好みの映画誌が現れたことを大いに喜んだのだった。だから高橋ヨシキという人の名前は知っていて、最近はYouTubeの番組などで氏の発言を見聞きすると、その映画的知識と公平で自由を尊重する考え方に感心し信頼感を持つようになった。彼が映画を監督すると聞いたときには凄いものを作ってくれるのだろうと思っていたし、映画を観始めるまでそう思っていた。
しかし映画を観始めると「ああ高橋ヨシキという人が撮ってもこんな感じなのか」という印象があった。「ああ日本映画だなあ」と。低予算の映画だということは事前に知っていたし、そのことは覚悟していた。期待しすぎたのかもしれない。でも空気が緩い。画面から緊迫と緊張が感じられないと感じた。
しかし、刑事が隔離された精神病院のような施設の場面から映画が駆動し始めた。打ちっぱなしのコンクリートの部屋、効能のよく分からない薬とそれを貪るように摂取する刑事の男、意味深な白衣の男女。不穏な空気が流れ始め、映画が現実と遊離しフィクションの中に自分を連れて行き始める。
そして映画的に過剰な暴力描写。空には軍用機だろうか大きな飛行機が黒煙を吐き出しながら飛んでいる。この世ならざる世界がそこにある。
最初、この映画は駄目なのではないだろうか、と不安に思っていたが、だんだんとのせられて引き込まれた。現実世界で感じる苛立ちがそこかしこに埋め込まれていてそのフラストレーションに共感した。ラストに描かれる残酷で激しい暴力描写は、良識ある人たちが眉をひそめるようなものだが、現実世界で常々抱えている苛立ちが発散できない我々には代弁だとしか思えない。
松田優作の初監督作『ア・ホーマンス』を思い出した。身近な現代だと思っていたらだんだんと捻くれていって別の怪しい世界に引き込まれる感じ。不穏で暴力的な感じも。
結果的にとても楽しんだ。映画を観終わった後あれこれ考えながら帰宅したが、パンフを買い忘れたことを後悔した。
高橋ヨシキ監督の第二作が作られることを楽しみにしたい。