ブラックボックス/砂川文次 著

ロードバイクを駆りメッセンジャーの仕事をする男は、不安定なこの仕事をいつまで続ければいいのか悩んでいた。そんな時に同棲している女から妊娠したことを告げられる。何か他の仕事を、と思っている矢先に税務署員が滞納している税金の催促にやってきて、若い署員の薄ら笑いに怒りを覚えて殴りかかってしまい、刑務所に入れられることになる。

 

先日、大型書店に行って日本の現代文学の棚などを見てみると、なぜだか分からないけれど「ここに男の読むものは少ないのではないか」と思ってしまった。
以前は「男性作家」「女性作家」と棚が別れていたけれど、著作者の性別で分類するのは如何なものか、性別に関わらず文学の価値というものは変わらないのではないか、みたいな声もあったから今は作者の名前のあいうえお順で書籍は並んでいて男女には別れていない。少し前の芥川賞候補がすべて女流作家だというニュースもあって、女性の小説家が多くなっているのかもしれない。文学関連のニュースなどで、この作品はジェンダーがテーマに成っている、などという文言を聞くこともあるような気がする。

女流作家の書いたものが女性向けだとは思わないし川上未映子津村記久子絲山秋子など好きな女性作家は多いのだけれど、なぜだか本棚の色合いというか雰囲気が女性向けのような気がして、それは女の子はピンクを好むという先入観は性的役割の押し付けである、などと言われれば確かに同種のことなのだろうけれど、なんだか店に並ぶ書影を見ていて男が読むべきごつごつとした硬質なものが少ないように思えたのだった。ただそういうものを無意識に欲していただけかも知れない。

著者の砂川文次氏は元自衛官。『小隊』という戦争小説も文庫で出ていて少し気になっているけれど、芥川賞候補になった『ブラックボックス』が気になっていたので読んでみた。そして紛れもなくこれは男性の苦悩や生き辛さが描かれている小説だった。フェミニズムの勃興によって女性の生き辛さに脚光があたるけれど、男が楽々と生きているわけでもない。だからといって、女はだまってろ、みたいなことを言うのは違うと思うけれど、男だって男社会で生きていくのにしんどさを感じている。そういう小説だった。

主人公は男ばかりがいる場所で交わされる噂話が好きではなく違和感を感じるという場面がある。これはよく分かる。
現実でも男たちは喫煙所などで、寄ると触ると「あいつは仕事ができる」「あいつは仕事ができない」という話を延々としていて「あいつはうちの部署に欲しい」とか「あいつは要らない」みたいな話を飽きもせずにしている。あれが嫌で嫌で堪らない。どいつもこいつも軍師気取りで「戦略」みたいなことを語ったりして「恥ずかしくないのだろうか」と思いながら自分は隅っこで煙草を吸っていた。ああいう男たちに自然に溶け込む能力がある人が羨ましかったし、逆にしょうもない俗物だとも思っていたけれど、ああいう人たちの方が組織では生き残るタイプだということも知っている。

小説の主人公は刑務所で来し方を自問自答するけれど、なんだかそれも投げやりで、でもそういうことがどうでもいいといった気持ちになるのも分かる。そんな男が書いた男の小説でありました。