空想の海/深緑野分 著

11の短編集。

 

深緑野分さんという作家の著作は『スタッフロール』という小説を読んで大層感動したのだった。この作家の他の著作を読みたいと思ったし、そのまま読めばいいのだが、何しろ家に積読の本が山積みになっていて幾らかずつでも消化していかなければならない。そんなことを思っているのに新刊を買って読んでしまう矛盾よ。しかしわざわざ新刊に手を出したのも理由があるのです。言い訳をさせて下さい。
深緑野分さんが何かで推薦していたドイツ文学の『その昔、N市では』という短編集が面白かったのですね。その推薦者の短編集ならどんな感じだろうかと読みたくなるのが人情ってものじゃないですか。だからなんです。そういうわけなんです。
SF、ファンタジー、ミステリーと色んなジャンルの小説が収録されていてどれも面白い。
『空へ昇る』というタイトルの一遍は、地球ではないどこかの惑星における科学史のお話で短編なのがもったいないという感じがあった。頭の中では『オネアミスの翼』の絵柄で情景が想像された。何かのインタビューでSFが書きたいと仰っていた気もする。
児童文学誌に掲載された『カドクラさん』、『緑の子供たち』が特に好きな作品だった。児童文学誌に掲載されたということは児童文学ということであろうし、それは子供が読むことができる小説になっているということだろう。どちらも非戦や反戦のメッセージが込められていると思うけれど、それが前面にでてくることなく、物語の面白さがある。『カドクラさん』は意外にも未来小説だったと言うとネタバレになるのだろうか。
『緑の子どもたち』は、言葉が通じない子供たちがやがて協力して自転車を組み立てるお話。こういう物語を子供たちは面白く読むだろうし、読んだ後には、友達のことを知りもせずに嫌うのがいけないこと、友達と協力することが大事なことを学ぶだろう。こういうことは先生や親に「もっとクラスメイトのことを知りましょう」とか「友達とは協力しましょう」などと言われるよりは、物語から得られるものの方が、スポンジに水が沁み込むように獲得するのだと思う。自分のことを思い出してもそうだったと思う。
戦争、若しくは戦争の時代が描かれているからだろうか、なぜか廃墟のイメージも混入しているような読後感があった。

『その昔、N市では』を読んだ時はドイツ文学だという先入観があったからかごつごつとした固い手触りがあったが、本書の小説たちは柔らかくて丸いイメージ。これも女性作家だと知っているから、そういう先入観を持ってしまっているだけかも知れない。