映画を早送りで観る人たち/稲田豊史 著

映画を早送りで観る人たちがいる。彼らは彼女らはどんな人なのか、なぜそうするのか、そうせざるを得ないのかを考察する内容。

 

映画を早送りで観るなんて勿体ない、そんなことをしても映画を鑑賞したことにはならないし内容だって分からないだろう、だからそんなことは止めるべきだ、と思うだろうか。自分としては「勝手にすれば?」くらいの感想しかない。薄っぺらい教養主義に毒されているとは思うけれど、映画が提示した時間通りに鑑賞するのが一般的な観方だからといって、そうしない人にあれこれ注文をつけるつもりはない。でもなぜそんなことをするのかは気になる。

この本では、ファスト映画、セリフで説明される映像作品、駄作を観ないで良作だけ観たい、好きな映画、好きな場面だけ観たいという快適主義、そのようなものごとから映画を早送りする人たちを考察している。色んな人にインタビューしていて「ああ、そういう風に考えるから早送りで観るんですね」と思ってしまう。彼ら彼女らの言い分にも一理ある、というか好きにすればいい。

大方は予想していた内容ではあったけれど、少し感心したのは『単位時間あたりの情報処理が高い人たち』という節で書かれていたことだった。
今の若い人たちは情報処理能力が速いらしい。インタビューでは倍速視聴について
「余裕で理解できるし、倍速に慣れると通常速度がスローモーションみたいで気持ち悪い」と語る人がいる。これは少し気持ちが分かる。
仕事の話をしていても先の展開が読める頭の回転の速い人というのはいる。ああいう人からすればことの経緯から順番に話していく過程というのはまどろっこしいのだろう。自分はそういう人ではないけれど、それでも同じ話が繰り返される会議などでは結論が見えているのに無駄な時間を過ごしていると思うこともあるから。処理能力が速いのならそれに合わせて作品を味わえばいいとは思う。
自分だって古本屋でしょうもない自己啓発書を買ってきて「どんな馬鹿なことが書いてあるのだろう」と思って読む時はどんどん飛ばして読む。細部まで文章を味わうような書籍ではないと軽んじているからそういうことをする。

『ファスト教養』という書籍があったように、短時間で効率よく色んなことを知っておきたいのだろうなと思う。経済人が格好つけてインタビューに応じて「経営には教養が必要である」などと言って映画のタイトルなどを語るものを見聞きしてそれにあこがれるのだろう。経済人が格好良いという気持ちがまったく理解できないけれど。

何しろ時間の節約、時短、効率化といった嫌な風潮が世の中にはびこっているなと感じる。薄っぺらい自己啓発書のような教義が世の中に広がっていて、そういうものには嫌悪感しか感じない。しかし自分だって飛ばし読みをすることはある(そんな本の感想は書かないけれど)ので、他人を批判する資格なんかない。

だから好きにすればいいと思う。そういう効率重視で薄い教養を蓄えたいのならそうすればいい。そうする自由はある。そして、そういう行いとその動機を軽蔑する自由もある。