ハリウッド映画の終焉/宇野維正 著

MeToo運動とキャンセルカルチャーによる映画関係者の排斥、マーベルなどのヒーロー映画、そして配信で映画を観ることが普及したことによって映画界はどうなっていくのかという映画評論家の著者による考察。

 

映画に関する本は多々あれど、そこで紹介されている映画を全て観ているということは殆どないのです。映画は好きだから、年に数回しか映画館に行かない、といった人たちよりもは観ている方だと思うけれど、年間に百や二百といった数の映画を観るようなシネフィルでもないので、あらゆる映画に精通しているわけでもない。なので映画の本に書かれている映画を観ていないということは多々ある。そして、観ていない映画について書かれてた本を読んで面白いのかというと、面白い時とそうでない時がある。だから良い映画本というのは、そこで書かれている映画が観たくなるかどうかだという基準を持っている。本書は3/4くらいの映画は観たくなったので自分基準では合格です。

4章に別れているけれど、その内の1章はアメリカのマーベルやDCコミックといったヒーロー映画について書かれているが、この分野については全く関心が持てないのです。
観ればそれなりに面白いのだと思う。基本的にアクション映画だと思うしSF要素もある。そういう映画は嫌いじゃない。そう思うのだけれど、量産されているあの手の映画を最初から復習して誰がどういうキャラクターなのか理解して観てみようという気にならない。もういいや、自分には関係ない、と思ってしまう。
それと分かりやすい英雄の映画ってどうなの?みたいな気もある。誰しも英雄や英雄的行動を尊敬したり憧れたりするものだけれど、そういう誰でも好きなことを自分は遠慮したいという気持ちがある。分かりやすいヒーローに憧れるなんて少し幼稚じゃないかという気もある。そんなわけで、この本のヒーロー映画の内情が書かれたところは「へーそうなんや、俺には関係ないけど」としか思えなかったのです。
でも#MeToo運動とキャンセルカルチャーが映画界に及ぼした影響や、映画を配信で観ることが日常的になったことなどが映画界に及ぼす影響とその考察は、流石に映画評論家だと色々と感心することも多かった本だった。

キネマ旬報が月二回刊行から月間化した8月号には「映画批評を考える」という特集があった。

 

映画評を誰しも投稿できる時代でもあり、プロの映画評論なんて要らないのではないかといった声もあるらしい。映画評論家による考察を「偉そうな講釈」と捉える人もいるみたい。映画なんて面白ければいいのだから難しい講釈は不要といったところだろうか。

しかし、映像技術に精通して映画史を理解している人たちの視点というものは、やはり意味がある。映画史だけでなく、監督という作家の個人史から作品に潜んでいるテーマがあらわになることもある。そういう考察ができる素人もいるだろうけれど、確実にプロの評論家の方が打率が良い。
映画の宣伝コピーに毛が生えた程度の賛辞しか書かない映画ライターの文章などというものは素人の映画感想文と同じ程度の重みしかないだろうけれど、ただの映画ファンには気づかないことや知り得ないこと、そういう知識を元にした考察や評論はやっぱりプロにしか書けないもので、映画評論を軽んじる意見には賛同できない感じがする。

そういう意味で、著者の宇野維正氏は比較的好きな映画評論家だと言える。一部にはお嫌いな方もおられるようだけれど。ただ一点苦言を申し上げるなら、センテンスが比較的長い文章をお書きになるので、ちょっとリーダビリティは高くないかなとは思う。読み易いだけが魅力ではないけれどさ。