ファスト教養/レジー 著

昨今の世の中で隆盛するファスト教養を解読する本。

 

雨宮純の『あなたを陰謀論者にする言葉』は、自己啓発マルチ商法がオカルトやスピリチュアルと同じ泉から湧き出していることを鮮やかに描き出していた。そして、今の自己啓発の形がファスト教養。著者はファスト教養を

現代のビジネスパーソンは、なぜ「教養が大事」というかけ声に心を揺さぶられてしまうのか。そして、「教養が大事」と発信するビジネス系インフルエンサーはどのようにして時代の風を捉えて勢力を拡大してきたのか。

その問いに答えるためのキーワードが、本書のタイトルにもなっている。「ファスト教養」である。ファストフードのように簡単に摂取でき、「ビジネスの役に立つことこそ大事」という画一的な判断に支えられた情報。それが、現代のビジネスパーソンを駆り立てるものの正体である。

と書いている。具体的には、ひろゆき中田敦彦、Daigo、堀江貴文勝間和代などの名前をあげていて、この名前だけで「ファスト教養」の雰囲気は掴めると思います。

 

うんうん、そうだそうだ、そういうことなのか、なるほどね、と納得しながら読んだ。ファスト教養というものに警戒感と軽視を持って読み進めていたが、『「教養としての」ポップカルチャー』の項で『教養としてのラップ』や『教養として学んでおきたいビートルズ』、『教養としてのロック名盤ベスト100』などの音楽系教養本があげられていてハッとなった。そういうディスクガイド本のようなものには結構お世話になったのだ。

パンク・ロックだったら行川和彦の『パンクロック/ハードコア ディスクガイド1975−2003』、ノイズだったら秋田昌美の『ノイズ・ウォー』、ガレージパンクならキングジョーの『SOFT,HELL!ガレージパンクに恋狂い』、テクノ・ハウスなら野田努の『ブラック・マシン・ミュージック』、他にもソウルやディスコのガイド本、映画だってその手の入門書やガイド本は沢山手に取った。

あの頃はどうだったのかと自分のことを思い出してみる。そう、あの頃はそのジャンルの概観が知りたかったんだ。
レコード屋で幾つもレコードを繰って良さそうな盤に目星をつける。それを買って帰って聴く。でもそのレコードがジャンルの中でどういう位置づけなのか分からない。分からなくても気に入ったものなら構わないけれど、興味は湧く。レコード屋のエサ箱の中にあったダサいジャケットの中に、もしかして名盤の誉れ高いレコードがあったかも知れない。
それは知識欲だったと思う。上記の音楽本たちは「ファスト教養」なんかではないし、ビジネスに役立つ教養としてそれらを読んだものでもない。そして今も名作だと思っているけれど、自分にとっては、何か大まかに見渡せる内容の本はないか、と思って消費していたのは確か。でもその本が「ファスト」で終わらなかったのは、その本を契機にして掘っていったからだと思う。

中田敦彦の『YouTube大学』で経済に関する動画を見て興味を持って大学の経済学部に進んだ人がいたなら、中田の動画は良い入り口を提供したことになるし、決してファストでは終わらない。そう思うと、視聴者側の消費態度によってファストか否かが変わるのかも知れない。たぶん荒い消費こそが問題なのだろう。そして、それを分かっていて提供している中田も。

自分が社会人になった頃のことも思い出してみる。機械製造の会社に設計見習いとして雇ってもらった。仕事を覚え始めると自分の知識と経験が不足していることを実感した。成長することも望んでいた。
だから色々と自分でも勉強したけれど、それは自己啓発のようなものではなくて工学系の知識を摂取するという形だった。工学系の知識を摂取する場合にファスト教養は入り込む予知がないんですよね。ファスト教養なんて言葉はなかったけれど。
AをすればBになります、という工学系の知識は、嘘や誤魔化し、言葉のトリックは通用しない。工学というのは自然科学の法則を産業に利用するものだから。物理の法則は言葉で書き換えられない。だから自己啓発が入り込む余地が無かったんだろうと思う。

ファスト教養とは少しずれるけれど、今のような自己啓発で語られる「起業」という言葉が氾濫するようになったのは、平成18年(2006年)に会社法が改正された前後ではなかったかと思う。この年の会社法改正では資本金の制限が撤廃されたことから会社を作ることのハードルが低くなった。

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会社さえ起ち上げれば、その会社の収益や規模が如何なものであろうと職位としては誰でも社長になれる。
この年は堀江貴文村上ファンド村上世彰が逮捕された年でも有る。IT系企業が勃興し、特に堀江の存在は、大会社に入社することよりも才覚で新たな企業を立ち上げ成功するという夢を人々に持たせた。村上が放った「お金儲けして、何が悪いんですか?」という発言もこの頃の空気を表しているように思う。
現実的にIT系で若い企業人が国内外問わず誕生していた。金儲けに対する忌避感もバブルで破壊されてそれ移行ずっと薄れてきていた。そこへ多大な資本を持たない者にも会社を立ち上げることが可能になった。そんな経緯があったように思う。

もう一つこの本では書かれていなかったけれど、意識高い系を経過してファスト教養消費者が増えたのはヤンキーの減少と相関関係があるのではないかと思っている。(データはないです。)

ヤンキーもファスト教養消費者も競争を好み強い者に憧れそこを目指してる。環境の変革ではなく、その組織、社会での上昇を目指してる。ヤンキーが暴走族の頭を目指すように彼らは社長を経営者を目指してる。それはマチズモで、強さを希求してる。一番万能の強さは金。
ヤンキーは強い者に憧れるのでおおむね武器が好きなんですよね。バイクや車は機械によって速度という強さが増幅できる装置だし、ナイフとか銃とか大好き。年を取ると日本刀とかね。
ファスト教養消費者も強さを目指してる。そのために知識という武器を手に入れている。彼らの戦う経済やビジネスという戦場で知識は武器になる。教養も。
どっちも武器が大好き。そしてそれを装備することで強くなる。強くなればなめられない。なめる/なめられないってのはヤンキーにとって死活問題だから。

でもファスト教養みたいな、なまくらのナイフを幾つも持つより、本当に切れる刀をひとつ持ってる方が強いと思うんですよね。