フェイブルマンズ

2023年、米国、スティーブン・スピルバーグ監督作

大映画監督スティーブン・スピルバーグの自伝的作品。

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スピルバーグという監督の印象は、手品師というよりもイリュージョニストという感じ。トランプやコインを使った小さな手品ではなく、助手の人体が切断されているかのように見せるものや、舞台上から人が突如としていなくなった後に客席から出てくるといった、大きな仕掛けでお客をびっくりさせるようなそんな奇術師で、そんな映画を作る人。そんな印象を持っている。
スピルバーグフィルモグラフィーを改めて確認してみると、その監督作の多さに驚くが、その中で『ジョーズ』、『未知との遭遇』、『ジュラシックパーク』、『レディプレイヤー1』など、大作で大仕掛けの映画ばかり観ているから自分の印象がそうなのだということに気付いた。彼の監督作の中で、シリアスな映画作品は観ていないものも多い。

なのでスピルバーグという人の半生というものは殆ど知らなかったのです。知っていることと言えば、両親が離婚しているということ、子供のときは妹を死ぬほど怖がらせるようないたずらをしていたこと、後は撮影スタジオに勝手に潜り込んだりしたことなど、それくらいしか知らない。

なのでこの映画『フェイブルマンズ』には、どのくらいの真実があり、どのくらいの脚色があるのかということを判定する能力も知識もない。なので、そのような視点で観ることはできなかった。

鑑賞前には、どのようにして偉大な映画監督の座に上り詰めたのかという物語で、フィルモグラフィをなぞっていくような映画なのだろうかと思っていたが、幼少期からプロへの道の端緒に辿り着くまでを描いたお話で、家族とどう過ごしてきたかという家族劇だった。そしてスピルバーグによる大仕掛けのVFXが多用されていない、宇宙人も恐竜も未来世界もでてこない映画を映画館で観るのは始めてじゃないかとも思った。

で、その家族劇が泣けたのです。

それは、この映画で描かれる母親と自分の母親とを重ね合わせて観たからだと思う。
映画の中で描かれるスピルバーグの母親は元ピアニストで音楽家、堅実な技術者の父親と対称的な人物として描かれ、性格も行動も自由と芸術を愛し奔放な女性として描かれる。そして、子供が4人いて母親としても役割があるのに、あることで悩む。
自分の母親は、両親を早くに亡くしていたので大学進学を諦めて働き結婚して母親になった。けれど、組合運動のデモに行くような人で、母親になってからは、今で言えばフェミニズム、当時はウーマンリブといった女性の自立や権利獲得といったことを熱心に勉強している人だった。そういうミニコミに文章を寄稿したりしていた人だったが、父親は母がそういうことに熱心なのもあまり気に入らず、勉強会などで家を空けることを極端に嫌った。そういう時に父親はものすごく不機嫌で、八つ当たりされたことを今でも覚えている。だから母親が仕事を持つことも嫌って母はパートぐらいしかできなかった。子供の頃はそういう両親の関係性というものはよく分かっていなかったが、大人になると分かってくる。あれはそういうことだったのだろうな、という風に。
自分の母親は映画と音楽が好きだったけれど、父親はその辺りへの興味があまりなく、そういうところもこの映画の両親に重ね合わせて観てしまった。

だから女として自由でありたい、母親であって子供のことは大事だけれど自由な独立心もある、そういう女性の生き様みたいなものが映画の中で描かれていて、そんな母親と息子の関係性に自分と母親の関係を重ねてしまって泣けてしまった。

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を見ると、実際のスピルバーグの父親と母親が少しだけ登場する。そしてその姿が映画の中の父と母にそっくりだということが分かる。そしてその両親は100歳近くだったそうだが、何れも他界しているらしい。

両親や兄弟姉妹との思い出というのは子供の時の記憶が濃密で、彼ら彼女らの姿というのはいつまでもその時の姿で記憶されるものだと思う。自分は映画など撮れないから両親に再び会うことはできないけれど、大映画監督はもう亡くなった両親や幼い妹たちを再現して、いつでももう一度会えるのだから幸福なことだ。そして誰にでも、それぞれの家族についての物語が有り、それを語る資格がある。それを大映画監督がやったというお話。良い映画でした。