フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊
2022年、米国、ウェス・アンダーソン監督作品
フランスの雑誌社のお話。
映画を観ている間ずっと心躍る画面が続く。絵本を観ているよう。
安野光雅の絵本が子供の頃は家にあって好きでよく見ていた。大人になってもずっと好きで、氏の画集などもよく見ていた。津和野にも行ったし、エッシャーが好きなのも影響があるのだろうなと思っている。上記の画像は絵本の表紙絵。
映画の冒頭でフレンチ・ディスパッチ社に近所の食堂から飲み物と食事を届ける場面がある。蛇行する階段を登ってウエイターが建物を登っていく。その場面の愛らしさと上記の表紙絵の面白さには共通点があると思う。なぜ、そういうものに惹かれるのかは分からない。美術やデザインを勉強したひとには理論として語れるものがあるのかも知れないけれど、自分にはただ好ましいということしか分からない。そして映画を観ている間ずっと映像はそんな好ましい画面が続く。
絵本や画集ならば、その絵をゆっくり堪能し、次のページにはどんな絵が待っているのかと期待する。ただ、本と違って映画は自動的に進行していくから「この場面を隅から隅までじっくり眺めたい」と思っていてもカットが変わり場面は進行していく。素敵な絵だった、もっと観ていたかった、という印象が観ている間ずっと蓄積していく。動く絵本。
前作の『犬ヶ島』、前々作の『ファンタスティックMr.FOX』は人形アニメで、題材までもが絵本的だった。
それを思うと、本作は大人が観るお話を絵本的に展開した映画になっているのだろう。
映像を端から端まで観たいのに、言葉で語られる内容も多いから字幕も読まなければならない。吹き替えだったら良かったのに、と思う稀な映画。
そんなわけで字幕を追いきれなかった部分もあった。カンザス(米国)の雑誌なのかフランスの雑誌なのかは鑑賞中には分からなかった。米国の新聞社がフランスで発行している雑誌、ということが分かったのは映画を観終えてあれこれ検索してやっと分かった。
映像の美しさに比して物語の方にあまり感銘はない。どの話にも物語としての感動はなかった。
でも、例えば、絵本であれば
子供のトラが森に行きました。猿や像や鹿と会いました。子虎は帰ってきて母親に「今日こんなことが会った」と話しました。おしまい。
みたいな物語は、子供が読むものだから複雑で込み入った話ではない、単純なお話だったりする。そういうものだと思えばいいのだろう。
でも、そういうお話を指して寓話的と呼ぶのだし、そこに何かしら伝えるべきものがあったりする。トラの話で言えば、友達と仲良くしましょう、とか色んな人の話を聞いてみましょう、とか、そのような教訓のようなもの。
映画の中で描かれる3篇の物語、刑務所にいる画家、学生運動、警察署の料理人、その物語の中にも寓話が潜んでいるのだろうけれど、自分にはそれを読み取れなかった。
ウェス・アンダーソン監督の映画は前述の人形アニメーション作品二本と『ダージリン急行』、『ライフ・アクアティック』を観ている。他の映画も観ようとずっと思っているけれど、アマプラでプライム特典に入っていないものをわざわざ観ることはしない。しみったれの貧乏人なので。
最近Spotifyを使い初めて、とても便利なのを実感している。でも、当たり前の話だが、そこにないものは聴くことができない。スティーブ・アルビニがギターのバンドRAPEMANはSpotifyにはなく、バンド名のせいなんだろうなと推測するが、彼らがZZ TOPの『Just Got Paid』をカバーした素晴らしい曲はそこでは聴けない。課金すればよいのかも知れないがレコードを買うのが手っ取り早い。
本来は、金を払って観る/聴くべきだが、何だか定額で楽しめることに慣れすぎている。ウェス・アンダーソン監督作も、わざわざレンタルして観ることに抵抗感が生まれている。良くないなあ、と思うし、娯楽を創造した人にちゃんと対価を払うべきだと思っていたのに、気持ち的にそんな感じになってしまっている。みんな貧乏が悪い。