東京2020オリンピック SIDE:B

2022年、日本、河瀨直美監督作

2021年開催の東京オリンピック記録映画。

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空虚な映画。

ある映画評論家が『東京2020オリンピック SIDE:A』の評価の良くない点として「オリンピックの記録映画は競技の記録を映像として残す責務があるのにそれができていない」と評していた。今までのオリンピックの記録映画は殆ど見ておられて、それ故にそのような評価だということだった。それを聞いたときにはナルホドと思って、映画評論家というものはあらゆる映画を見ているのだなと感心もした。

本作は『SIDE:B』なので本来であれば作られる必要のない映画だろう。『SIDE:A』の方は以前に鑑賞している。河瀬監督によるスタッフへの暴行事件やNHKでのヤラセ事件など負の話題を振りまいていたし、そもそもオリンピック自体がコロナで延期になってそれが終息してもいないのに無理やり決行みたいな感じで反対運動や会長の女性蔑視発言など良い話題は殆ど無く、逆に興味をそそられたのでアマプラで観たら意外と美麗な映画であったので少し感心したりもしたのだった。

そして2023年の今はオリンピックでの談合事件で逮捕者が出たり電通が絡んでいて役所の入札に参加できなくなったりとゴタゴタと醜聞が続いている。まったくもって恥さらしもいいところのオリンピックという印象しかない。

さて本作『東京2020オリンピック SIDE:B』を観た感想はと言えば、文頭に書いたように空虚な映画と言わざるを得ない。内容としては延期の後から開催に至るまでの経緯を記録した内容になっていて、登場するのは苦渋の表情のおっさんたち。
様々なおっさんが苦しそうな表情で色々と悩んでいる様子が映し出されるのだが、無理してオリンピックやるからやん、本来やらんでもええことを自分らで立候補して引き受けて全部自業自得やん、という感想しか持てない。殆ど競技の記録も出てこないし、1964年のオリンピックの映像が突如として差し挟まれたり、震災の映像がインサートされたりして、時系列もちぐはぐであったりする。
関係者は一生懸命自分の割り当てられた役割を全うしようとして努力しているのは分かるが、どれもこれもタメを効かせて如何に己の仕事が大変であるかを伝える語り口は感動を誘う小芝居が見え隠れして、そこも萎える。そしてすぐ泣く。映像は綺麗だが洗練された大衆演劇とでも言えばいいのだろうか。
そして選手村での食事を提供する責任者は「アルバイトやパートがコロナが怖くてやめるんですよ」と語るが、その言い方よ。責任者がしっかりと責任をとってくれそうだという信頼があれば多少のリスクはあっても働く人はいるだろうが、そう思われていないということを自問すべきだと思うけどな。

感動を誘おうとして子供の無垢な表情が所々にインサートされ、関係者の涙がそこここに配置されている。ウザい。邦画の良くないところが発揮されている。
そしてバタバタ、ゴタゴタして運営がうまく行っていないのは伝わるが、具体的にどんなことが起こってどうなったのかがはっきりと描かれない。ただなんとなく雰囲気が悪いということだけが伝わる。

冒頭の映画評論家の意見にもあるように、この映画は後世の人が見ても何も分からないのではないだろうか。同時代に生きていた人間でさえよく分からないのだから。
映画の中では関係者が「このオリンピックの評価は歴史が称賛する」とか「100年後にも語られるでしょう」といったセリフがあったと思うが逆だと思う。オリンピックの競技は1ミリも見ていないけれど、その前のゴタゴタは知っていた。でももう1年以上経って忘れてしまっているものも多い。そんな人間がこの映画を観ても特に感慨はない。森元首相がオリンピック会長として何度も顔がアップになって映し出されるが、後世の人にすれば「誰やねんこのオッサン」でしかないと思う。
美麗な映像で綴られたイメージビデオのようでしかない映画で、そういう意味で空虚だと思う。

河瀬監督は外国でも賞を受賞している著名な監督だから映画は時代の記録であることは分かっていると思うが、あまりにも不鮮明な記録映画にしかなっていないのをどう思っているのだろうか。