無名仮名人名簿/向田邦子 著

向田邦子が出会ってきた人物や事物に関するエッセイ集。


古書店で購入しました。別に他意はないのです。向田さんはもうお亡くなりになっているから、新刊で買わなかったからといって怒ったりがっかりもなさらないだろうし。今、書店に並んでいる文庫本は「新装版」というものになっているらしく、内容も少し違うのだろうか。表紙は違うようなので写真を載せておきます。

奥付に第一刷は1983年となっている。だから昭和58年。最終頁には単行本が昭和55年に刊行されたと書かれているので1980年。
でも読んでいると物凄くもっと昔の文章を読んでいるような気になる。小津安二郎の映画に出てくるような「日本」が思い浮かべられる。80年代の前後ってこんなに古臭い感じだっただろうかと思ったりする。その文章は例えばこんな風なのです。

 氷を買いにゆくときは、往きはゆっくり帰りは急げ。豆腐屋はその逆で往きは急いで帰りはゆっくり。 
 子供の頃、祖母からこう教わったが、どの家にも冷蔵庫が有り、豆腐はスーパーでパックになったのを売っている昨今では、役に立たない教訓になった。

とか

 舗道にマスクが落ちていた。 
 赤い公衆電話のすぐ足許である。電話をかけようとしてポケットの小銭を出したときに、中に入っていたマスクをつまみ出してしまったのか、しゃべるためにはずした拍子に落としたのか、いずれにしても電話を利用した人の落とし物であろう。真新しいものではなく、うす汚れているが、落ちている間に汚れたのかも知れない。

とか。

他にもトイレのことを「ご不浄」などと呼んでいる。

週刊文春に連載が始まったのは向田邦子49歳の頃らしい。

「すてきなひとでした。原稿が遅いこと以外は」|サイカルジャーナル|NHK NEWS WEB

なので連載開始は昭和53年で1978年。
とは言え、昭和一桁生まれの著者が子供時代や20代や30代に出会った人や事柄を思い出して書いている場面は、戦争の前から直後の時代のことで、小津の『東京物語』や『秋刀魚の味』みたいな映画を思い出してもおかしくはないと思われる。それでもやはり70年代の最後半の時代であっても、その時代と人の暮らし方や雰囲気はまだ戦中、戦争直後と繋がっていたのだなあと思う。80年代で戦後色は随分と薄れ、90年代になるとコンピューターが普及し始めてやがて携帯電話が登場して時代はガラッと変わってしまう。昭和というのは其れより前なのだなと思わずにいられない。

著者は、テレビドラマの脚本家として活躍した方であるので、交友関係は広い。映画、テレビドラマ、そして文筆業の人たちから女友達、さらにご近所の人まで、色んな人のことが書かれている。でもそういう人の失敗談や少しおかしな風情を書き出すだけでなく、著者自身もその人たちと大して変わらないおっちょこちょいなのだということも書かれている。
ドジな人を引っ張り出して笑いものにする、芸人が場を「回す」といったようなことはせず、ちゃんと自分の駄目なところもさらけ出している。そういう風に笑いを取る明石家さんまさんのような立派なところがある。そしてどの人物描写にも温かみがある。

エッセイ、随筆などを読んで良い文章だなと思うことは多々ある。そこには文章の技巧というものもあるだろうが、筆を執った人の人柄が滲み出すものだと思う。卑しく捻れた性格の人物がそれを押し隠そうとしても滲み出すものだろうし、逆におおらかで良い性格の人も文章の端々からそういうものが見え隠れするものだろうと思う。
文章を書くことは話すことと違って少しかしこまったり丁寧になったり演技とは言わないまでも少し素の状態ではないから、向田邦子とて同じだと思われる。が、本を読んでいると頼もしく、それでいて頼りないところもある独立した女性の語り口が披露されていて、そういうものに接することが出来て心地よい。何かの知識が得られるような読書ではないけれど、そういう心地よさを味わうための読書というのも良いと思う。