青森 1950-1962/工藤正市

昭和30年代の青森で、人知れず奇跡の瞬間を撮り溜めていた写真家がいた。
没後、発見されたフィルムの束。そこに写されていたのは、戦後の青森に生きる人々の日常の姿と、やがて失われる情景への思慕にみちた、故郷を愛する写真家のまなざしである。
家族がインスタグラムで発表するや、国内外の写真ファンの間で話題に。
工藤正市の写真の魅力に、今、世界は目を奪われている。

 

 

書名にある通りに、かつての青森の町や人を写した写真集です。
亡くなった父親の遺品を整理していたら膨大なネガフィルムが見つかって、それをスキャンしていくと本書に載っているような写真が沢山あり、それをinstagramで発表すると話題になった、という写真集が世に出るまでの経緯も劇的ではある。でもやっぱり写真がとても良い。

市井の人々や子供がそこに写っている。時代を感じさせるから郷愁のような気持ちも湧いてくる。そして特別な光景ではなくて、生活の中にある優しい瞬間が閉じ込められていることに見る喜びがある。

工藤氏は、かつて写真誌に投稿して幾度も入選した常連だったらしい。しかし

注目の新人写真家たちが座談会をする企画で東京に呼ばれたりもしたのですが、みんな意識力が高く、社会問題をテーマに論じる方が多く「青森のスナップ写真しか撮れない自分では彼らに太刀打ちできない」と思ったのだそうです。

【海を愛した写真家】故・工藤正市さんが撮影した青森の記憶写真<後編> | 海と日本PROJECT in 青森県

とのことです。

映画を例にとると、非日常を描いたものについ関心を寄せてしまう。それは退屈な日常とは違う体験になるから。スパイ、殺し屋、悲恋、SFも時代劇もそういうものだろう。でも日常や生活を描いて良い映画になって残っているものもある。小津安二郎の映画なんてその典型だと思う。

写真でも戦場写真や日常では見られない世界の珍しい風景や人々の方が人の目を惹くだろう。激的だから。けれど、そのような激しく感情を揺さぶるものではないけれど、日常にも美しさは潜んでいて、屈託ない子供の笑顔や、懸命に働く男女、そして何気ない人々の表情や仕草、そういうものにも人は感動するものだ。そういうことをこの写真集は思い出させてくれる。

しかし写真の良さというのは何なのでしょうかね。見た瞬間にその写真が好きなのかどうか感性で反応できるから。写真を学んだ人であれば、その写真の良さは技術的などういう部分からきているか解読できるのでしょう。構図や、色合い、その他の技巧を読み取れるのだろうと思う。でも、そういうものが分からない自分でも良い写真というのは分かる。
それって何だか音楽と似ている気がする。音楽家は、他人の音楽を作曲や作詞、演奏や録音、そういった技術面から音楽の巧拙を判断できるだろうけれど、そんなものが分からない人にも音楽の良し悪し、というか好き嫌いは分かる。感性で判断できる。

言葉で伝えられない何かを視覚で伝えたり聴覚で伝えたり、そういうことかな。まあ、うまく言えないけど。

 

青森 1950-1962 工藤正市写真集 | みすず書房

【海を愛した写真家】故・工藤正市さんが撮影した青森の記憶写真<前編> | 海と日本PROJECT in 青森県