テムズとともに/徳仁親王 著

今上天皇が1983年から85年まで英国のオックスフォード大学に留学していた時代を綴る英国留学記。

本書は1993年に学習院教養新書として刊行された書籍の復刊で、学習院創立百五十周年記念事業の一環として「復刊に寄せて」が追加された版とのこと。

「はじめに」の項で

私がオックスフォードを離れてからすでに七年を経過した今も、それらは常に青春の貴重な思い出として、時間、空間を超えて鮮やかによみがえってくる。

とある。

著者名は「徳仁親王」となっている。留学時は昭和の時代なので皇孫(天皇の孫)、執筆時は平成なので皇太子という風にお立場も変わっている。
年齢でいえば留学していたのは23歳から25歳、執筆はその7年後とのことなので32歳、20代の英国滞在時を懐かしむような心持ちが、文章の端々から感じられる。

何事にもあまり否定的な感想を漏らさず、柔らかな文章で学生生活の事柄が綴られている。天皇の孫、皇太子というお立場であるから、その言葉は幾ら個人の感想だといっても公的に捉えられる宿命を持っていて、だからこういう文章表現になるのだろうとも思うが、元からそういう性格と品格の方であるからこういう文章をお書きになるのだろうという気がする。それでもささやかな失敗談なども披露されていて微笑ましい。

特別な地位にある人が書いたということを取り払っても、オックスフォード大学という凡人には覗き見ることもできない世界が精緻に文章で再現されていてとても面白い。建物の質感や歴史、町並みや学内の食堂、学生たちが集まって雑談に興じる部屋やその様子が伝わってくる。友人となった学生たちや指導教官である教授たちも、誰も彼もが好人物に思える。そういうことを読者に伝えることができるということは筆力があるということなのだろう。

少し驚いたのは留学中のオックスフォードでは、かなり自由に過ごしている様子だったこと。警護官という人物がいつも寄り添っているようだが、大人数の警備がいつもいるという様子ではない。そして自分の立場を明かさず、街に出て過ごす様子が書かれている。

日本にいてはなかなかできないことだが、自分が誰かを周囲の人々がほとんど分からない中で、プライベートに、自分のペースで、自分の好きなことを行える時間はたいへん貴重であり有意義であった。

と書かれている。

青年の英国での大学と暮らしを描いた留学記だと思い、それを味わって読めば良いのだろうけれど、上記のような文章に出会うとやはり天皇制というものを考えてしまう。
前にも書いたが、天皇制というものは支持している。それは日本の文化の一つだと思うから。千数百年続いた文化というものは貴重なものだ。
一方で皇族、天皇家の人達が日本人なら誰もが保証されている個人的人権というものを持っていないことには心を痛めている。端的に言えば我々市井の人間のような自由を持っていない。移動の自由もないし職業選択の自由もない。

相矛盾する難しい事柄でそのことを自分のような人間の思いつきで簡単に解決できるとも思わない。
本書の中では自由ということについて幾つかの記述が出てくる。

オックスフォード留学時に初めて銀行を利用した事が書かれているが、そこでは

また、カードの通用する店ではクレジット・カードでの買い物をしていたが、これも今後はまず縁のないことであろう。

とある。

また、テムズ川での水運についての研究をテーマとして選んだ動機として書かれているのは

そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままならない私の立場では、たとえ赤坂御用池の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう。

これも自由についての事柄だと思う。

皇孫という立場で留学し、後に皇太子となり天皇となることを明らかに意識されていて、そうなったときの立場を知っているからこそ、英国留学時は自由を謳歌し、それが懐かしく思えたのだろう。

「離英を前にして」の章では

再びオックスフォードを訪れる時は、今のように自由な一学生としてこの町を見て回ることはできないであろう。おそらく町そのものは今後も変わらないが、変わるのは自分の立場であろうなどと考えると、妙な焦燥感におそわれ、いっそこのまま時間が止まってくれたらなどと考えてしまう。しかし、このことが幸いしたのか、いま私の書斎のアルバムには、私の思い出の場所がすべて写真に納められている。もちろん脳裏にも。

と書かれている。

誰しも自由という権利を持ってはいるけれど、それを最大限に利用しているかと言えばそうでもない。経済的理由でやりたいことを諦めることなど幾らでもあるし、時間的な制限があることもある。職業選択の自由はあっても希望の職種に就くためには能力も適性も必要で、それが無理なら諦めるしかない。しかし市井の人間なら決意したり努力することによって変えられる部分もある。大学を卒業して、今までの学生のような生活はもう終わりだ、と思うことは誰にでもあるだろうが、そのような市井の人間の立場とは重みが違う。
天皇家に生まれるという出自によって自由な生活はほぼ失われるといっていいだろう。飢えることも生活に困窮することもないし十分な教育も与えられるだろうけれど、自由が制限されるというのは如何なる心持ちだろうか。

青年の柔らかく美しい英国留学記として素直に読めばいいのかも知れないが、ついそんなことも考えてしまう読書だった。