三島由紀夫レター教室/三島由紀夫 著

5人の登場人物たちが手紙をやり取りする形で物語が紡がれていく小説。

今どきの人たちは、手紙を書くことがあるだろうか。eメールがあるしLINEもあるから手紙で済ませる用事はスマートフォンがあれば事足りる。手紙など書く人は稀ではないだろうか。
自分はとても少しだけではあるが手紙をやりとりすることがある。両親が亡くなってからは、父母の兄弟である叔父や叔母と手紙をやりとりする機会ができた。法事のお知らせや「元気にしていますか?」といった手紙に返信する形ではあるけれど、それでも年に数回手紙をやり取りしたりする。叔母の一人は学校の先生だった人なので少し気を遣って手紙を書く。甥だという気楽さから、あまりくだけた文面で書くのも失礼があってはいけないと思うし、そうかといって『手紙 例文集』のような時候の挨拶と定形の近況を訪ねたり報告したりするような文面でもあまり心が通わないし冷たい感じがしてバランスが難しい。しかし、そうして考えると親しい友達や恋人といった人に手紙を書いたことはないなとも思う。

三島由紀夫レター教室』という題名からは、文豪が手紙の書き方を手ほどきするという印象があるが、そのようなものではなかった。
5人の登場人物が登場して、最初は、借金の申込みやファンレターの代筆をお願いするといった手紙がやり取りされる。そういう文面を読んで手紙の書き方を学びなさいという作者の意図だろうかと思いながら読み進めると、意外な方向に話が転がり始める。若い男と女は恋に落ちて手紙をやりとりするが、中年男は若い女に好意を持っているので面白くない。そこで計略を練って中年女に共謀を呼びかける手紙を送る、という風に展開していく。
面白いのは、登場人物が個性的で、計略が進むように見えても、それぞれの人物には個別に考えがあり、端的に言えば手紙の文面は信用できず、裏切りがあるかも知れないと思いながら読むことによって、謀略戦のような面白さがある。
また、手紙のやりとりなので、話し言葉のような気軽さがありながら、相手に誤解を与えないように礼を失わない言葉遣いもあって、その柔らかさと硬さの中間にあるような文面から手紙の書き手の個性が滲み出す感じがとても良い。向田邦子の小説を読む時の感じにも少し似ているなと思った。

意外にもスリリングな展開で、不穏な手紙の差出人は誰なのか、そしてその動機は?といったミステリー風の謎解きもある。そして登場人物が手紙の中で吐露する本心を読むと人物造形の彫りの深さみたいなものも感じる。解説で群ようこさんが20代の時に読んだ時よりも中年になってから読んだ時の方が重みを感じたと書いておられていて、確かに若い頃にこれを読んだなら中年男女の嫌らしさだけが目についたかもしれないなとも思った。

1966年に雑誌連載された小説であるらしい。時代背景は、小説の中にあるようにテレビがモノクロからカラーに変わるような時代。電話は、職場にはあっただろうが庶民の家にはまだ普及していなかったのかも知れない。少し牧歌的で今のように何事にも速度を求められない時代の小説だなあという感じもあった。