田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児/徳本栄一郎 著

戦前は共産党中央委員長。逮捕、転向を経て、戦後は右翼の黒幕に。アラブの石油利権で暗躍した国際的フィクサーは財界人、保守政治家、ヤクザ、学生運動家、王侯貴族のすべてを受け入れた。「法螺は吹くが嘘はつかない」などと嘯く、騒々しいが憎めない男の痛快極まりない生涯!

 

昭和の黒幕、右翼の大物と聞くと笹川良一児玉誉士夫が思い浮かぶが、田中清玄のことは知らなかった。笹川は戦前から国会議員でもあった人で、黒幕というよりは堂々と表舞台で活躍した人だったし、児玉誉士夫ロッキード事件などで名前を聞く機会は多かった。田中清玄という人は、何かそのような政治的な疑惑、疑獄で名前のあがった人でもなかったので今まで知らなかった。

本書を読むと波乱万丈の人生を送った人だということが分かる。戦前は武装共産党の指導者として活動し、戦中はその罪で刑務所に11年も投獄されて転向。出所してからは仏門に入り、終戦直後は、発電所共産党労働組合から守るために電源防衛隊と称した組織で右翼を動員して発電所の警備や防衛を担う。
そうかと思えば60年代の学生運動の時代には全学連を支援して岸政権打倒を目指すし、その後は児玉誉士夫との因縁から銃撃を受け、回復するやアラブの石油権益確保に奔走するという国際的フィクサーとして活動する。晩年は環境活動家であったらしい。

共産党の活動家という左翼でもあり戦後は右翼でもあり、矛盾した立場だと言えばそうだろうが、左翼から転向した保守言論人というのもいるので、そこは不思議ではない。しかし武装共産党のトップともなれば少し違ってくる。それが戦後は右翼。なのに学生運動を支援するという。こんな不思議な人はいないのではないだろうか。誰しも右翼左翼と言った、はっきりしたものでなくとも何らかの考え方というものはあって、それが何かしらのイデオロギーに属しているものだが、田中清玄という人は共産党だとか右翼だとかの、はっきりとしたイデオロギーにその時々で属しているにも関わらず矛盾している。でも矛盾しているようであって国益を守るという意味では一貫している。不思議だが筋が通っている。

やっぱり右だとか左だとかに拘ったり、そのイデオロギーを守ろうとするような考え方はおかしいのだろうな。右翼にだって正しいことはあるし左翼にだって間違いはある。そもそも正しいとは何かということさえある。
イデオロギーや組織や派閥を守る一員になっても仕方がない。そういうものに拘らずに自由でいないとだめなのだろうな。