MAD GOD
2022年、米国、フィル・ティペット監督作
マスクをつけた人物は、カプセルで吊られ地下へと降下し世界を旅する。地図を持っているから何らかの目的地とそこで果たすべき行動はあるはずだが、その目的が不明のまま観客は地獄を共に旅することになる。
様々な作品でストップモーション・アニメーション、VFXを手掛けたフィル・ティペットによるストップモーション・アニメーション作品。
MOVIX京都で鑑賞。
映画を見終わって堀貴秀監督作『JUNK HEAD』との相似形を感じ「これからは地下だ!」と確信した。だからすぐに阪急京都河原町駅から烏丸駅へと繋がる四条地下道に赴いたのだ。しかし午後七時のそこには、醜い怪物も居なかったし血みどろの惨劇も発生しなかった。たぶん日曜日だったからだと思われる。
お腹もすいたし煙草も吸いたいので地上へと舞い戻る。夕刻の四条河原町は人々で賑わっており、沢山の店からの灯りが通りを照らしていた。外国人観光客の家族は、はしゃいでまとわりつく子供とじゃれあいながら路地を行き交い、高瀬川に接した大きな窓からは若い男女がお酒と食事を楽しんでいて、通りがかる全ての人とそこから見える光景に多幸感があふれていた。靴底をコーキング(クリア)で無理矢理貼り付けた自分のニューバランスが惨めに感じられ情けなくなる。逆恨みだと分かってはいても、いっそ高瀬川が血に染まればいいのにとさえ思った。
精神安定のために明るい場所を避け、なるべく暗い方へ暗い方へと足を向ける。パンフレットを買ったことを思い出して街灯の下で広げてみる。堀貴秀監督とフィル・ティペット監督との対談が掲載されていて救われたような気持ちになり、歩きながらこの映画の位置付けをよく考えてみようと更に歩き始めた。
よくよく考えてこの映画を暗黒系ストップモーション・アニメーションの4位に決定した。1位はヤン・シュワンクマイエル、2位はクエイ兄弟、3位のブルース・ビックフォードに次ぐものです。
アニメーションの最大の利点は映画製作に俳優が必要ないことだ。彼ら彼女らの協力を仰がなくとも映画を作ることができる。これはかなり重要だ。このことによって下手をすれば個人で映画を創造することができる。人嫌いでも友達が少なくても居なくても。個人でなくとも少数の協力者と共に作る作品には創作者の個性が強く発揮される。人形を使ったストップモーション・アニメーションに非常に作家性の強い個性的で芸術的な作品が見られるのは、1位から3位のラインナップを見てもそれは自明である。そしてシュワンクマイエルもクエイ兄弟もビックフォードも彼らの作品にはある種の狂気が宿っていて、この映画『MAD GOD』もそういう映画だ。
『MAD GOD』はフィル・ティペットの頭の中にある地獄があますところなく描かれた作品だった。糞尿にまみれた地獄、血と惨劇の地下、無慈悲と無能の集積場、無駄な闘争と殺し合い、非効率で過酷な労働、無目的な旅、千切れて失われていく地図、鮮血の金貨、作動しない爆弾、突然襲いかかる無益な死、強靭な電流、気力の失われた行進、転落の危険、錆びた機械、炎と爆発の旅路、美しい者は皆無、醜い者ならごまんといる、清潔な場所はなくどこもかしこも汚れて湿っている、暴力は強い者から弱い者へと次々に引き継がれ、知的であることは弱さで残虐であることは強さ、事態は思っていたよりも悪い方向へしか転がらず、それが好転する兆しは一切訪れない。これは人形によって描かれたダークファンタジーなどではなく現実世界の戯画化なのだ。我々が慣れ親しんだ世界であり、今なのだ。毎日不幸だと嘆くのが辛くなり、それならと自分の身の回りを愛し幸福なのだと自分に言い聞かせる。その世界が描かれている映画だ。ずっとこの地獄を見ていたいと思わせる映画だった。
そんなことを考えながら夜の京都を歩いていたが、このまま家まで歩いて帰ってしまおうかと思った。20数キロの小さな旅を今から決行するべきではないだろうか。そうすれば電車賃も節約できる。数百円さえ今の自分には貴重なのだからそうするべきだ。途中のコンビニで缶ビールでも飲めばなんとかやり遂げることができるはずだ。そう思って暗い国道を歩き始めた。優れた映画というものは宇宙からキラキラした綺麗な粉を集めて観客に注入し普段なら湧き起こることもない気力を奮い立たせる効果がある。この映画はそういうものだ。