ZAPPA

2022年、米国、アレックス・ウィンター監督作

フランク・ザッパの伝記映画

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色んな音楽を聴いているようでいて「その辺りは全く聴いていない」というものは沢山ある。プログレというジャンルを好きな人は多いようだけれど、キング・クリムゾンピンク・フロイドもちゃんと聴いていない。他にはクラウト・ロックだとか。
ブルースもカントリーもジャズもそのジャンル史の概要がつかめる程度には聴いておくべきだと思うが、どれも課題のまま放置している。そんなものは沢山ある。
フランク・ザッパという人もファンが多くて熱く語る人も多いのだけれど、殆ど聴いたことがなかった。映画を観に行く前にSpotifyで幾つか聴いたけれど、とにかくアルバムの数が多くて全貌が掴めない。そして心を掴まれる、というほど、その音楽に対する熱狂はなかった。奇妙な音楽という印象。

フランク・ザッパという名前は勿論知っていたけれど、最初に気になったのはブルース・ビックフォードのアニメーションからだった。

ブルース・ビックフォード その1 - 人形アニメーション 夜話

アニメーションの異常さと音楽の不可解さが混じりあって、観ているだけでトリップするような感じがあった。でもそのままザッパを掘り下げることはなかった。
なので、その生涯にも功績にも明るくないまま観に行ったけれど、映画としてはとても面白かった。
とにかく精力的で音楽に対する駆動力が凄い。常人でないのは確か。そういう人にありがちな、他者を巻き込んで振り回してしまうような場面もある。
反体制、みたいな印象を持っていたのだけれど、そういうものではなくて、単に正論を述べていた人なのだな、ということも分かった。ただ、周囲や業界に遠慮せず正論、それも政治的なことを発言するというのは勇気がいることだ。孤立する可能性もあり、仕事がうまくいかなくなることもあるのだから。
「芸術的な判断は収益に左右されない」というセリフがザッパから語られる場面がある。これには大いに同意する。
「芸術的な判断」を「良い音楽であるか否か」に変換してみると、売れているものが良い音楽であるとは限らない。確かに多くの人がその楽曲を好きになるということには、その曲に多くの人々の心を掴むものがあったのだろうけれど、セールスの多寡というものは、そういう意味しかない。
それに「良い音楽」とか「悪い音楽」というものは元々ない。聴き手が好きな音楽とそうでないものがあるだけだ。好きなものを良い音楽と呼び、気に入らない、理解できないものを悪いと表現しているだけで、個人の感情、感覚でしかない。
技巧というものは確かにある。作詞作曲、演奏、録音、ジャケットワーク、そういうものに技術の巧拙というものはあるけれど、稚拙な音楽が悪いわけではない。音楽はテクニック至上主義で語られるほど簡単なものではない。ガレージ・パンクがなぜ愛すべき音楽なのかを考えれば分かる。

ザッパの音楽を聴いていて気付いたのは、自分はあぶらだこという日本のインディー・バンドが心の底から好きなのだけれど、ザッパの曲に少しだけあぶらだこの片鱗が垣間見えたことだった。どの曲だったかもう分からないけれど「あ、この曲もあの曲もあぶらだこっぽい」と思う瞬間があった。勿論ザッパの方が先行者なわけで、あぶらだこもザッパに影響されている部分はあるのだろうなと想像するだけだけれど。