勝手にふるえてろ/綿矢りさ 著

中学生の時の同級生の男子に、未だに恋焦がれている26歳の女子が、会社の同僚の男性にせまられたりしつつ暮らす話。短編『仲良くしようか』を併録。

 

映画や物語を観たり読んだりして「感情移入する」ということがあるけれど、誰に感情移入するのかというのは重要。まあ、大方は主人公でしょう。大抵はそう。でも端くれの登場人物の気持ちになったりすることってないでしょうか。

ダスティン・ホフマンが主演の『卒業』という映画があって、男女に色々あってのラストシーン。彼女が他の男と結婚式をあげようとしているところに男がやってきて、彼女を連れ去ってしまう。色々あったけれど最後には結ばれました、めでたしめでたし、という感動的な場面だと言われるのだけれど、昔この映画を名画座で観た時の感想は「残された新郎が可哀想」というものだった。彼に何も罪はない。端的に言うと、とても残酷で利己的な主人公とその彼女に憎しみさえ湧いた。どこが感動的な名作やねん、と。

最近だったら『トップガン:マーベリック』を観て、他国から戦闘機が襲来してきて爆弾を落とされる国の人の立場になってしまった。『マーベリック』を観て盛り上がってる奴らはそんなこと考えないのだろう、こんな恐ろしいことはないのに。でも、まあ、そんなことを考えないで頭を空っぽにして観れば楽しい映画ではありました。

永井豪デビルマンは、それこそ恐ろしい物語で、悪魔が蘇って世界が混乱して人間たちの残酷さが浮き彫りになるお話だが、主人公が居候している牧村家から悪魔が出たので暴徒に襲われるという場面がある。以前、Twitterで「バカはデビルマンを読んでも自分が牧村家の人間だとしか思わない」といったつぶやきがあり、確かにな、と思った。この漫画ではマイノリティになった人間がマジョリティに襲われるということもあるが、自分たちがマジョリティになって正義の名のもとに誰かをあっという間に襲って叩き潰してしまうかも知れないという恐ろしさもある。先のつぶやきはそういうことだ。

勝手にふるえてろ』も主人公の彼女に感情移入して読者は読むのだろうけれど、あまりそうならなかった。
初恋の人(イチ)をいつまでも忘れられないが、同期の男性社員(ニ)から交際を求められる。でも彼女はニのことが好きではない。好きではない理由が滔々と書き連ねられていて、それを読むと、男としてもこういう人間は好きじゃないなあと思わされる。でもだからといって宙ぶらりんのまま何度も会ったりしていて、男にすれば思わせぶりな態度しか無いし、男の気持ちを弄ぶそんな態度は残酷なことだなとしか思えない。ニの気持ちになってしまい可哀想になってしまう。
彼女にはそれなりに理由があるだろうけれど、それなりの理由があっても他人をないがしろにする行為はダスティン・ホフマンと同じくらい残酷だ。

作中には「ワルい方が強い」という一文がある。主人公が、妊娠してもいないのに産前産後休暇届けを出して会社を長期休暇してやろうと画策する場面で。確かに真理ではあると思う。ワルい人間の方が油断がならないので警戒しなければならないから。だから強いのだ。裏切りや責任放棄や責任転嫁という卑怯なカードを持っている方が強い。そしてそういう強さに憧れる人間は多い。ヤクザなんてワルい人間の典型だが、あんなものに憧れるアホは一定数いる。

そう、この小説の主人公も強い。オタク歴が長くて自分に自信が持てないという設定の割には男を値踏みし、まわりの人間をきっちり観察して判定している。どうみても自信のある態度が滲み出ている。ワルを手に入れたから強くなったのではなく最初から強い。
強い奴がワルを身につけて更に強くなり、他人を弄んで、それなりに理由があるなんてしったこっちゃない。身勝手だな、利己的だな、そう思うが、そういう強さに憧れる人は多いのだろうなとも思う。

併録の『仲良くしようか』は、どういう話なのかまったく分からないが、その分からなさの中に印象的な雰囲気もあり、こちらの方が少し面白いと思えた。