反逆の神話 「反体制」は金になる/ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター著

「差異」への欲求こそが、資本主義を加速させる。カウンターカルチャーの欺瞞を暴いた名著。

 

 

副題の『「反体制」は金になる』というのは、例えば第六章の「制服と画一性」で、学校の制服についてこのように語られている。

服装が言論と同様に表現の一形態だとするなら、多少は自由であるべきだ、そして言ったり聞いたりしていいことを制限するのは考えていいことを制限する一法とみなされることが多いから、着るものの制限は、着る人のありようを制限することになると思われる。こうした考え方が、僕らの社会にはびこる制服への敵意の動機となっている。その主張はシンプルだ。服装の画一化は必ずや知性の画一化につながる、ということ。他者から与えられた服装の指図に従う人であれば、外部から規定された自分のあり方にも従うだろう。

P283

反権力、反体制を志向する人々は制服というものを毛嫌いする。それは画一的で没個性的だという理由から。人間は自由に個性的に生きるべきだと考えている彼らは、だから制服を撤廃しようとする。誰もが自由に自分の気に入った服を着る権利があると主張する。そして北米の多くの公立学校では制服が撤廃されている状況であるらしい。

ところがベビーブーマーの子供が高校に行きだす90年代に、奇妙な事が起こった。

(中略)

アメリカ初のベビーブーム世代の大統領、ビル・クリントンは、学校制服への指示を公式に表明し、一般教書でも言及した。

制服の廃止に伴う問題は、規律の崩壊よりむしろ消費主義の蔓延であることが明らかになってきた。ティーンエイジャーのブランド意識とか衣服、スニーカーへのこだわりについて巷間聞かれることは、どこからきているのか?一つ確かなのは、制服を着ていれば服装のせいで殺されることはないということだ。クリントンはこう述べた。

「子どもたちが有名デザイナーのジャケットをめぐって殺し合いをするのを防止できるならば、公立学校でも制服着用を呼びかけるべきだ」

P284

学校での制服着用が撤廃されたことで何が起こったかというと、生徒たちがお洒落やクールを競いあう状況が発生した。それをクリントンは「有名デザイナーのジャケットをめぐって殺し合いをする」と表現している。

カウンターカルチャーを信奉する者たちは概ね消費文化を否定するが、彼らの主張通りに制服を撤廃したことによって、学生たちは高価なブランド物やクールな流行を追うといった、消費を大いに活発化させる行動に出たということを描き出している。本書にはこのような事例が沢山でてきて、これが『「反体制」は金になる』ということになる。

 

確かに著者の主張は正しい。様々な過去の思想家の言葉や考え方を提示してそれを補強する様も丹念で、反論する気はない。参考になったし感心したし、今後は多少影響もされるだろう。

しかし、そこで描かれるカウンターカルチャーを信奉する人々は、そんな人いるの?とも思わせる。

著者らが批判するカウンターカルチャーの人々というのは、制服を嫌い自由な服装でいられることを求め、流行に敏感でセンスが良く、西洋よりも東洋に真実があると信じ、機械文明を否定し、環境活動に熱心で、有機野菜の食事を摂り、消費を悪だと断罪し、西洋医学よりも代替医療が有効だと信じ、国家はいつも抑圧的だと反抗し、麻薬が精神と社会を解放すると信じ、反体制の証として自ら法を犯し、無政府主義者で、資本主義を否定する。そんな人達。

こんな人がいるのだろうか。そのどれかなら居そうだけれど。自分の周りにいないからといって「そんな人はいない」と断じるのは幼稚な態度だから疑問に思う程度に留めておくけれど、北米ではこういう人が沢山いるのだろうか。藁人形ではないのだろうか。

この本を読んでいるとカウンターカルチャーの側に立つ人が北米では多く(印象的には多数派)であり、政治や文化に大きな影響を持っているという風に受け取れる。
それは音楽を記述したこんな文章にも表れていて、第五章『極端な反逆』では、サブカルチャーを好む人達が常に新奇なものを追い求め、それが十二分に流行した頃にはダサくなっていることから、新奇なものを消費し続けていて、消費を否定する彼らが消費のサイクルにのっていることを明かすけれど

問題は模倣者が離脱しだすころには、たいがいもっともな理由があるということだ。音楽を例にとると、誰もがすごい「アンダーグラウンド」バンドを聴きたいと思う。

らしい。そんな人は周りにいない。周囲にいないからこの世に存在しないというのは合理的な物言いではないから、それは取り下げるとしても、少なくとも本邦ではこんな現象は見られない。日本のヒットチャートを見ればそうとしか思えない。「すごいアンダーグラウンドのバンド」を追い求めて聴いている人なんて音楽ファンのほんの一部でしかないと思う。

そんな風に細かいツッコミは入るとしても、全体の要旨というのは納得する。雑にまとめると、カウンターカルチャーが提唱するものはファンタジーで、この世界を変える現実的な方策を緻密に根気よく形作っていくことをさぼってきた、ということだろう。

それは日本の野党が批判される形にも似ている。現実的な政策は現与党を担う政党にしか任せられないという風に言われたりするから。同じことだと思う。

『「反体制」は金になる』の対義は、『「権力側」は金になる』とでも言えそうだけれど、それもそこここに見られる光景で、与党を無理筋の理屈で擁護したり、無駄に野党を貶めたりすることでテレビやラジオの居場所を確保している人って幾らでもいる。
ネトウヨが見るサイトや動画には多くの広告が貼り付けられていて、収益が目的であることも窺える。
書店に並ぶ差別主義者と紙一重の書籍も、出版界の吟侍から言えば恥ずべきものだろうけれど、そんなことしてでも金儲けがしたいってことでしょう?そしてそんなものが一定の読者を惹きつけることを知っているからそんな情けない商売に手を出すんじゃないんだろうか。本気でそのような思想を広めたいと思っている人もいるだろうけれど。

本書に書かれていることは間違っていないと思えるし『「反体制」は金になる』という状況があるのも事実だと思う。でも『「権力側」は金になる』という本は書店に見当たらないけれど、それも本当だと思うんですよね。