トップガン マーベリック
2022年、米国、ジョセフ・コシンスキー監督作
トムがジェット戦闘機に乗って大空をクルーズする映画。
面白かった。問答無用に。完膚なきまでに。完全無比に。
ただ、俺はこれを手放しで面白がっていていいのだろうか、といった気持ちもある。そして心の声は「考えるな」とも言っている。そんな葛藤を感想文として綴ってみたい。
先ず前提として申し上げておきたいのは、前作『トップガン』をリアルタイムでは観ていないこと。二日前に観た。予習として。なので過剰な思い入れがあるファンではないのです。MA1を着たこともないし、カワサキのバイクに乗ったこともない。ホンダとヤマハのバイクしか乗ったことない。
映画が始まって「ああ、ちゃんと前作へのリスペクトがある映画なのだな」という安心感があった。トニー・スコットが撮った前作では、冒頭に航空母艦の上で作業する人々がこれでもかと映し出され、その画面は美しかった。そして本作も。
スコットの撮ったこの場面は、36年経った今見てもスタイリッシュで格好良かったが、『マーベリック』では36年分の映像表現が更新されて進化していた。とても良い。
新型戦闘機に乗ってスピード・アタックをするシークエンスは、この映画が荒唐無稽な映画であることを高らかに宣言していて、なおかつ、マーベリックという男は36年前と少しも変わっていない無茶で無謀で、ある種の勇気がある人物であることも示している。
そしてその結果、大破した機から脱出したトムがアメリカの田舎町のダイナーにたどり着き、店にいる素朴な人々から宇宙服のようなスーツを着た姿を奇異の目で見られるというジョークで締めくくられている。ああ微笑ましい。
パイロット学校の教官になれと言われてバイクを引っ張り出して向かうトム。カワサキのバイクで。
前作のファンの為のノスタルジーにも多分に配慮されている。郷愁というものの甘い感覚を知らないわけではないけれど、基本的にはあまり好まない。だってそれは過去を懐かしむ気持ちでしょう?未来に向かう気持ちではないでしょう?不安は良い感情ではないけれど、未来への展望に不安を覚えるようなものの方が好き。それは希望と裏腹の気持ちだから。
とはいえ、ジェニファー・コネリーの家にバイクで向かう場面では、彼女の家が街区の角にあることなども前作から踏襲されていて、気遣いが細部まで行き渡っているなと思う。
感心したのは若手エースパイロットたちの描き方。彼らが次々と登場する場面では
「うわ、こんなに沢山出てきたら誰が誰だか覚えられない」
と思ったが、ルースター、ハングマン、フェニックス、ボブ、ペイバックとそれぞれの個性が描かれていて、ちゃんと判別がついて分かり易い。
そして前作では戦闘機の挙動や、誰が乗っている機体がどれなのかというのが少し分かり難かったのだが、その点も進化していて、何がどうなって誰がどんな風に振る舞っているのかがちゃんと分かる。こういうのも映像表現の進化、洗練だと思う。
個人的にはフェニックスが好きだ。軍隊なんて男社会の最たるもので、そこでエースパイロットになるまでにはどれほどの才能とそれを凌ぐ苦労があったのだろうかと考えてしまう。米軍はその辺りの男女の格差、差別の撤廃も積極的に行っているし自衛隊でもWAFと言われるような女性自衛官が活躍していて、そういうものを描いているとも言える。彼女のことをポリティカル・コレクトネスに配慮したポリコレ要員なんて陰口を他所の感想文で見かけたがとんでもない。頑張ってる女性と現実を描いてるんよ。
ただ、自分は映画に登場する強い女性が好きなのですね。それは何度も繰り返し観たウオルター・ヒルの傑作『ストリート・オブ・ファイヤー』に出てきたエイミー・マディガンのせいかもしれない。
この映画はマイケル・パレとダイアン・レインが主演の映画だけれど、パレを的確にサポートしながら女という立ち位置に甘んじないマディガンの役柄が格好良くて素敵な映画だった。あれのせいだろう。
フェニックスもそれに倣って助演と言っていい役柄だったけれど、とても力強い女性で魅力的な役柄だった。演じたのはモニカ・バルバロという方。トップガン3があるとすれば彼女の活躍を描くってのはどうよ。
以下はネタバレになるから書かない、といいつつ書くけれど、やっぱりお前が行くんかい!というツッコミを呼び起こす展開には微笑みで返すしかない。そしてF18ホーネットが空母から発艦して行く場面は最大限に美しく、編隊を組むその戦闘機の姿は勇姿としか言えない。そして彼らが往く谷での航空アクションたるや。
トム機が撃墜された時には、これで映画は終わるのだろうと思った。無事脱出して良かった良かった、みたいに。そこからの展開は予想外の展開で、最後まで緊張感を持続させる娯楽映画として最高の展開だった。若手に花を持たせることも忘れてなかったし。
そんな最高の映画だったけれど、小言を少し。
敵がどの国なのかはっきりと描かれていない。これは前作でも同様だったから、踏襲しているとも言える。でも、そのことをはっきりさせることから逃げたとも言える。
米軍が他国に侵入して破壊行為を行うことにも特に言及はない。
ロシアがウクライナに侵攻してから、ある種の意見がインターネットで見受けられたが、それは「ロシアを非難するならアメリカのやってきたことも批判するべきでは?」というものだった。世論がウクライナ支援一色になっていることへの逆張りといえばそうなのだけれど、アメリカという国がやってきたことも、まあ非道いですよね。この時期に言うことかどうかは別にして確かにそうだし、その意見だけを見れば正論でもある。
娯楽映画だから、という免罪符はあると思う。頭をスッカラカンにして難しいことを考えずに楽しみたい時は誰でもある。日常の抑圧から解放されたいのだから我々は。
でもね、そんな気持ちからエンタメに従事している人に政治的な発言をしてほしくない、といった意見になったりする。
先日twitterで、コーヒー店の店主が今般の時勢で豆の仕入れに難儀していることをつぶやき関連して政治に嘆くようなツイートをしたものに「コーヒーの情報を知りたいだけなので政治的な発言をするな」といったRTがあったらしい。
コーヒー店の店主だって政治に一言物申したいことはあるだろう。そしてそれを言うことは言論の自由などを持ち出すまでもないことだ。でもそんなRTを送る人間もいる。
芸能人に政治的な発言をしてほしくないと思う人も多くいる。お笑い芸人などは極力そのようなことを言わないようにしているようにに見受けられる。彼らは客を笑わせる商売だから政治や党派性は商売の邪魔になるだろうから。そういう意味で水道橋博士は偉いと思う。お笑い芸人なのに参議院に立候補するんだから。もう死んじゃったけど立川談志も横山ノックも偉い。130Rのほんこんも偉いのかもね。
映画の話に戻るけど、この映画も政治的なことは曖昧にして娯楽だからと、そこを描いていない。そこには政治と党派性が生まれるから。
トム・クルーズはこの映画を作るために体を張ってる。逃げてない。でも政治的なことからは逃げてる。党派性を表出させないように。
娯楽作を興行的に成功させるという意味では正しい判断だと思うけれど、それは自身の主張を映画に込めるという芸術家のやることではないのでは?。主張がないなら仕方ないけれど、日々の生活に政治の影響は不可欠なのでは?
と綴ってきたけれど、うんざりでしょう?何にでも政治を持ち込んだりするのって。その意見が多数なのだろうから正しいと思いますよ。笑い飛ばすのが良いのかもね。
でもね、かつてEastern Youthは
「バカになれ、楽になれ」と歌ったんですよ。
バカに「バカになれ」とは言わない。楽をしてる人間に「楽になれ」とは言わない。考えすぎて苦しんでいる人間にこの言葉は捧げられるんだよ。
バカになればこの映画を心の底から楽しんだと思うんですよ。政治も社会も見ないふりして、登場人物の崇高な自己犠牲に涙して、武器を行使する強さ、他国を侵害しても正義の鉄槌を振りかざす圧倒的正しさ、そんなものを無邪気に楽しめたら悩まなくて済むんですよ。この映画をただ無邪気に絶賛できるのが羨ましい。
でもね、俺には一抹の迷いがあるの。なのに映画として面白かったんだよ。だから葛藤があるんだよ。