原爆下のアメリカ

1952年、米国、アルフレッド・E・グリーン監督

米国に共産主義国が侵攻し、戦闘機と爆撃機が飛来する。彼らは原子爆弾を使用して米国を攻撃し、米国も原子爆弾を用いて抗戦する。

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アマプラのお勧めに出てきたのでなんとなく観た。1952年製作の映画だということを分かって観ないとだめな映画だと思う。

バーで数人の男女が会話していると店内にあるテレビ・ニュースから共産主義国が攻めてきたことが告げられる。そこから米国本土に敵が攻めてきて原子爆弾を使用したら世の中はどうなるのかということがバーに居た客たちを中心に描かれていく。

第二次世界大戦終結した1945年からわずか7年後に作られた映画で、まだ戦争の記憶が生々しい時代に作られた映画。なので戦場の場面は実写の記録映像を使っていて、航空機や対空砲など本物の兵器が登場している。下手に特殊撮影などを使わずに記録映像を使うことで戦争の緊迫感と驚異が映像を通して迫ってくる。ジェット戦闘機の古めかしさや爆撃機の異様な巨大さ、そして航空機が編隊飛行をする場面などは記録映像を使っているがゆえの迫力がある。ただし原子爆弾というものを軽んじている空気はある。この当時のアメリカ人は原爆のことを少し強力な爆薬くらいに思っていたのではないだろうか。

そして色んな場面がひっかかる。
バーにいた客の一人はトラクターの製造会社を経営していて、軍から戦車の整備をするよう依頼されるが、自分が築き上げた会社のやることを政府に指図されるのは不愉快だと言う。
畜産業を営む男は税金が高過ぎるので事業を拡大できないとぼやく。
いずれも政府に対する不満をこぼしている。
しかし戦争が始まるとトラクター製造業の男は社内に共産主義者がいたことで殺され、畜産業の男も敵国の攻撃によって家族と共に亡くなってしまう。
何れも政府の施策に不満を抱いていて国防や共産主義の驚異に無関心だったことから不幸な結末にいたる。

映画の結末は今の時代ならば禁じ手の方法だが、この映画の教訓としては、政府の政策に協力して国防に関心を持ち共産主義の驚異を意識しないとアメリカが大変なことになる、ということを示している。

ただ、この時代のことを考えて欲しい。
米国ではマッカーシズムによる赤狩りの時代だ。米国の映画産業でもその影響はあった。
この映画は、その時代に作られた映画で、マッカーシズムを肯定し共産主義を否定する内容の物語になっている。
凄く気持ちが悪い。戦争の脅威を描いた娯楽作のような顔をしているが、反共プロパガンダ映画になっている。
監督のアルフレッド・E・グリーンは映画公開時に63歳で、当時でいえば老齢と呼んでいい年齢だろう。どういうつもりでこの映画を作ったのだろうか。
英語版Wikipediaを見るとこの映画は「典型的な赤狩りジャンルの映画である」と書かれている。そういう映画なのだ。

映画に社会性を求めるか否かということをここではよく書いている気がするのだが、社会性のない娯楽作のようなフリをして権力者の意見を代弁しそれを啓蒙するような映画は作られる。そういうことには気をつけないといけない。「音楽に政治を持ち込むな」と言われたのは何の話題だったか忘れたが、エンタメに政治を持ち込むのが嫌だと色んな人が言っても、権力者はそんな彼らよりも狡猾なので、彼らの好む物語にひっそりと政治性を埋め込んでいたりする。そういうものだ。