ゴジラ−1.0

2023年、日本、山崎貴監督

終戦直後の日本にゴジラが来襲。

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主人公の神木隆之介は特攻隊員だったが、ある手段で特攻を回避していた。そして辿り着いた基地でゴジラに襲われるが、そこでも役目を果たせなかった。特攻を回避したのは、怖気づいたのか、特攻というものに疑問を呈して抵抗したからなのかは映画を観ていてもよく分からなかった。でもこれは大事なことだ。落とし前をつけるのに、不甲斐ない自分に落とし前をつけるのか、愚かな為政者に対してけじめをつけるのかが変わってくる。なんでも台詞で説明して分り易くしてしまうのが昨今の日本映画だけれど、ここははっきりと描かれていなかったように思う。

ゴジラが出現するのに何も意味も理由もない。ゴジラというのはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、原水爆によって生まれたという批評が原点にはあった。今回も核実験によって凶暴化したという含みは持たせてあったが、東京を襲う理由はない。
理由がないからこそ自然災害の象徴でもあるといえる。地震や台風のように人為的な災害でなく、太刀打ちできない自然の猛威としてのゴジラがあるとも言える。その点は映画を通して貫かれた思想があったと思う。

現代の日本映画をあまり多くは観ていない方だが、それでも思うのは、台詞やキャラクターの造形がはっきりしすぎていてアニメみたい。善と悪が混濁していたり勇気と臆病が入り乱れていたりといった複雑な登場人物は神木隆之介だけで、その他は、豪胆なものはその通りで知的な人物はそのまんま。登場人物の色がはっきりしているのは分かり易いが、複雑な人物造形というものにはほど遠い。

ゴジラの姿は巨大さが感じられて、その理不尽な破壊が止められると思えないくらいの恐ろしさがあった。海の上で船を追うゴジラ、陸上でビルをなぎ倒す巨体など見どころは多く、日本のVFXもここまで進化したと感じられる出来栄えだった。

日本映画だと役者の下手な部分(もしくは演出のくさい部分)はどうしても鼻につきますよね。

ドラマパートを観ていて思うのは、結局、徴兵されて戦争にいかざるを得ないのも戦火に追われて困窮するのも災害なのだなという印象だった。国家による戦争の判断には為政者による責任が生ずるものだと思うが、そのようなことは佐々木蔵之介の台詞に少しあったくらい。日本人にとって政治家の判断で国民が右往左往せざるを得ないのは自然災害みたいな事かもしれない。でも災害だと思えば受け入れざるを得ないが、人為的なことは回避できるしそうするためには適正な民意が必要だと思うのだけれど。

ゴジラが出てきて破壊の限りを尽くす場面は満点。ドラマパートは首を傾げるところも多々あったが、粗探しをしても仕方ない。まあ、なんだかんだで結構楽しんだ。