文章読本/吉行淳之介 選・日本ペンクラブ 編

20名の作家による文章術の極意と心得

 

谷崎潤一郎井伏鱒二川端康成三島由紀夫、他、錚々たる文豪の書いた文章術が掲載されている。しかし良い文章を書く秘訣は分からなかった。もっと小手先のテクニックを伝授して欲しかった。吉行淳之介のあとがきにも

ここに登場していただいたのは錚々たるかたがたばかりだが、十枚ほどの短文ではほぼ例外なく、「これは、厄介な原稿を引き受けてしまった」という気配がある。

と書いていて、文章術のテクニックを安易に伝授するような内容ではない。
付録の丸谷才一との閑談では、谷崎潤一郎の『文章読本』はカネに困っていた谷崎が金策に困り引き受けて書いたものだそうだし、川端康成の『新文章読本』は弟子の代作であるらしく、文章術というものは文豪であっても進んで書きたいものではないらしい。

子供の頃の児童文学から始まって、青年期から大人になっても、それほど読書家とは言えないが、そこそこの本と文章は読んできているはずだけれど、未だに良い文章が何なのかが分かっていない。工学系の人なので文章の鍛錬をあまりしようと思ったことがないからだろうか。文系の人はそういう訓練をするのだろうか。
文理のことで言うと、写真のジャンルに廃墟や工場写真というものがあるが、ああいうものを見て確かにキレイだなとは思うのだけれど、生き物のようにうねる配管群を見ると、このダクトは空調か換気/排気のためのものだろうな、この塩ビパイプは排水管だろうか。勾配がついてドレン弁が所々に付いているのは蒸気管だろう、みたいなことが分かってしまう。その画像に含まれる意味や部品の機能が分かってしまう。
なのに、こと文章ということになると、どのように部品を配置してどのように組み立てればどのような効果があるのかといったことや、こういうことはどういう風に書くべきかとか、そういうことがまるで分かっていない。
文体や、小説であれば人称によってどういう作用があるのかという専門家、批評家の解説を読んで初めて「へーそうなのか」と知ることになる。
文章を丹念にその構造を観察するように読んだこともないし、やってみようとしてもその素養がないと思う。ただ読みやすいとか、装飾や比喩の多い文章だなくらいのことしか分からないだろう。

例えこのような感想文ブログであっても、もう少しきちんと考えて自分で満足がいくような文章が書けるようになりたいとは思っているのだけれど、子供が粘土を目的もなく捏ねているうちに動物の形になってしまった、というような成り行き任せでしか文章を綴ることができていない。みんなどうしているのだろうか。ただ単に感が鈍いというだけのことだろうか。