神戸・続神戸/西東三鬼 著

戦時中の神戸、東京から神戸に遁走した男はホテル住まいとなり、そこでうごめく住人たちと生活を共にするようになる。

神戸・続神戸 (新潮文庫)

神戸・続神戸 (新潮文庫)

  • 作者:西東 三鬼
  • 発売日: 2019/06/26
  • メディア: 文庫
 

 

文章術の本などを読んでいたら川端康成井伏鱒二が読みたくなって書店に行こうと思った。しかし地元の書店は百貨店の中にあり、緊急事態宣言中なので営業していないのだった。時勢だから仕方ない。書店が悪いわけではない。

梅田を通る用事があったので堂島のジュンク堂まで行った。大型書店の棚をくまなく見て歩くのはそれだけで楽しい。あれもこれも読みたいという欲が湧いてくるから。最近は欲望が枯れてしまったようになっていて、珠の休日も横になってウトウトしている内に一日が過ぎてしまうようなことばかりだった。仕事の疲れが抜けず、なんとか休日に体力を回復せねばと思うだけで、他にやることといえば酒を飲むくらいしか思いつかず、毎日の労働で体力だけでなく気力も削がれていた。書店に行って読書欲が湧いてくるだけでもありがたい。

新潮文庫の棚を見ていると気になる表紙の一冊があった。町の情景を描いた版画のその表紙は小さなパノラマを見ているような心躍るもので、タイトルは『神戸・続神戸』とシンプル極まりない。著者の西東三鬼という名前も全く知らないけれど良い感じの薄さで、文庫本なのに分厚くってそこそこお値段のするものも貫禄があってそれはそれでよろしいけれど、持ち歩いたり寝転がって読むには少し負担で、そういう意味では文庫本というのは薄いほうがよろしい。そう思ってる。要は書籍の中身は何も分からないけれどなんだか惹かれるものがあって購入したのでした。

 

戦時中の神戸でホテル住まいをしていた著者(主人公)の生活が描かれている。そこに住んでいるのは

日本人が十二人、白系ロシア女一人、トルコタタール夫婦一組、エジプト男一人、台湾男一人、朝鮮女一人であった。十二人の日本人の中、男は私の他に中年の病院長が一人で、あとの十人はバーのマダムか、そこに働いている女であった。彼女等は、停泊中の、ドイツの潜水艦や貨物船の乗組員が持ち込んで来る、缶詰や黒パンを食って生きていた。

 戦時下の神戸で彼らと暮らした日々というか騒動というか厄介事というかそれでもやはり日常というか、そういう生活が描かれている。

どの登場人物も個性的で、無頼でお人好しでたくましく、駄目人間でありながら独立している。官憲に流されず自分の力で生活を営んでいる。神戸の町並みが思い出され、そこで奇人たちが闊歩している情景がとても楽しい。

 

小説だと思って読み始めたのだけれど、少し調べると、著者は俳人で当時は実際にこのような生活をしていた模様。実体験を書き綴っているようだが、虚実入り混じっているようにも思える。

新潮社のこの本を紹介しているページを見ても小説とは書いていない。裏表紙には「魔術のような二篇」と書かれており、これも小説であるとは明示されていない。本文、第九話『鱶の湯びき』には著者の筆により

 私は「神戸」の話をすでに八回書き、これからも書くのだが、何のために書くのか、実はよく判らないのである。読者を娯しませるためなら、事実だけを記録しないで、大いにフィクションを用いるだろう。しかし、頑強に事実だけを羅列していたところをみると、目的は読者の一微笑を博したいのでもないらしい。

 

とある。事実だけを記録しフィクションを用いていないということが書かれている。少し重複するけれど、解説の森見登美彦氏によると

 西東三鬼は「読者を娯しませるためなら、事実だけを記録しないで、大いにフィクションを用いるだろう」と書いている。しかしながら、同じような素材をイカニモな小説に仕立てたところで、「神戸」のような面白さや凄みが描きだせるだろうか。それは疑わしいと私は思う。むしろ「大いにフィクションを用い」ないからこそ、この作品は傑作になったのである。

 だからといって、「フィクションでない」と言い切ることもできない。

 

と書いている。本当の話なのか作り話なのかは気になるところだけれど、その境界が曖昧な話というのもいいかも知れない。

かつて無頼な生活を送っていた、というようなやんちゃ話を酒場で知らない男から聞かせられることもあるけれど、そのような話で面白いものもあるしそうでもないものもある。

なんだかただの苦労話を湿り気たっぷりに聞かせられるのは鬱陶しくてかなわない。俺様自慢があちこちに吹き出しているような語り口も気に食わない。

そう思うとこの本は昔のやんちゃ話の一種ではあるけれど、乾いていて情にまみれたウエットさがなく、大変な日々を笑い飛ばすような軽やかさがある。小説なのか実話なのかの境界が曖昧なように、現実のようでいて幻想譚のような、それこそ魔術的な語り口と内容のお話だと思う。

『続神戸』は『神戸』から3年後に書かれたもので、同じ著者がほぼ同じ時代のことを書いてもこれほど印象が変わるというのが不思議な感じがする。

井伏鱒二は自分の小説について、戦時中のシンガポールにいてその土地のことを書いたものと日本の静かな谷間の釣宿で書いた小説との文体が同じであると記し、題材によって文体は変わるべきかもしれないと前述の文章術の書籍に書いている。
『神戸』に続く『続神戸』はそれほど文体が変わっているとは思えないのだけれど、戦中の話と戦争直後の話という題材の違いや、著者の執筆の意欲みたいなものが違うのだろうか。大きく印象が異なってこれはこれで興味深い。

 

偶々出会った本だったけれど大層に面白い書籍でありました。