武蔵野/斎藤潤一郎

絶望した漫画家は都会でも田舎でもない黄昏の境界へ……『死都調布』作者が漂着した前人未到の旅漫画。

なんと言えばいいのだろうか。著者と思われる人物が関東近郊を訪れ歩き回る。目的もなくただ歩いていく。物語として語るようなことはあまりない。言葉で説明できるのなら漫画でなくてもいいのだから。

著者のTwitterから

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斎藤潤一郎 on Twitter: "トーチwebで連載中(全話無料配信中)の旅まんが『武蔵野』 第7話『江東区』 ↓公開されました! https://t.co/Msxe5qS9oO ↓1話から6話までも無料で読めます https://t.co/aoecrT4lUd #江東区 #武蔵野線 #一人旅 よろしくお願いします! https://t.co/dlvNO2WojS" / Twitter

 

 

町の情景が印象的で、読んでいるとずっと路地を彷徨っているような気がする。つげ義春の『ねじ式』で目医者の看板ばかりが並ぶ路地だとか、つげ忠男が描く無頼な町の裏通りだとか、川崎ゆきおが『猟奇王』で描くような薄暗いどぶ沿いの小路だとか、そんなものが思い出される。

なぜ路地を徘徊するのが好きなのか自分でもよく分からない。散歩をしていても大きな明るい通りよりも狭い裏道を歩く方が楽しい。そんな散歩をしていると入り込んだ路地は突き当りで袋小路になっていたりして、住人に「なぜこんなところにやってきたのか」と見咎められることもある。子供ならそんな目に合わないだろうに大人というのは不便なものだと思う。
ずっと路地を探検して回りたいが、そんな入り組んだ小路もいつかは終わり大通りに辿り着いてしまう。外国の、車も通れないような隘路が入り組んでいて迷路になったような、観光客が入り込んでしまうと出てこれなくなるような、そんな町の写真を見た時に、憧れると共に日本にもそんな町があればと夢想する。
『武蔵野』を読んでるとそんな夢想が漫画になって目の前に表れてきたような気分になる。深夜の静まり返った町を散歩する時のような、人類が死滅して誰もいなくなった街路をさまようような、旅先の知らない町で迷ってしまったような、スラム街に入り込んで途方に暮れるような、そんな思い出と夢想が混ざりあったような気分になる漫画だった。