何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から/斉加尚代 著

何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から/斉加尚代 著

大阪のテレビ・ラジオ局、MBS毎日放送でテレビ・ドキュメンタリーの作り手である筆者が、自身が手掛けた作品を元に報道の現場を記す本。

 

著者がディレクターとして制作したドキュメンタリー作品の取材過程と、そこでの様々な出来事に対する著者の考えなどが綴られてる。そのドキュメンタリー作品とは

『映像15 なぜペンをとるのか〜沖縄の新聞記者たち』

『映像17 沖縄 さまよう木霊〜基地反対運動の素顔』

『映像17 教育と愛国〜教科書でいま何が起きているか』

『映像18 バッシング〜その発信源の背後に何が』

の4作品となっています。いずれもMBS毎日放送の深夜帯にテレビ放映されたもののようです。地元局ではあるけれどテレビを持たない身であるので、どれも拝見したことはないけれど。
現代の政治や社会に少しでも関心がある人ならば、そのタイトルでどんな事柄を描いているのかは想像できるのではないかと思う。『教育と愛国』については現在映画化されて公開中のはず。見に行こうと思っています。
面白いと言ったら懸命に番組を作っている著者には軽い感じがするけれど、読了して面白かったという感想を持った。通底する記者魂みたいなものが感じられて頼もしく思うと共に、テレビメディアの中の人はこんな風にもがいて戦っている人がいるというのが感じられて、テレビを軽視する気持ちがあったのを少し反省した。

本書の書名は『映像18 バッシング〜その発信源の背後に何が』に繋がっている。

記者を特定し、バッシングという名の個人攻撃を加えることで報道や意見を封じようとする過程がつまびらかに記録されている。この手の書籍でネタバレというのもおかしいが、バッシングの正体が追跡と観測の成果として明かされているので、その謎が解き明かされるのを期待して読み進めるのも一考ではないかと思う。

本書の中でも放送局の予算が潤沢でないことが語られている。
報道、その源泉となる取材には人が動いているのだから、我々がニュースを受け取るまでには、お金が必要なのは子供でなければ分かる。分かるので、そういうメディアにお金を払うべきだとも思っている。新聞であれば、お金を払って購読する読者が沢山いれば、取材に経費もかけられるし、読者の期待にも応えられるだろう。良い報道を期待するならば、彼らに正当なお金を払うべきなのだ。そうすることによって政治を監視するメディアの機能も作用する。

でも個人的なことを言わせて貰えれば新聞を購読するような経済的余裕はない。本当に。テレビであればスポンサーのご厚意で無料で見られるだろうけれど、テレビを買い換える金もない。NHKの受信料も払えない。実際払ってない。見てないのだから払う必要もないだろうが。

そう思うと、社会を支える人々が貧困によりメディアや報道を支えることができなくなると、お金を持った資本家や公共にメディアは支えて貰わなければ生きていけなくなるんじゃないかな。で、結局金持ちの意見や考え方を垂れ流して市民はそれに洗脳されたり、大本営発表だけしか放送できないメディアができあがるんじゃないだろうか。

あまりにも妄想でSFっぽいけれど、あんまり遠い未来ではないような気がするのだよな。