ゴッドファーザー

1972年、米国、フランシスフォード・コッポラ監督作

ニューヨークに根を張るマフィア、コルリオーネ一家の興亡を描く映画。

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『午前10時の映画祭』という名作映画の再上映で観てきました。映画を観続けていく上で、どうしても外せない名作とか、観ておくべき傑作というものがあって、そんな中の一本。でもそういうのをちゃんと観ていなくて初見です。映画通とか映画マニアに成れない所以だと思うけど。

冒頭の結婚式の場面からずっと楽しい。なんでだろう。期待していたようなヴァイオレンスがいきなり登場するわけでもないのに、この先どうなるのか、この人物はどういう人間なのだろう、と思って集中して観ていたからかも知れない。なぜかこの場面から心躍る感じがして映画が終わるまでそれが持続した。それには登場人物たちの立ち居振る舞いと台詞から、その人物の個性と立ち位置が徐々に浮かび上がってくるという興味もあるけれど、何か映画の技法が隠されているのかも。

他の組織との対立と内部での結束や裏切りという日本のヤクザ映画や企業小説でよくある展開だけれど、そのことの何を人は面白いと思うのだろう。実際に会社でそのような物事があったりして、それに直面したり振り回されたりすると面倒この上ないことで、現実に自分の周りには合ってほしくないことこの上ないのだけれど、でも映画や小説のような物語の中では面白いと思ってしまうんですよね。日本の戦国時代で戦国大名の駆け引きみたいなのが人気があったり、そもそも三国志なんかもそういうもので、人間はずっとそういうものが好きなのだなと思わざるを得ない。やっぱり群れを作る生き物だから、その群れの勃興みたいなのは自分の生存に大きく関わるので興味を持つように遺伝子に書いてあるのかも。

どうしても日本のヤクザ映画、『仁義なき戦い』みたいなものと比べてしまう。製作年も『ゴッドファーザー』は72年、『仁義なき戦い』は73年とあまり変わらない。どっちも第二次大戦終結直後という時代設定も同じになっている。違うのは『ゴッドファーザー』の方は血縁の関係なのに『仁義なき戦い』の方は擬似的な血縁関係だということ。盃を受けるという儀式を経て、本当の血縁ではないけれど血の契を交わす。そして「ファミリー」と同義の「一家」に加わる。この辺りの違いは西洋人と日本人の文化的違いだろうか。でも『ゴッドファーザー』でも本当の子供ではないけれど、幼いときから面倒をみてきて兄になったキャラクターも居たし、どうなんだろ。

3時間近い映画だったけれど退屈したりすることなく緊張感と集中力が維持できる映画だった。途中で猛烈に腹が減ったというのはあったけれど。その内に残りの2作も観ることになるだろうな。