極私的2019ベスト
もう12月末ですから
■映画
『蜜蜂と遠雷』
augtodec.hatenablog.com新作の日本映画で「これは凄い」という映画を久しぶりに観た気がする。監督は石川慶。原作を読んでいたので、あの長大な物語をどう2時間で表現するのだろうかという興味を持って観に行ったのだけれど、それを凌駕する映画としての素晴らしさがあった。映像に詩情があり品格があった。同時期に観た『マチネの終わりに』が素晴らしい原作をただのテレビドラマのようにしか作れなかった作品だったことと比較してしまう気持ちも多分にある。石川監督の次作にも期待している。
次点
『バンブルビー』
augtodec.hatenablog.comトランスフォーマー・シリーズに思い入れはないのだけれど、愛車との出会いと別れを特撮ロボット・アクション映画に込めた本作は、ちょうど愛車を処分した自分には刺さりまくった。以来、車を売却したことを後悔しつづけている。車を持ってない人生がこんなに淋しいものだと思わなかった。
■読書
『告白』
augtodec.hatenablog.com町田康による河内十人切りと言われる事件を題材にした小説。明治期の河内の世界に完全に引き込まれた作品で、その世界に浸っている時間がとても心地良いものだった。八尾とか河内長野あたりに行く度に、町田康の小説で描かれた風景と比較してしまう。現代日本文学の傑作だと思います。
次点
『大日本帝国の興亡』
augtodec.hatenablog.com太平洋戦史である本作ですが、日本軍の不甲斐なさを知るのによい本だった。
自国の負の歴史を抹消したがる人達が多くいるけれど、歴史というのは後から如何に言葉を連ねて取り繕おうとしても事実は事実でしかない。歴史修正主義と言われる彼等は、負の歴史を無かったことにしたいようだけれど、失敗や失策から学ばなければ同じ過ちを犯すし、その兆候に気付けないことになる。自分としては負の歴史をこそ知りたいと思う。
■音楽
『Machina Nostalgia』
augtodec.hatenablog.com江藤直子さんが参加するジュリエッタ・マシーンによるアルバム。心地良い、聴いていて気持ちの良い音楽。
随分前からウルサイ音楽以外も聴くようになって民族音楽なども聴くようになった。元々パンクやノイズのような大音量で聴く激しい音楽が好きだったけれど、やっぱり歳をとるとだんだんそういうものを聴く頻度が少なくなってきていると思う。音楽を聴く幅が広がったと言えばそうなのだけれど、やはり耳に優しい音楽を求める気持ちも一方にあると思われる。
次点
『Who!』Selected by Parallax Records@外
augtodec.hatenablog.comノイズのライブ。なんやかんやと言いつつもノイズは好きなので聴いているけれど新しい人をあまり見つけられずにいて旧譜などを聴いて満足している自分がいる。お金がないこともあるが、毎週レコード屋に出かけて新譜を物色するようなことを暫くしていない。サブスクと言われるようなサービスは利用していないけれど、YOUTUBEで気に入った音楽を見つけて聴いたりするだけで満足してしまったりしていて、そういうことではいかんなと思う。新しい盤を聴いてライブにも出掛けるような生活がしたい。
■その他
augtodec.hatenablog.com競輪を時々見に行くようになりました。賭け事ではあるけれど、バンクを走っている選手たちを見ているとすっきりした気持ちになります。
映画はあまり良作に巡り合わなかった年かも。
読書は平野啓一郎の『マチネの終わりに』や、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、SFの『セミオーシス』など面白い本と出会うことができた。
音楽は旧譜ばかり聴いていてあまり新しい音楽を知ることができなかったが、HIS HERO IS GONEの『MONUMENTS TO THIEVES』を再発レコードで手に入れられたのがとても良かった。ずっと欲しかった盤だったから。
最近、職場が変わって生活のリズムが大きく変わった。良い方向に変わればいいと思ってる。
仁義なき戦い 完結編
1974年、日本、深作欣二監督作
広島のヤクザたちの抗争は一旦終息し政治結社となって団結することになるが、結社内での権力争いが再び始まる。
『仁義なき戦い』シリーズの最終章。この後にも同様のヤクザ映画は作られるけれど本家のシリーズとしてはこれが最後になる。でも脚本がこのシリーズを支えてきた笠原和夫から高田宏治に変わっている。そのせいかテンポが少し違う。細かいエピソードが矢継ぎ早に繰り出される今までの作品と違っている。監督は同じなのに脚本家が変わるとこうも違うのかとも思う。
出演者も千葉真一が演じた役を宍戸錠が演じていたり室田日出男が演じていた役も違う。そのせいか凶悪な感じが薄れてしまっている気がする。
シリーズを通して観て、結局この映画というのは一貫して組織に翻弄される個人の悲哀を描いた映画で、それが観客の身につまされるのだと思う。組織の中で生きていくのに主義主張を曲げたり、そもそもそんなものはなかったり、そんな人間模様が身近にあるものだからヤクザ映画の形を借りたその物語に自分の姿を映して共感するのだと思うし、その中で組織に対して一本芯の通った筋を通す男として菅原文太がいて、自分にはできないそんな生き方に美しさを感じるのだと思う。
でもこの映画の中で描かれるような、卑怯でも何でもいいから組織の中で生き残ろうとする人は未だにいるし、寧ろそういうことを嬉々としてやってる人もいる。あーゆー人たちはこの映画を観てどう思うのだろう。自分を卑怯極まりない金子信雄や田中邦衛に共感したりするのだろうか。人間の醜さを描いた映画なのに。
仁義なき戦い 頂上決作戦
仁義なき戦い 代理戦争
1973年、日本、深作欣二監督作
昭和35年の広島、村岡組の跡目争いを切っ掛けに広島中を巻き込んだヤクザ同士の抗争が勃発する。
抗争の部分もあるが、物語を駆動するのは勢力を背景にした権謀術策の駆け引きで、その過程で強硬派や裏切りや付和雷同の態度を示す者など、様々な人間模様というか群像劇が展開される。『仁義なき戦い』のシリーズというのはそういう映画だと言ってしまえばそうだけれど、本作はそういう権力者同士の駆け引きの部分が特に強く描かれていると思う。
こういうのってずっと人気があるジャンルだと思う。企業小説などの派閥抗争の話とか戦国時代の武将が味方になったり敵になったりするものも同じ。小説や歴史だけでなくリアルで会社の中で同じようなことを嬉々としてやってる人たちもいる。島耕作とかそんな漫画でしょう?
組織対組織の戦い、その裏で繰り広げられる密約と裏切りみたいなの。なんでみんなそういうのが好きなんでしょうね。どんな組織にでもあんまり強く関わりたいと思わないというか、滅私奉公的に組織に尽くすのがとても嫌なのでそういうことに魅力を感じる気持ちがよく分からない。
終盤、渡瀬恒彦が対立組織の組長を襲うシーンは色合いが昔の香港映画のようで美しい。
仁義なき戦い 広島死闘編
1973年、日本、深作欣二監督作
昭和25年の広島、村岡組と大友連合が覇を争っていた。大友勝利は村岡の勢力が伸びることに反発して無法を繰り返し、その覇権争いの中で村岡組の下部組員である山中は次々と殺人を犯すことになる。
仁義なき戦いの2作目。この映画の主人公は、親分と組を信じて殺しを重ねる悲しき鉄砲玉の山中を演じる北大路欣也だと思いますが、北大路欣也も素晴らしいけれど大友勝利を演じた千葉真一が凄過ぎるのです。無法の限り、超悪党、人でなし、極道、最大級に悪の形容詞で飾り付けても足りないくらい恐ろしいのです。一番恐ろしいのは木に吊るした川谷拓三を射撃練習の的にする場面ですが、心から楽しそうに人を嬲り殺すのです。当初は北大路欣也と千葉真一の配役は逆だったそうですが、絶対こっちの方が正解だと思う。千葉真一の発する無限の負のパワーがどぎつ過ぎるから。
北大路欣也が、上層部にはいいように使われているにも関わらず愚直に親分を信じるストイックな役柄なのに対し、欲望と行動に何ひとつブレーキがかからない男である千葉真一という対比があるので余計にそう思わせられます。
終盤、北大路欣也が警察に追われる場面では、日本家屋の連なる暗い路地を逃げ隠れする映像が続き、こういう場面や質感は日本映画でしか作れない情感だなあと感心したりしました。