植物考/藤原辰史 著

はたして人間は植物より高等なのか?植物のふるまいに目をとめ、歴史学、文学、哲学、芸術を横断しながら人間観を一新する、スリリングな思考の探検。

植物考

植物考

  • 作者:藤原辰史
  • 生きのびるブックス株式会社
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アルバイトではあったけれど植物に関わる仕事を少しだけしたことがある。だからなのか、植物の話は面白い。
ただ、植物を語る時の語り口として「植物は意外と人間よりも賢いところがある」という言い方をよくみかける。動物と植物は生物としては同じだけれど、やっぱり違う。だから人間より賢いということが優れている理由であるというのは、結局のところ人間が基準での物差しでしか無いように思う。
著者は文系の学者さんで農業史がご専門らしい。なので生物学や農学の専門家が語る植物についての語りとは違う感じがあって面白かった。

先の「植物は意外と人間よりも賢いところがある」という語り口は、植物にも人間に似た振る舞いがあり、なおかつ人間よりも優秀である、という風に語られるが、本書は逆だったりずらしていたりする切り口がある。
例えば「種について」の章では、人間が船で大陸間を移動するようになって新大陸から欧州へ、そしてその逆の経路でも植物の種が運ばれることによって、様々な植物の生息域が広がったことが書かれている。それは昆虫や鳥や動物が花粉や種子を運ぶのと変わらない行為であって、人間が植物に使役されているようなものだ。
思想の広がりという文系的な課題(情報工学的でもあるけれど)にも植物の種子が撒かれてそれが広がり芽を出すという植物の振る舞いに似ていることが書かれている。植物が人間の振る舞いに似ているのではなく、人間の振る舞いが植物に似ているという考察は面白い。

植物に関わる仕事をしていたから知っているけれど樹木や草木というのは非常に強いもので、建物の基礎を持ち上げたり地中に埋設された管を押しやったりもする。これらは根の作用だけれど、枝葉も幾ら剪定しても次の季節には着実に伸びて建物の屋根や壁に不要な力を押し付けたりする。植物は利己的で生育環境が整っていれば自分の領土を広げようとするから。
森の中で樹木は共生していると言ったりするけれど、あれは利己的に枝葉を伸ばした樹木の勢力バランスが均衡しているだけで、片方が弱ったり折れたりすれば樹木は情け容赦無くそちらに枝葉を広げてしまうはずなのだ。優しさみたいなものは植物にはないと思っている。

そう思うと資本主義だとか資本家だとかは、かなり植物的なのではないかとも思う。彼らは市場に参入できなければそこを侵すことができないが、何か機会があればそれを見逃さず席巻するだろう。労働者はなるべく安く酷使したいし、収益は分配などせずなるべく独り占めしたい。とても利己的で、隣人が生きようが死のうがお構いなく、限りなく迷惑なのに次々と先端を伸ばしてくるつる植物や寄生植物のようでもある。
植物的な振る舞いが人間の行動にも他にもあるのだろうな、みたいなことを考えさせられて、そんなことも面白かった。