ブラック・クランズマン

2018年、米国、スパイク・リー監督作

米国の黒人史上で初めての警官となった男は、白人警官とタッグを組んで黒人への差別を公言する白人至上主義団体クー・クラックス・クランへの潜入捜査を試みる。

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黒人差別とそれに抗う人たちを描いた映画。なのに軽やかで、時にハラハラさせられて娯楽映画として面白い。シリアスなテーマを楽しい映画とすることで啓蒙がより広い層に行き渡るということを監督は知っているのだと思う。

コメディとしてとても楽しい。
アダム・ドライバーが演じる白人警官はユダヤ人だが、潜入捜査の目的でKKKに入団する際にユダヤ人でないかどうかをしつこく問われる。ユダヤ教の儀式である割礼の痕がないか「性器を見せろ」と詰め寄られる場面もあるが、結局ユダヤ人であることは誰にも見抜かれずに済む。寧ろ彼等から信頼されるほどで、KKK支部長になって欲しいとさえ言われる。
一方の黒人警官の男は、電話でKKKのリーダーや支部長たちと会話するが、これも黒人であることは見抜かれない。こちらも「立派な白人男性」だと信頼されるほどになる。
差別しているはずの対象と懇意になり信頼さえしてしまう。もうこれだけで可笑しい。
結局、肌の色や宗教で人を差別しているなんてことは根拠が薄弱でどうにでもなるし、人として付き合えば分かりあえる、というか信頼を寄せるべき相手にさえなるということで、差別主義というものの薄っぺらさを笑いに転化している。随所にこういう可笑しさが差し込まれていてクスクス笑いながら観ていられる。

先日観た同監督作の『ドゥ・ザ・ライト・シング』でも感じたが、この映画も黒人たちの主張を全肯定しているわけではなく中立的に描いている印象があった。
大学の黒人学生自治会の会長の女性と主人公が話す場面で、彼女は警官たちが差別的であることから警官を「ブタ」と呼ぶが、それを聞かされる主人公は身分を隠しているけれど警官であって、警官全てを敵視する彼女を諭そうとする。「全ての警官が悪い奴か?内部から良くしようとする警官もいるのではないか」と。彼女はそれに耳を貸さないが、こういう場面は、過激な主張に凝り固まっている人物を客観的に観た時の滑稽さを皮肉っていて、過激思想に与しない真っ当な態度が見てとれる。

黒人差別に関する色んな事件が示唆されるが、今ひとつ知識がないので理解できなかった個所もある。
主人公が警官採用の面接を受ける場面で「初めての黒人警官として採用される君にはジャッキー・ロビンソンと同じ状況が待っているんだぞ」と面接官から言われる。
後で調べるとジャッキー・ロビンソンメジャーリーグ初の黒人選手らしい。マスコミやファンから中傷を浴びながらも活躍した選手のようだ。
無声映画の『国民の創生』をKKKの団員たちが鑑賞する場面があったが、映画がKKK再興の切っ掛けとなり、人種差別的だと批判されていることも映画を観ている途中に知った。
また、映画の終盤で黒人の老人が過去にあった黒人リンチ事件を語るが、これも黒人差別の象徴的な事件である1916年のジェシー・ワシントン事件だと後から知った。

喜劇として可笑しく観て楽しんでいると最後にどすんと重い現実を突きつけられる。

Black Lives Matter と言われる黒人差別に抵抗する運動が巻き起こっている今の時期に観ておいて、とても良かった映画だった。

ELLE

2016年、フランス・ドイツ・ベルギー、ポール・バーホーベン監督作

ゲーム製作の会社を経営する社長の女は自宅で何者かに強姦される。その後もレイプ犯と思われる人物から度々不審なメールが届く。が、彼女は事件のことを警察に届け出ようとしなかった。

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色んな人物が登場する。
・息子とその婚約者
・元夫とその彼女
・母親とその彼氏
・親友とその夫
・隣人の銀行員とその妻
・優秀だが意見の合わない部下と従順な部下
・そして大量殺人で服役中の父親

主人公と彼等の間で様々な事件や出来事が起こる。
・主人公は自宅で覆面をした男に侵入され強姦される。
・親友の夫と主人公は不倫関係にある。
・年老いた母親は若い男と婚約しようとする。
・息子は母親の支援を受け結婚しようとするが、婚約者は主人公とそりが合わない。
・元夫は大学院生の女性と親しい関係になる。
・強姦魔から彼女を監視しているかのようなメールが度々届く
・主人公の顔が貼り付けられた女が怪物に強姦されるゲーム動画が社内に一斉送信される。
・ゲーム動画の発信者を見つける為、社員に不法な調査を依頼する。
・主人公は隣人の銀行員の男の姿を盗み見ながら自慰にふける。
・年老いた父親が仮釈放の申請をし、世間で話題になる。


性的に背徳的な事柄が主人公の周りで巻き起こり、そしてその幾つかは主人公自身が巻き起こしているものになる。
しかし彼女は、何にも動じない。強姦されたことでさえ友人達にあっさり語り、さばさばしている。強姦魔に対しても警戒はしているが、怯えてはおらず、淡々と自衛手段を整えることで対処している。
そんな主人公の行動を、自立した女性を描いた映画、と評する向きもあるようだけれど、自立しているというよりは超人的な性格と行動力を持った人物を描いていて、ある意味幻想的でさえある。

アメリカ製のスーパーヒーロー・ヒロインを描いた映画が昨今は流行していて、彼等は何かしらの悪と戦っていたりする。そこでは超自然的であったり超科学的な力を持つものがその力を行使して世界を揺るがす大事件が起こり、それを解決する為にヒーロー、ヒロインが活躍する。

本作では、現代を舞台としていて登場人物たちはよくいる人々、というありふれた背景の前で、少し風変わりな事件が頻発するのを、外見も地位も人としての能力も人並みであるはずの主人公の女性が、特殊と言えるほどの強靭な精神力で身の周りに起こるインモラルな出来事と戦う映画になっている。バーホーベン流のスーパーヒロインを描いた映画のように見える。
映画を観ている間、入り組んだ人間関係と小さな事件が頻発する展開に目が離せなかった。強姦魔の正体は映画の半ばで露見するが、それでも興味は失われず、寧ろその後にどうなるのかの方が気になった。

バーホーベンは1938年生まれなので本作監督時は78歳のはず。その歳でこれだけエネルギーに溢れた映画を作れることに驚くしかない。少し前に観た『ブラック・ブック』も傑作だったけれど、晩年になってバーホーベンは乗りに乗っているという感じがするが、それ以前は乗っていなかったかと言えば、乗りに乗って乗り過ぎてしまって『ショーガール』で大失敗したとも言えるので、バーホーベンはずっと最高だったのかも、という気がしないでもない。

ドゥ・ザ・ライト・シング

 1989年、米国、スパイク・リー監督作

黒人街でイタリア系白人の親子はピザの店を営んでいて、客で賑わっていた。
店を訪れた客の男は、壁に飾られた有名人の写真に黒人が一人もいないことに腹を立てて、あの店に行くのはボイコットしよう、と人々に働きかける。
でかいラジカセを持ってHIPHOPを鳴らしながら街を闊歩する男はピザ店に入店するも、音楽を止めろと注意される。
夜半彼等は店に抗議をする為に訪れるが店主と喧嘩になり、それが暴動に発展する。

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およそ30年前の映画、だけどとてもタイムリーな映画で、現在アメリカで沸騰している黒人差別への抵抗運動<BLACK LIVES MATTER>とリンクしている、というか相似形のお話になっている。

前半は黒人街の住人たちの生活をコミカルに描いている。
ピザ店で配達の仕事をしている男、彼の妹、妻、酒を飲みながら街を徘徊する老人、道端でだべり続ける三人の中年男、商売が繁盛している新参者の雑貨店の店主である韓国人、4人組の男女の若者、ラジオ局のDJ、そんな人々の暮らしぶりを描いていて、社会的な問題を描いた映画だとは思われない。

後半、映画の調子は一転し暴動を描いたものになる。ラジカセの男と写真の件で抗議しようとする男がピザ店を訪れ、店主と言い争いになり、白人の店主はラジカセをバットで叩き壊してしまう。そこから喧嘩になり、野次馬を巻き込んだ騒動となり、警官がやってきてラジカセの男を窒息死させてしまったことから、店のガラス窓を割り店内を破壊して略奪する暴動となって、あげくに火までつけてしまう。

黒人を警官が取り押さえようとしてして殺してしまう。それを契機として暴動が起こり商店の破壊や略奪が起こる。30年前に映画で描かれているものと同じことが現代アメリカで再演されている。

でもこの映画は正義と悪を明確に分けるような描き方はしていない。白人が悪で虐げられた黒人が善だというような勧善懲悪の構図にしていない。

店を壊されることになる白人店主は自分の店を守る為に必死で働いている。一方の黒人はピザ配達の途中にも道草をくったり、店の電話を使って私的な話をしていたりして勤勉とは程遠い。他の街の住人たちも。

仲間が殺されたことにより暴動が発生するには、日頃の鬱屈、鬱憤が溜まっていたという描写が必要になるだろうが、それらは映画の中ではあまり描かれない。
車でパトロールする警官が黒人たちを睨みつける描写や、ピザ店主の息子が黒人を悪し様に言う場面もあるが、それくらいでしかない。
でもこれは説明するまでもないということなのだろう。予備知識として当然知っておくべきことなのだろう。
エンドロールで<無意味に殺された6人の黒人の家族に捧げる>とあって、恐らくは人種差別が引き金になった事件があったのだろうと推測されるけれど、そのことについて自分は何も知らない。既にそのような物事を知っている前提だということが明示されている。

善と悪に物事を区別して両者の闘いを描けば映画としては分かり易くなるだろうが、そういう風にこの映画は作られていない。でも黒人差別とその反動により起こった事件を描いていて、名作という言われることにも納得のいく作品で、甘いとか辛いとかいった分かり易い味でなく苦みのある映画でした。

筒井康隆、自作を語る/筒井康隆 日下三蔵・編

日下三蔵さんをインタビューアーに迎えてSF作家の御大、筒井康隆が自作について語る本。 

筒井康隆、自作を語る (ハヤカワ文庫JA)

筒井康隆、自作を語る (ハヤカワ文庫JA)

 

 

筒井康隆コレクション>というシリーズの刊行を記念してトークショーがあり、その内容を書籍化した内容になっている。話し言葉なのですらすらと読んでしまう。

筒井康隆の作品は、初期のものは中学生の頃によく読んでいた。SFが好きだったのと、はちゃめちゃで不道徳な感じが面白かったので。
筒井作品からいつ頃離れてしまったのかと本書を読みながら考えていたら恐らく『虚人たち』のあたりで、それ以降の作品はあまり読んだ記憶がない。それ以前のものも内容は殆ど覚えていないけれど。
読んでいると『虚人たち』以後は文学誌での発表が増えている。SF小説、中間小説というものから文学へ筒井作品がシフトしていった頃で、その頃の自分にはそういうものが理解出来なかった、読みたいと思わなかったということだろう。『虚人たち』は確かに中学生の自分には理解できなかった。何だか異様な雰囲気だけが記憶に残っている。

小説以外にも戯曲を書いたり童話を書いたり、俳優として映画にも出演しているし、テレビのバラエティにも出ている。一時の断筆宣言なども御本人は、何れ出版社が放っておかないから執筆依頼が来る、と面白がっていたようだ。
まったくもってエネルギッシュで精力的な人で、そういう人でなければ作家なんて職業は通用しないのだと思わせるし、そういう人だったから今も現役で活躍している人なのだろうと思う。

読んでない筒井作品が多数あり、読んでみたいという本も多数ある。『虚人たち』を今読んでどう思うのかも確認してみたい。

 

ミックス

2017年、日本、石川淳一監督

幼い頃から母親にスパルタで卓球をしこまれてきた女は、母親が亡くなってから卓球と遠ざかっていて、実家が経営する卓球クラブも傾いていた
社内の実業団チームに入団した卓球選手と恋に落ちるが、彼の浮気で恋は破局し会社も退職してしまう。
仕方なく実家に戻り卓球教室のコーチを始めるが、そこに通うのはワケありの人ばかりだった。
やがて彼女とクラブの面々は日本選手権を目指すことになる。

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ミックスというのは卓球の男女ダブルスのこと。主人公の新垣結衣とダブルスを組むのは瑛太。他にも広末涼子がクラブのメンバーを演じているし、彼等が行きつけの中華屋の店員を蒼井優が演じていてたり、端役に真木よう子とか生瀬勝久とか出演陣が豪華。

でもこの映画は主役を演じる新垣結衣を愛でる映画だと思う。彼女が躍動しているだけでいいから。

瀬戸康史が実業団のスター選手を演じているが、新垣結衣という恋人がいるのに浮気してしまうという有り得ない、全く考えられない、腑に落ちない、共感出来ない、共鳴できない、想像不可能で、とんでもない、リアリティに背を向けた展開がある。
瀬戸康史はバカでアホでおっちょこちょいでとんまで間抜けで人間として何かを忘れてきた人でなしなのだと思う。彼が出演している映画は一生観ないことにする。