対論 1968/笠井潔 絓 秀実 聞き手:外山恒一

全共闘に代表される若者たちの社会変革の運動が、国内のみならず世界で最高潮に達した「1968年」。
あれから現在に至るまで、国内ではいまだに当時を超える規模の若者の叛乱は出現していない。
そもそも、あの叛乱は何だったのか。
そして現在の日本に何をもたらしたのか。
メディアに流布される「1968年」の物語の外側から、その意義を洞察してきた笠井潔と絓秀実。
同世代の批評家同士であり、かつ時に互いを批判し合ったこともある二人。
この論敵同士による、最初で最後の「対話」の行方は——。

聞き手は外山恒一

 

 

学生運動が激しかった時代、あの時代とは何だったのかを、その渦中にいた二人の論客が語り合うという対談。聞き手はファシスト外山恒一氏。

かの時代を振り返って、どのような組織や派閥があって、どのような思想や衝突があったか、そして彼らはどう行動し、その時に笠井、絓 の両氏が何を考えていたのか、そういうことが話し合われている。

正直言うと、ここに書いてあることの殆どはよく分からない。分からないなりに探求してみればいいのだろうが、その時間も熱意もない。あまりにも奥が深い。しかし中核派革マル派という言葉は聞いたことがあるし、連合赤軍日本赤軍東アジア反日武装戦線などのテロリストと言われる人たちの名前も覚えている。
彼らがどのような出自からどのように分派していったかということも話されているが、その経緯を理解するにはもう遅すぎる感じがする。正直それほど熱心な探究心もない。しかし現在の左翼や左派といった人たちの言説のルーツはここに確かにあるのだから歴史を知ることは必要なことだとは思う。思うが、あまりにも奥が深い。
こういうことを知り尽くしていることはやはり教養だと思う。知っているからどうだということではないにしても、知っているからこそ何かを語る時に厚みというものがでてくるはずだ。

現代は、若者たちが学生運動の激しかった時代のように政治に熱く参加していない時代だが、人というものは集まりたいものなので、何かの切っ掛けがあれば再来するのかも知れない。諸外国では若者や労働者が結集してデモや騒乱のような形で集まって政府に意志を伝えているのだから、本邦でもそれができないということはないだろう。
今のニヒリスティックで冷笑的な若者たちが中年になった時には、その中年を憎む若者たちが現れるだろうから、そんな時代に慣ればまた熱い時代がくるのかも知れない。