ポル・ポト ある悪夢の歴史/フィリップ・ショート 著

1970年代、圧政により数多くのカンボジア国民を死に至らしめたクメール・ルージュカンプチア共産党)の指導者、ポル・ポトの伝記。
注釈を含むと900頁になろうかという辞書のような一冊。

ポル・ポト―ある悪夢の歴史

ポル・ポト―ある悪夢の歴史

 

 ポル・ポトの伝記ではありますが、クメール・ルージュの勃興についての本でもあります。国民約700万人の内150万人ほどを死に至らしめたという最悪の政権が如何にして誕生したのかが詳細に記述されています。まとめきれないので思ったことを乱雑に。

ポル・ポトはフランス植民地の下で生まれ、フランスへ留学して共産主義に感化されます。この時代に海外に留学することは大変なエリートだったわけですが、ポル・ポトはエリートの中ではあまり優秀な学生ではなかったようです。それでもクメール人カンボジア人)の学生運動に参加してカンボジアの独立を目指していた愛国的な若者だったということが分かります。

クメール人ベトナム人に対する嫌悪感があるというのを知りました。クメール・ルージュベトナムクメール人の虐殺もおこなっています。歴史的にタイとベトナムというカンボジアにとっての強国に挟まれて常にその影響にさらされていたことからくるものですが、フランスが植民地政策を行うのに自分達が直接統治せずに同じフランス領のベトナム人を連れて来て統治させたらしく、クメール人の植民地政策に対する不満がベトナム人に向けられたという歴史的背景があります。ベトナムという隣国の共産主義政権に大きな影響と干渉を受けたという歴史も納得でした。

クメール・ルージュの残虐性がどこからでてきたかというのも少し分かりました。クメール・ルージュの政権下になって急にそうなったわけではなく、それ以前からその残虐性はあって、例えばシアヌーク王政の頃には共産主義活動は弾圧され、政府軍は共産ゲリラを一人殺すことで兵士に報奨金を与えていて、その為に戦利品としてゲリラの生首を持ちかえっていたということもあったようです。内戦時から両者共、敵対者には過酷な制裁を下す傾向があって、これを本書ではクメール人の残虐性という風に示唆していますが時代性と戦争の残酷さと取るべきでしょう。

知識人、都市住民の虐殺については、共産主義勢力がその勢力を伸張したのは地方からで、地方の貧農の若者を取り込んで勢力を拡大してきたという背景があり、彼等は都会に住む者、知識人たちに自分達貧農の上前をかすめ取って生きている人達という憎悪に似た感情があって、それがクメール・ルージュ政権下で発露したという背景があると描かれています。そういう面はあるでしょうが、それもクメール・ルージュによる教育、洗脳によるものではないでしょうか。

都市住民を農村へ移住させ、又農民も必要とあらば移動させて、個人の自由も財産も奪うという滅茶苦茶な政策については、彼らの理想が間違っていたとしか言えません。集団農業では逆に収穫高は落ちて、多くの餓死者を生み出すことになりました。例え、どのような理想があっても個人、国民の自由を奪って強制させるということが如何に間違っていることかが分かります。
しかし、政治というものが政治家の思う理想に向けて国を動かすということは、どの国でも同じことなので、国民は政治家のすることには注視しておかないといけないという教訓でもあると思います。

粛清、虐殺については完全に狂っています。権力を維持するという目的がここまでのことを実行できるとすれば権力というのはなんと魅力的なものなのでしょう。

ポル・ポトという男は権力に対しては恐ろしいほどの執着があったようですが、個人の名声というものについてはさほどの欲はなかったのではないでしょうか。本名を隠し素生を隠し、偽名、変名、暗号名を使い分けていたというのは身を隠す、党の秘密主義という目的からの必然だとも云えますが、サロト・サル(ポル・ポトの本名)として歴史に名を残すということには関心がないように見えます。政権をとってからも実権は握りつつ、表舞台には名を出さないというところにも、それが窺えます。

全体的に思うのは、クメール・ルージュというのは旧政権を打倒することには成功したけれども、実際の国の統治については無能だったということでしょう。失政に関しても幼稚な理想を実現しようと無茶をしたとしか思えません。国を運営しようとする人達の愚かさだけが浮き彫りになってきます。

翻訳ものなので訳者の技術によるところも多いのかとは思うのですが、とてもスピード感があって小説のアクションシーンのように次々とページを捲らせます。そして、どんな一行にも歴史的事実というバックデータがあると思うと、とんでもない情報量と仕事量だと驚嘆せざるを得ません。

圧巻の一冊でした。