会計の基本と儲け方はラーメン屋が教えてくれる/石動龍 著

公認会計士・税理士として働く傍ら、地元八戸市で「ドラゴンラーメン」を開業した著者による、ラーメン屋を題材にした管理会計の入門書。「会計士・税理士としての専門知識」×「ラーメン屋の実体験」を交えながら、管理会計を具体的・実践的に解説します。

 

これ

経営者やけど、最低賃金1500円が目標っていわれてるけど、年収換算で288万円もするんだぞ。払えるわけないじゃん

を読んで、中小企業経営者というのは労働者を犠牲にしてでも己の事業の継続をはかるのだなあ、とあらためて思うのだった。
人件費が高騰すれば売価に転化すればいい話だけれど、現実はそうもいかない。そこら辺の理屈は少し弱くて、原価だとか粗利だとか利益率なんて雰囲気で話しているけれど会計学を学んだこともないので用語の正確な使い方があってるのかも不安。なので、少し柔らかい本から入ってみてはどうかと思って読んでみた一冊。
著者は士業でありながらラーメン店やワイン店などを経営していて、ラーメン店の方の実例を引きあいに出して説明しているので分かり易い。しかしやはり分かり易いだけあって会計の入門のほんの先っちょだけという気もする。

売上から変動費を引いたものが限界利益です。

変動費は売上に応じて変動する費用(材料費など)。これは分かる。

積み上げた限界利益と固定費が一致する点が損益分岐点です。

固定費は売上の大小に関わらず支払う必要がある費用(家賃、人件費など)。これも分かる。人件費は売上げが多くなれば残業代なども発生するので固定費でいいのかという疑問もあるけれど次へ。

そして

儲けをたくさん残すには、どのような条件が必要でしょうか?まず1つは、固定費を下げることです。(中略)もう1つは、限界利益を増やすことです。(中略)そして、限界利益を増やすには3つの方法があります。1つ目は、価格を上げることです。(中略)2つ目は、変動費を下げることです。(中略)3つ目は、売上げ機会を増やすことです。

とある。

先の匿名ダイアリーを書いた者の業種は分からないけれど、大方あてはまると考えよう。
価格を上げることはできないのだろう。取引先からの圧力や「それなら他所と取引します」とでも言われてしまうのだろう。この辺りも本書では「供給企業の交渉力」という項目で、中小企業は交渉力が弱い立場なのだということも書かれている。変動費、つまり原材料費を下げることについても仕入れ単価を交渉できればよいが中小企業は交渉力が弱い。「価格が気に入らなければ買っていただかなくても結構です」と言われればおしまいだ。売上げ機会を増やすとは売上げの個数、件数を上げることだが、それができれば苦労はしない。かくして固定費の内の人件費を抑制することに目が向く。理屈の上では間違ってない。

ただし、よくよく考えると、どの方法も交渉力の弱さから塞がってしまうけれど、人件費の抑制だけは経営者と労働者という立場の違いから経営者の方が強く出ることができる。結局は弱い者に解決策を押し付けているに過ぎない。臨床心理士である信田さよこさんの本には暴力が強い者から弱い者へ流れていくことが書かれていたが、暴力ではなくとも経済的な問題も強い者から弱い者へ負担が押し付けられているのが感じられる。経営者たちは結局のところ強い者には従い自分より弱い者に損を押し付けているだけなんですよね。経営者たちはそこに自覚があるだろうか。己の事業を存続するために労働者を犠牲にしていないだろうか。

最初は内容が軽すぎると思ったし堀江貴文を持ち上げているところなどがあって、危ういなと思ったけれど会計学の入門編としてはわかり易かったんじゃないでしょうか。

ボーはおそれている

2024年、米国、アリ・アスター監督

独身中年男のボーに母親が怪死したと連絡が入る。彼は母の埋葬のために帰ろうとするが不幸な出来事ばかりが起こる。

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ヘンテコな映画。
予告編くらいしか観ずに予備知識なしで観に行った。アリ・アスター監督なので結構楽しみにしていたし、この監督といえば『ヘレディタリー/継承』、『ミッドサマー』の監督なのでホラー映画だと思うじゃないですか。でもあんまり怖くないの。それよりもホアキン・フェニックスが演じる主人公のボーに不幸ばかりが降り掛かってそういうコメディーみたいだった。矢口史靖監督のデビュー作『裸足のピクニック』もそんな喜劇だった。
でも結末は違う感じ。巨大な陰謀だったみたいな。それもホラー映画の『キャビン』が登場人物の行動を全て監視していて大きなシステムが裏で動いていた、みたいな映画だったと思うけどうろ覚え。

ホラーではないしコメディとしても笑えなかったし、そもそも巨大な謎が隠されている、みたいな展開でもなかったので、どう観ていいのか分からなかった。途中の舞台劇のところも他の展開と遊離している感じだったし。よく分からない映画と言えばそうかも知れないけれど、物語の展開は理解できるから分からない映画というわけでもない。でもなにか感性で面白いと思えれば良かったのだろうけど、そんな風にもならなかった。映画としてよくできているというのは頭で分かるんだけど。

最近、本を読んでも途中で投げ出すことが多くて感性が麻痺している。興味や関心が薄れていて鈍くなっている。いけないと思うけれど自分ではどうしようもない。

文化大革命と現代中国/安藤正士、大田勝洪、辻康吾 著

一九六六年,中国を激動させ世界を驚かせた文化大革命が始まった.それは中国社会主義革命の新たな発展段階であるとされたが,八一年中共中央の「歴史決議」で大災難であったと全否定された.文革を一つの時代としてとらえ,その過程で何が目指され,いかなる結果を招いたかを,最新の資料に基づいて客観的に叙述し,文革の意味を考える.

中国の文化大革命期を中国共産党中央の政治家たちから捉えた内容。庶民、市民にとって文革とは何だったのか、どんな事が起こったのかということよりも、政治家たちの権力闘争を軸に叙述している。
文化大革命の始まりは国内で共産主義思想に協力しない反革命的な人物を批判しようとした動きだったようだが、古いものや、中華人民共和国成立前の地主や権力者をもパージし、いつ誰が反革命の濡れ衣を着せられるか分からないような疑心暗鬼の時代になっていった。思想闘争のような振りをして、その実は敵対する権力者を反革命思想だとして追い落とすような政争になってしまっている。引用すると

文革の激動がはじめて世界に伝えられたとき、中国に関心を持つ人々の間で、文革は路線(思想)闘争か権力闘争かという議論が広く行われた。だがいかなる国家、とりわけソ連の例をあげるまでもなく、社会主義国家の問題について思想=路線=権力の三者を切り離して考えること自体に無理があったようだし、現実の文革の過程を権力的側面を抜きにして理解することはできない。

ということが文化大革命の本質ではないかと思う。
結局、毛沢東指導の迷走でもあるし、彼をとりまく権力者たちの暴走でもあるだろう。そこには毛沢東の個人崇拝と中共の一部の権力者たちが大きな国の命運を握っているという寡頭政治の問題でもあると思う。

ナチスやら中国の文化大革命やらカンボジアポル・ポト政権などは他国の極端な歴史的事変だと思うかも知れないけれど、こういうことを知っているのと知らないのとでは全然違う。現代の政治家でも何も考えていない歴史に学ぼうとしない奴らは簡単に同じことを繰り返そうとするから。

雪国/川端康成 著

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。「無為の孤独」を非情に守る青年・島村と、雪国の芸者・駒子の純情。魂が触れあう様を具に描き、人生の哀しさ美しさをうたったノーベル文学賞作家の名作。

先般、向田邦子のエッセイを読んでとても良かったので、もう少し古いものでもいけるんじゃないかと思った。『雪国』は昭和、戦前のお話だし、これほど有名な小説を読んでいないのもどうかと思って読んでみたのでした。

読んでみるとするすると読める。もう少し難しいものかと思っていたけれど。

あまり心理描写はなく、目に見えるものの記述が多い。山間の温泉街の雰囲気、自然の描写と登場人物の仕草や台詞、そういうもので出来ていて映画のようだった。映画は目に見えるもので登場人物の心理も描写するもので、役者の演技、照明、構図、調度品、そのようなもので登場人物の心情を観客に伝える。下手な映画は登場人物に心の内を語らせるという台詞で処理してしまうものだけれど。小説は映画と違って心の内を描写できるものだけれど『雪国』ではそういうものが殆どなかった気がする。とても映画的。

しかし外国の人たちはこの小説をどう読むのだろうか。日本の山間の温泉街の町並みなんて文章から頭の中に想像できるのだろうか。稀に外国文学などを読んでいてもどのような建物や部屋の様子なのか想像し難いということがあって戸惑うことがあるけれど。注釈とかがたくさんついていて分かるようになってるのかなあ。英語版を読解する能力はないから、それを読んでみようと大それたことは思わないけど。

女の人差し指/向田邦子 著

ドラマ脚本家デビューのきっかけを綴った話、妹と営んだ小料理屋「ままや」の開店模様、人形町からアフリカまで各地の旅の思い出、急逝により「週刊文春」連載最後の作品となった「クラシック」等、名エッセイの数々を収録。日々の暮しを愛し、好奇心旺盛に生きた著者の溢れるような思いが紡がれた作品集。解説・北川信

向田邦子のエッセイ集。テレビドラマや食べもの、旅に関するエッセイなど。どれも心地良い筆致だけれど、食べものに関する作が特に筆がのっているような気がする。食べものについての話題は場所と時代が変わっても永久に語られるのではないだろうか。テレビなんて食い物のことばかりやっているような気がする。

向田邦子のエッセイはどれも読んでいて気持ち良いのだけれど、なぜそうなのかは分からない。分かっていたらそういう風に書けばよいのだから。それでも無理して考えてみると、あまり対立を煽るような話題がないってことかな。ドラマの話は著者が脚本家として活躍していた経験からのお話で、同じ経験を持っている人なんてそうそういない。食べものの話も争いになりようがないし、人の旅の話にツッコミを入れる人もいないだろう。話題が平和ってことはあるかも知れない。しかしそれだけではなくて向田邦子の文体、文章が良いってことがあるんだよな。でもその理由は分からないのです。簡単に分かれば苦労しないって話。