ブランカとギター弾き

2015年、イタリア、長谷井宏紀監督作

フィリピンの路上。
孤児の少女は家もなく街角で暮らしていたが、テレビの有名女優が孤児を養子にしたニュースをテレビで見て、お金を貯めて母親を買うことを思い付く。しかし「3万ペソで母親を買います」というビラを街頭に貼り出すが効果はなかった。
少女は盲目のギター弾きの老人と出会い、その傍で歌を歌うことを覚える。クラブで歌わないかと誘われ、寝る場所と食べ物にありつくが、店の金を盗んだと疑われ追い出されることになる。
町には2人の孤児の少年がいて、少女はギター弾きとはぐれ、彼等と行動を共にすることになる。

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イタリア製作ではあるが、フィリピンが舞台の映画で、監督は日本人という珍しい映画。

フィリピンの路上で暮らすストリート・チルドレンの少女と、これも路上で暮らす全盲の老ギタリストが出会って交流する話だが、二人の関係は、友人でもなければ親子でもなく、仲間のような相棒のような、なんとも言えない関係性があって不思議な味わいがある。子供を騙す大人も出てくるし、逆に社会の底辺にいるような人が彼等を助けたりもして、映画を観ている間に苛立ちと共感の間で感情が揺さぶられる。

ギター弾きと離れて、ストリート・チルドレンの少年2人と暮らす場面では、子供たちだけで窃盗をしたりして自分達だけでなんとか暮らす。この当たりは、是枝裕和監督の『誰も知らない』に似た、淋しいけれど自由でいるような感触がある。フィリピンの町並みも、汚れて散らかっているけれど、鮮明に撮影された町の情景は、なぜか乾いた感じがして美しい。

孤児を描いた映画となると、厳しい現実を描いたシリアスな物語になりそうだが、映画全体に漂う浮遊感みたいなものがあって、現実ではないどこかのおとぎ話を観ているような気分にさせられる。その点でも『誰も知らない』に共通する雰囲気がある。

子役たちも達者でギター弾きの老人も愛すべき性格が滲み出ている。誰も嫌いになれない。主役の少女・ブランカを演じたサイデル・ガブトロ(Cydel Gabutero)以外はフィリピンの街中で見つけた人たちでプロの役者ではないらしい。よくこんな魅力的な人物を見つけてきたなという感じがする。

感動的なだけでなく、不思議な感じを味わわせてくれる映画でした。

アップグレード

2018年、米国、リー・ワネル監督作

空にはドローンが飛び、地上では自動運転の乗用車が走る近未来。ガソリンエンジンの自動車を修理して販売する仕事をしている男は、顧客であるハイテク企業の経営者に車を納品する。その帰り、妻と乗っていた自動運転車が事故を起こし、車から引きずり出された場所で妻は殺され、男は四肢が麻痺する大怪我を負わせられる。
経営者は、脊髄にチップを埋め込めば体は元通り動くようになるが、未認可の違法なものなので口外しないことを条件として手術を持ちかける。
男は手術を受け、妻を殺した犯人を独力で探そうとする。

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面白かった。何も期待しないで観始めたけれど思わぬ拾いものをした。

SF映画の面白さというのは、新しいビジョンを見せてくれることだと思う。それは特撮やCGでの映像の面白さだけでなく、設定やアイデアなど。
この映画で言えば、主人公は体にチップを埋め込むことで、そのチップと脳内で会話できるようになる。体の中に相棒がもう一人いる感じ。
そのチップに体の制御をまかせることで常人には到底辿りつけないような強さと速さを発揮できるようになる。
んなことあるかい!と言ってしまえばそれまでだけれど、SFというのは嘘の科学的設定を用いてうまくこちらを騙してくれればそれで良いのであって、そんなことにつっこんでも無駄。だって体にコンピュータを埋め込んだら凄く強くなる、ってロマンがありますやんか。ロマンなんですよ、我々が求めているのは。我々って誰のことかよく分からんけど。

他にも、殺し屋の集団は腕に銃身を埋め込んでいて、肘の内側から弾を装填して掌を相手に向けて弾を発射する。アイアンマンの掌に噴射口があるような感じ。そんなややこしい手術なんかしなくても銃を持てばいいやん、なんてこと言ったら負け。だって掌から銃弾を発射するんですよ?格好良いでしょ?格好良い方が良いでしょ?

主人公がせっかく犯人を見つけ出したのに、手を下すことを躊躇したりして、何の為に犯人捜しだしたん?みたいなところや、体の中のコンピューターに頼り過ぎていて、ドラえもんに頼りっぱなしののび太ですやん、な感じもあり、他にもちょっと物語上の緩さを感じるところはあったけれど大目に見よう。
真犯人、黒幕を探す結末も、いまひとつ説得力があるとは思えないけれど、これもよしとしよう。
大甘過ぎるかも知れないが、なんとなく頑張ってるSF映画は応援したい。観ている間、結構楽しんだのだから、それで良しとしようではないか。

タクシー運転手 約束は海を越えて

1980年の韓国、軍事政権に抗議する学生や民間人のデモが頻発していた時代。
ソウルでタクシー運転手として働くキムは、妻を亡くし子供を一人で育てていたが家賃も滞納するほど困っていた。
光州まで外国人を乗せて行けば大金が手に入ると知り、客を乗せて向かう。しかし彼はドイツの記者で光州で起こっている騒乱を取材することが目的だった。

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光州事件の話。
光州事件というのは、デモを軍隊が強権で排除しようとして多数の民間人が殺された事件。今はヤクザ映画などで凄身のある演技を披露している白竜にも昔こんな歌がありました。

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ソン・ガンホが演じるタクシー運転手は、最初は学生のデモに否定的で迷惑がっている。学生なら勉強をするのが本分でデモなんてするのは間違っていると。
しかし光州まで記者を乗せていって、その現実を目の当たりにして考え方が変わる。その現実とは、軍が武力でデモを鎮圧しようとして民間人を暴力で制圧する光景。
最初はお金のための仕事だったのが、光州の光景や市民たちに助けられたりして次第に考え方が変わる。
そして、取材したフィルムを持った記者をなんとかソウルまで送り届けて世界にこの事件を報道してもらおうとする。

自国の暗い歴史を描いたという点を最も評価したい。美点も汚点も全て含めて歴史であって、美点だけで塗り固められたようなものは歴史ではない。どんな国にも酷い事件はあってそのようなものと向かい合ってこそ歴史が意味を為す。わざわざそんなものをほじくり出して見せつけなくても、という意見も、暗い歴史をなかったものにしようとする捏造行為も、歴史と向き合っていないという意味で同等でしかない。でも韓国映画は、そういう負の歴史をきちんと描いている。

映画はシリアスなだけでなく、コミカルな面も持っていて、ソン・ガンホの立ち居振る舞いにはクスクスと笑わせられる。
以前、ネットであった「韓国映画ベスト100」といった記事を見てもソン・ガンホ出演作は沢山ベスト100にランクインしていたくらい名優なのに、普通のおっちゃんにしか見えない演技をしてくれる。

軍の封鎖をかいくぐり光州に入ったものの逆に光州を出ることができなくなり、電話も遮断されていて、運転手は家に小さい娘をおいてきたことを心配する。そういった家族愛を描いた場面や、光州で車が故障し地元のタクシー運転手たちに助けられたり、デモに参加する学生や記者と打ち解けていく場面など、人と人の関わりが変化していく様も描かれていて、ただ単に歴史的事件を描いたという映画ではない。娯楽としての部分も沢山描かれていて最後まで楽しい。

町の光景で気付いたのが、日本車がよく走っている。あれはクラウン?昔のマツダ?みたいに思っていたが、検索してみると韓国のヒュンダイやキアが日本から部品を輸入して作った車らしい。見掛けは日本車でも作られたのは韓国で、そういう車が走っていた時代だというのが分かった。

シリアスで暗い話になりそうな歴史的事件を娯楽作として成立させていて、韓国映画界の力量がうかがえる傑作だと思います。

ワンダー 君は太陽

2017年、米国、 スティーブン・チョボスキー監督

生まれつきの遺伝子疾患と度重なる手術で人とは違う顔の少年は、自宅学習を続けていたが母親の勧めで初めて学校に通うことになる。そこでは同級生に奇異にみられたり避けられたりする。

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個人的に映画評論家の中ではかなり信頼度の高い松崎健夫さんがこの映画を絶賛していたけれど、どうせお涙頂戴の難病ものなんでしょ?そんなの観ないからね、みたいに思って敬遠していたのです。でも、珠にはそういう映画もいいか、なんて気分で観始めたらボロ泣き。そういう映画じゃないのでそういう映画だと思ってる人は観て!めっちゃ良い映画だから。松崎健夫ごめん俺が悪かった。

子供の世界というのは残酷で、ポリティカルコレクトネス的な差別しないとか平等でいようとか、そういう考え方はまだ身についてない。剥き出しの野性と言うと言い過ぎだけれど考えるより感性で物事を判断して行動しがち。でもそんなことは誰も責められない。だって子供だから。そういう時期は誰にでもあるから、大人になる過程でそういう意識を学んで身につけていくものだから。大人になっても身につけてない人も世の中には沢山いるけれど、それはまあおいておきましょう。言うても仕方ないから。

主人公のオギーは最初、同級生からその見た目のせいで避けられるけれど、成績優秀で、そんなことから友達ができて、でもその友達にちょっと裏切られたり、仲直りしたりという子供らしい成長を遂げる。その過程が見ていて胸にぐさぐさくる。
何の屈託もない子供時代を過ごした人っているのだろうか。自分のことで思い出したのは同じ年の韓国人の子で、小学生の時は結構仲良くしていて一緒に映画を観に行ったりしていたけれど中学になるとその子は悪くなってそれを悪く言う人がいたり自分も疎遠になったりして、そういうことを思い出した。どっちかというと裏切った子の気持ちが少し分かる。胸が痛い。

オギーには姉がいて、彼女は両親が弟ばかりを気遣うので少し淋しい思いをしていることも描かれている。でも彼女は演劇部に挑戦して舞台で拍手を貰い、それを両親が暖かく見守るという様も描かれている。難病の主人公の話だけでなく兄弟の話や家族の話も描かれてる。

生まれつきのハンデを克服して普通の少年として過ごすという、ある意味での成功譚が主軸だけれど、子供時代の友情や、親が子供をどう大事に思っているかという家族劇でもあって色んな感情が入り混じる感動的なお話です。騙されたと思って観てみて。良い話だから。

あと、ジュリア・ロバーツがオギー少年の母親役なんですが、プリティ・ウーマンだった彼女が母親役をやる年齢になったんだなあ、みたいな感慨もあります。まあ余談ですが。

ロスト・ボディ

2012年、スペイン、オリオル・パウロ監督作

裕福な投資家の女性が心臓麻痺で亡くなった。しかし、彼女の遺体が安置所から消えて無くなっている事が分かる。警察は捜査に乗り出し、彼女の若い夫を疑う。夫は若い女性と浮気をしていて離婚せずに妻をなきものにしようと毒殺していたのだったが、死体の行方については彼の犯行ではなかった。誰が何の為に死体を持ち去ったのか、それぞれの思惑が入り乱れる。

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スペイン製のスリラー映画。
誰が死体を隠したのかという犯人探しが物語の焦点になるので、ネタバレはしないけれど意外な結末だった。伏線だとは、よもや思われないことが伏線になっていて、少し唐突な感じはあったけれどとても面白かった。

スペイン映画なんて殆ど観たことはない。思い出せるのはビクトル・エリセの『ミツバチのささやき』くらいで、あれはスペイン内戦の映画だったと思う。
本作は現代劇の娯楽作品。芸術映画ではないので分かり難い解釈がどうだとかは全く無い。約2時間、映画のリズムに合わせてハラハラして楽しませてくれる。

登場人物たちがスペイン語でなく英語を話していればアメリカ映画と言われても信じたかも知れない。でもスペイン語の会話の響きがとても新鮮で、風景、部屋の調度品、なども少し米国の映画とは違う感じがあってそういうところも興味深い。
映画のリズムやテンポは監督、編集などによって違うのだからお国柄ではない気もするが、やはりアメリカ映画とは違う少しゆったりした感じがある。
ところどころで意外な方向に展開する場面があって、ハリウッド映画ならもう少し扇情的な音楽や効果音が流れたりする派手さがあるんじゃないだろうか。そういうところが少し控え目なのかも。

フランス映画もドイツ映画もイタリア映画もあまり紹介されることがないような気がする。ましてやスペイン映画なんて。各国に色んな娯楽作品があって、その国に独特の雰囲気を持った映画があるのだろうけれど、輸入されるのは米国映画が圧倒的に多くて、そういうのばかり観ている。確かにアメリカは映画大国だけれど、他の国にもこういう面白い映画があるのだから観てみたいし紹介して欲しいなと思うのでした。