新仁義なき戦い 組長の首

1975年、日本、深作欣二監督作

九州、門司にある大和田組幹部の男と流れ者の男は敵対勢力の幹部を殺害することに成功したが、流れ者の男は罪をかぶって7年間の懲役に服する。出所後、功労が認められているはずの幹部に会うが彼は落ちぶれた存在だった。流れ者の男は罪をかぶった労の代償として大和田組に500万円の金を請求するが。

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仁義なき戦い』から続くシリーズは実録物と呼ばれるように実際にあった出来事が下敷きになっているけれど、本作は完全に創作の物語であるらしく、脚本にも3人の名前がクレジットされている。その結果、ドラマとしての起伏が大きくなって物語が面白いものになっている。
菅原文太はこのシリーズの中で主人公であったり傍観者であったりと色んな立ち位置で出演するが、本作では組織内の抗争の渦中にある人物ではなく、外部から引っかき回す役として暗躍し、黒沢明の『用心棒』のような面白さがある。
成田三樹夫が演じる幹部は非常に狡猾であるが、終盤には肝の小さいところが露呈したり、菅原文太の弟分である小林稔侍と三上寛の兄貴分に従う姿がいじらしかったり、ヒロポンを扱って大金を稼ぐ室田日出男がひたすら傲慢な男だったり、と登場人物が色濃く俳優の魅力も充分に味わえる。特に麻薬中毒になって組の中で厄介者になってしまっている山崎努がヤクザらしからぬ無法者を演じていて格好良い。

脚本は、年齢順で佐治乾、高田宏治田中陽造の3人。高田は『仁義なき戦い 完結編』からこのシリーズに加わっているが、5歳年上の佐治は50年代から日活で活躍した人、田中は高田の5歳下でヤクザ映画の脚本は本作が初めてになる。3人が知恵を絞って起伏のある物語を作りあげたことが窺える。

1917 命をかけた伝令

2020年、英・米国、サム・メンデス監督作

第一次大戦の最前線において英軍は、明日攻撃を仕掛けようとしている部隊の先にはドイツ軍が周到な準備をして待ち構えていることを察知する。司令部は二人の上等兵に攻撃中止命令の伝令という任務を託す。

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全編ワンカット、という触れ込みの本作ですが、実際はワンカットの撮影ではなく巧妙に編集で繋げているらしい。まあ当たり前で、2時間の映画をまるまる一発撮りで撮影できるわけもないとは思う。しかしほぼワンカットに見える映像で大変迫力があった。
映し出されている映像の裏側には緻密な準備と一回の撮影に賭ける労力と、移動しながら広がる景色の中の物が全てこの映画の為に創り出されたものだとう物量に圧倒された。

物語は単純で、伝令が前線を横切って伝令と任務を果たせるのかどうか、ということだが、途中にいる敵兵に何度も阻まれ、また、どこに敵が潜んでいるかもしれないというサスペンスとしてとてもハラハラしながら観た。そしてそれがリアルタイム(であるかのような)ワンカットで見せられることで主人公の兵士と同行しているような感覚を味わわせてくれた。
近年のワンカットが話題になった映画というと『カメラを止めるな』で、あれはワンカット撮影というものの内幕、舞台裏を見せることで喜劇として、そしてそこで苦労するスタッフたちの苦労が人間ドラマになって面白い作品になった良作だったけれど、本作はワンカットを迫力と没入感という効用を与える為に大掛かりな仕掛けで取り組んだ労作で、暫くこんな凄い映画はないんじゃないかと思えるくらい面白かったです。人物造形が浅い、みたいな評もあるみたいだけれど、映像の迫力に圧倒された。映画館の大画面で観た方がよい映画だと思います。

ごろごろ、神戸。/平民金子 著

書名の<ごろごろ>とはベビーカーを押して歩く音。神戸在住平民金子氏が、その通りに、幼い子供を連れて神戸の東半分を歩き回る随筆集。 

ごろごろ、神戸。

ごろごろ、神戸。

  • 作者:平民金子
  • 発売日: 2019/12/10
  • メディア: 単行本
 

 
神戸という町には時々行く。毎月一度、阪神間の街へ行く用事があって、そういう時に神戸まで足をのばしてぶらぶらしたりする。出掛けていっても本屋とレコード屋にしか用事のない人なので三宮から元町辺りの繁華な場所をうろうろするだけだが、一度気紛れを起こして新開地から湊川辺りを散策した折には好みの商店街や街並みがあってとても印象が良かった。大阪で言うと新世界や天王寺辺りに似た感じだが、大阪のそれは観光地然とした模様になっていたり、再開発で西日本一の高層ビルができて周辺もうらさびれた町並みが少なくなってしまって随分魅力がなくなった。けれど、新開地や湊川には、そんな古き良き感じが残っている場所だった。

この本は著者が小さな子供をあやす為に神戸の街を右往左往する。子供を遊ばせるのに丁度良い場所なども紹介されているし、子供と一緒に街を歩くことで気付かされることなども書かれている。なので本屋の育児書のコーナーにあったのも頷ける。
それと同時に神戸の東半分(兵庫区、灘区、須磨区など)に散在する庶民的な商店街についても多くが書かれている。個人商店の連なりでできている商店街で子供を連れて食べたり呑んだり買物をしたりして、そういう古き良き商店街の良さが記されている。そしてそういうものが徐々に失われていっていることに淋しさを覚えつつ、でもそれは手前勝手なことではないのかという自省の念も書かれていて、真に全方位的に正しいと思う。いや、合ってるとか間違ってるとかそんな問題でもないけれど。

神戸の街並、特に商店街、そして子供と行ける場所や商店街でのグルメなどについて書かれていて育児書の棚に並んでいた本だけれど、街を散策し、そこで何を思い、何かを思い出し、その上で生活に帰っていく、そういう姿に男の生き様が滲み出ていると思う。
育児書の棚に並んでいたけれど内容はとてもハードボイルドな随筆だと思う。

神戸に行ってぶらぶらしたくなる本でした。

ミッドサマー

2020年、米国・スウェーデンアリ・アスター監督作

大学生の男は男友達4人で夏至祭のスウェーデンへ旅行に出かける計画を立てていた。折しも付き合っている彼女の姉妹と両親が亡くなったことで、彼女も旅行に誘うことになる。
到着したスウェーデンの村では歓迎されるものの不穏な出来事が起こる。

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美しい食人族映画。
食人族映画の傑作『グリーン・インフェルノ』は環境活動に熱心な大学生たちがアマゾンの山中に墜落して食人族の村に囚われ恐ろしい目に会うという映画でした。
本作は、人を食う民族ではないけれど、スウェーデン僻地の村で大学生たちが異文化の応酬を受けて恐ろしい目に会うというお話で、食人族映画と似てる構成。両者共にグロテスク描写はあるものの、本作『ミッドサマー』は全編美しいのが違うところです。それとアマゾンの奥地ではなく、飛行機と車で容易に行ける地続きの文明世界であるヨーロッパの国で起こる出来事というところに妙な恐ろしさがある。

ただ、単にお化け屋敷のような観客をびっくりどっきりさせる映画ではなくて色んな要素が詰まってる。一番重要だと思われるのは幻覚剤の使用。
村に着いてすぐ彼等は楽しむ為にそのようなものを嗜む。主人公の女性には草むらに置いた自分の手の甲から更に草が生えるのが見え頭上の木も歪んでいる。その後もお茶や煙で幻覚剤を使用する場面があり、幻覚剤での酩酊感が各所で表現され、この映画の中で行われる惨事や美しさが現実なのか幻覚なのかが曖昧ではっきりしなくなり、観客を夢の中にいるような心地にさせる。

他にも近親相姦で生まれた知的障害者や登場人物たちの心情と裏腹に表面的な態度など共感したり反発したり嫌悪したりと恐怖だけでなく色んな方向に感情が揺さぶられる。
映画は物語を映像で体験することによって自身の中に生まれる感情や情感を楽しむものなので、様々な感情を味わわせてくれる本作は傑作としか言いようがない。

分からないところも幾つかある。
黒人の青年が殺される場面で彼を見下ろす男は誰だったのか、時折出てくる顔の変形した人物はなぜそうなってしまったのか、そんな、意味のよく分からない場面もある。気の効いた映画解説などがあれば是非読みたいけれど、そういうものが載っていそうな映画秘宝はもうない。

新仁義なき戦い

1974年、日本、深作欣二監督作

広島・呉の山守組では今日も内部抗争が繰り広げられていた。

https://www.youtube.com/watch?v=xR7IiGLx3k0

仁義なき戦い』でお馴染みの山守組の内部抗争を描いたお話です。が、菅原文太は広能昌三ではなく別の人物。そして若頭に今まで出演していなかった若山富三郎が出てくる。でも組長は変わらず金子信雄だし田中邦衛は組長に忠実な部下として登場する。スターウォーズ・シリーズで言えば、ダースベイダーはそのまま登場するけど、マーク・ハミルハリソン・フォードもキャリー・フィッシャも別の役を演じているという感じで、配役と登場人物の辻褄はどうでもいいと割り切ってる。この時代の日本映画の自由奔放さが開放されている。スターウォーズ・シリーズなんてあんなに辻褄を合せるのに苦労しているのに。

山守組若頭の若山富三郎が刑務所で服役している間に、金子信雄若山富三郎の女に「わしの女になれ」と強要する場面がある。金子曰く「あいつは刑務所から出てきても一銭の金も持ってない、それに比べてわしは金があるぞ」と言って股間から札束を見せびらかす。金子信雄の品性下劣が爆発した場面であり、あの外道だけは許せないと思わせる最悪で最高のシーンだと思う。金子信雄だけは何があっても許せない。

脚本は『仁義なき戦い』シリーズの笠原和夫に代わって神波史男と荒井美三雄が手掛けている。監督が同じで脚本が変わって、テンポがちょっと緩くなっているのは脚本によるものだと言わざるを得ない。脚本っていかに大事なものかが分かる。