図書室/岸政彦 著

大阪で暮らす50代になる独り身の女性が、小学生時代に図書室で出会った少年との思い出を回想する物語。 

新潮 2018年 12 月号

新潮 2018年 12 月号

 


ミシマ社の『K氏の大阪弁ブンガク論』という本には、町田康の小説の中で語られる大阪弁に賛辞を送る意味で、以下のような文がある。

「登場人物に語らす大阪弁は、阪大の金水教授が明らかにした『役割語』を逆立ち、いや脱臼させたもんや。並大抵の技芸やない」とベタほめだ。
役割語」とは「特定のキャラクターと結びついた、特徴ある言葉遣いのこと」で、金水先生はここ数年の大阪弁役割語には、「冗談好きでおしゃべり好き、ケチ・拝金主義者、食いしん坊、派手好き、好色・下品、ど根性、やくざ・暴力団……といったステレオタイプがある」ということを明らかにしてる。

うん。メディアで面白おかしく取り上げられる大阪のイメージとはそういうものだろう。テレビしか見ていない人には、大阪ってそんなところ、と思われてしまうのだろう。そういう先入観で他県の人に話しかけられたこともないではない。
しかし、当たり前過ぎて言う必要もないことだけれど、そんなテンプレート意外の人も大阪には住んでいる。当たり前だけど。
しかし、漫才コンビ、ナイツの塙さんが『関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?』というインタビューで以下のように答えているのもやはり間違いではないのだろう。

サッカーでいえば、大阪はブラジルなんです。ブラジル人が物心ついたときからサッカーボールを蹴ってるのと同じように、大阪人も物心ついたときから漫才の練習をしている。大阪人の日常会話が漫才の起源のようなもんですからね。小学生の会話なんて、そのまんま漫才のネタになりますよ。

 しかし、それでもやはり、大阪にはそんなテンプレートの通りではない人間が住んで暮らしている。面白くない、冗談なんか言わない生真面目だけの人もいるし、地味な人もいるし、やくざ以外の人も沢山暮らしている。当たり前です。
東京ローカル放送を全国に垂れ流すテレビは、現代という時代を記録する、とか、日本の地方の本当の姿を紹介する、といった使命を全く放棄しているので、一種のファンタジーである「面白おかしいテンプレート」によって地方を紹介する。結果的に先の役割語のようなイメージを大阪人に押しつける。
でも関西のテレビ局までもがそのテンプレにわざわざはまりにいっているのも事実。今日のちちんぷいぷいを見てたらヤマヒロさんがお好み焼きを焼いていた。またお好み焼きか。もうそういうのいいんじゃないでしょうか。

本作は、独り身の中年の女性の寂しさや空しさ、少女時代の不安や少年とのちょっとした連帯感、淀川の堤防に上がった時に吹く風の冷たさ、などなど、この小説を読むことでしか味わえない風味がそこにある。そこには「もうかりまっか」や「負けたらあかん」というような定型の言葉で語られる大阪とは違う、別の大阪の人間が描かれている。
そのような定型とは違う大阪人を語る作家として津村記久子さんを信頼しているのだけれど、もう一人、岸政彦という人がいて良かった。そんな小説です。

でも、子供の会話は漫才みたい、って面はちゃんと描かれてまっせ。