2023年、日本、北野武監督作

織田信長明智光秀が殺害した本能寺の変、この前後の戦国武将たちを描いた時代劇映画。

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思ってたのと違う。残酷描写バリバリの戦国版アウトレイジだと思っていたけれど、戦国喜劇だった。どっちかというと風雲たけし城に寄せた作品。

あんまり怖くないんですよね。沢山、人は死ぬし、その殺され方も残酷っちゃあ残酷なんだけど、戦国時代だからまあ残酷ですよね。日本刀を振り回してる時代だから。アウトレイジは現代にそんな残酷が存在するのか、という恐ろしさがあったけれど、戦国時代だから普通ですよね、みたいに思ってしまう。

映像にあまり重みが感じられませんでした。北野ブルーを今更期待したわけではないけれど、アウトレイジは陰影があって映像に重みがあった。でも今作は意外にどの場面も明るくて渋味に欠ける。テレビドラマののっぺりした照明みたいな感じがした。喜劇だからわざと軽く作ったのだろうか。

あちこちで忍者が活躍するのだけど、これも軽い印象。忍者ってそんなに万能でもないし活躍しすぎでは?みたいな感じ。ニンジャがでてきたら喜ぶ層もいるのかも知れないけど。

戦国武将の残酷さが逆に滑稽で、それを喜劇として作ってあると思っているのだけれど、喜劇と重厚さは両立しないんだなというのを改めて感じた。
それでも2時間を超える映画なのに最後まで退屈せずに観て、あらもう終わり?くらいに短く感じたので楽しんだのは確か。でも重厚な戦国時代劇だと思っていた期待は裏切られたかな。

セル/スティーヴン・キング 著

ある日ある時、携帯電話を使っていた人たちは気が狂ってしまった。彼らは正常な人を襲い、殺して、街は阿鼻叫喚の混乱に陥る。この災厄から逃れた3人の男女は街から脱出するべく歩き始める。

アホみたいな話である。
ある時刻に携帯電話を使っていた人は突然気狂いになって街を破壊し、人を殺しながら徘徊し始める。道路には事故車両と乗り捨てられた車があふれて公共交通機関も停止し、やがてインフラも止まってしまう。偶々、携帯電話を使っていなかった人たちは、気の狂った携帯狂人から隠れ逃げ惑う。主人公は家に残した家族が心配で、歩いて家に帰ろうとし、街で生き残った2人と徒歩旅行を始める。

携帯電話を使っていた人たちがゾンビになるというところがアホみたい。「なんでやねん」としか思わない。けれど、その「なんでやねん」はグッと飲み込まなければならない。「まぁそうか、そういうこともあるかも知らんな」くらいの寛容な気持ちで読み進めなければならない。

読み進めれば、ゾンビが徘徊する世界で旅をする小さなパーティのロードノベルとなる。小さな発見で危機を乗り越え、仲間に出会い逆襲する。しかしそこでも仲間を失い罪を背負う。ゾンビものとして楽しいし、愛着のある登場人物が亡くなるときは悲しい。アホみたいな発端でこの物語が始まったことは忘れて涙さえ滲む。新しい仲間との出会いもある。そして知恵を使って危機を乗り越える展開もある。そこに感動がある。およそあり得ないアホみたいな設定だったにも関わらず。

キングの小説は場面描写が執拗で隅から隅まで文章で描写しようとしている。映画であれば画面の端から端までピントがあってるような状態。「そらそんなことしてたら文庫本でも上下巻になりますわな」という感想を持つ。

まあ、でも、めちゃくちゃ面白いですね。ゾンビ、ロードノベルって好きな要素しかない。ちなみに作品が出たのは2006年でスマートフォンが普及する前のお話。

もう革命しかないもんね/森元斎 著

里山に移住した哲学者・アナキストによる実践的ゆるゆる「生活の哲学」入門講座。
「さて、どうしようか。お金はあっても生きていけるが、なくても生きていける。どこへ行っても、その人が必要とされ、その人の能力が発揮されるであろう場所は、ある」福岡のとある里山地域に移住した著者は、どのように「生活」を哲学=行為していったのだろうか。
拠点づくり/食料の確保/活動資金の得方/料理/日常のずらし方/お金の秘密/子育てと教育etc…
日常に根差した哲学を実践的、かつ等身大のことばで語る、革命日誌。

ちくま新書アナキズム入門』の著者による移住とその土地での貧乏暮らしを綴った内容。しかし著者はアナキストだからただの困窮した生活にはならず、着々と住処を拠点として強化していき、権威と権力と国家に頼らない生活を形作っていく。家探しも農業も独力でやりきって、貧乏でも美味しいものを食べて旅行にも行く。それらを子育てと並行しながらやるのだから馬力があるなと思う。
アナキズムの本によく出てくる相互扶助というものがここでも生きてくる。衣食住において近隣の仲間が助けてくれて、著者もそのお返しに行動する。美しい姿だと思うし、どこでもこうであればいいのになと思う。端的に楽しそう。

相互扶助というものに懐疑的なのは、町内会の役員をやっているからかも知れない。活動に協力してくれる人はいるけれど、逆の人も多い。町内会で清掃をしたり集合住宅のマナーを啓発したり町内会の活動によって住民が得られるメリットは色々あるが、そのメリットは享受するけれど労力を提供することはしないという人も多い。助け合いではなく、助けられることは受け入れるけれど助けるのには参加しないという。
経験的な感覚だけれど、困窮した人というのは助け合いができるけれど豊かになるとそれが崩れて利己的になるような気がするのだがアナキズムではそのようなことを解決しているのだろうか。みんなで貧乏になればいいやん、という考え方だろうか。まだアナキズムのことがよく分からないでいる。

 

DOOM ENGINE/MOTHRA

2005年にCDでリリースされた盤が英国のCOLD SPRINGから再発されたレコード。2020年リリース。

ノイズだと思って買ってきたけれど、これはインダストリアルですね。ノイズとインダストリアルの違いは何かと言われると悩むのだけれど簡単にいうとドラムが入ってるかどうか。リズムがあるかどうか。ノイズというのはそういうものに囚われない音塊なので。
とはいえインダストリアルとしても強烈。絶叫のボーカル、メタル・パーカッションのジャンク風味。タイトルにDOOMと入ってるせいかDOOM、STONERのサイケデリックな雰囲気も感じてしまう。とにかくうるさい。悪くない。

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アナキズムを読む/田中ひかる 編

アナキズム関連の読書ガイド。

アナキズムアナキズムが読み取れる書籍が多数紹介されている。プルードンバクーニン大杉栄といった歴史的な人物の著作から、現代社会でアナキズムを実践して生きていく方法が書かれたもの、そしてフェミニズムとも接続していく本、色んな書籍が紹介されている。そして読みたい本が増えていくのだった。

読書ガイドを読んだだけでアナキズムについてどうこう言うのはおかしいかもしれないが、国家の抑圧や相互扶助といったことは分かるのだが、アナキズムでは工業をどう捉えているのだろうか。国家や権力者に服従しないため、自力で生きる糧を得るために農業を重要なものと捉えるのは分かる。しかし生活が豊かになるためには工業製品とそれを支える工学が必要だと思うし、それらは非専門家がいくら寄り集まって助け合ってもなし得ないものではないだろうか。そのようなことについて書かれた書籍は多数の書籍が紹介されているこの本の中でも見受けられなかった。どうなのだろうか。
まだまだアナキズムについては知るべきことがある。