20 Jazz Funk Greats/THROBBING GRISTLE

 

20 Jazz Funk Greats

20 Jazz Funk Greats

 

 どんなジャンルにも押さえておく古典というものはあるもので、パンクスならSEX PISTOLSを聴いたことは必ずあるだろうし、ハードコアが好きならDISCHARGEを聴いているだろう。メタルならBLACK SABATH、ファンクならJames Brown、テクノならDerrick May、演歌なら美空ひばり、等々ジャンルの始祖という人たちはいて、そのジャンルを探っていくと先ず出会う元祖という人たちがいる。
ノイズ、インダストリアルにおいてのTGというのはそういう人たちだと思う。他にもWHITE HOUSE、SPK、MB等々いっぱいいらっしゃいますが、TGの名前はことあるごとに出てくる。

でもここら辺って殆ど聴いてないんですよね。なんでかというと高かったから。もう俺がレコード屋に通うようになった頃にはここら辺のレコードというのは高いものだった。
WHITE HOUSEなんてそのジャケットから不気味な魅力がぷんぷんしていたけれど、これを買うくらいだったら他のが2枚買える、そう思って聴かないまま来てしまった。

TGの『20 Jazz Funk Greats』も聴いたこともないのにジャケットは知っているというくらいの盤です。聴いてみると「何なんでしょう」という感じ。チープな電子音に歌とも言えない声がかぶさっている。ポップでもないし凶悪でもない。「これは何なんでしょうか」という感じ。

1979年の盤なので、その時代に聴けばこれは何か画期的だったのかも知れない。でも今聴いてもよく分からない。やはり音楽は、深堀りしてルーツを辿るのも必要なことだと思うけれど、その時代に生れたものを聴くことに大きな意味があると思う。まあ言い訳です。

手元にある秋田昌美の著書『ノイズ・ウォー』によると本作を評して

『20 Jazz Funk Greats』ではアヴァンギャルドのアイドル的存在としてそのサウンドを我々の時代の大衆的娯楽音楽に同化した。ノイズのネットワークによる悪意ある意識の培養という調節機能は、ドナ・サマー流のメカニック・ディスコの連続的リズムと浸透性のある無感動的ヴォイスという様式化された体裁をとる。ジャンク・アートの混沌としたメタフィジックスの高みから降りてきた快感サウンドがここにはあるようだ。

と書かれています。同時代で聴いていればこの文章の意味も分かったのかも知れない。

奇蹟がくれた数式

2016年、英国、マシュー・ブラウン監督

植民地下にあったインドの天才数学者ラマヌジャンが英国で認められまでのお話。

www.youtube.com

ラマヌジャンについてはwikipediaをどうぞ

シュリニヴァーサ・ラマヌジャン - Wikipedia

ラマヌジャンの伝記映画ということで期待して観に行きましたが、ちょっと凡庸な感じでした。独学で勉強した数学の能力をもつインド人を英国の権威ある人物が発見し、英国に渡ってからも不当な差別を受け、苦労しながらも成果を発表するという物語で、ちょっと映画としての起伏に欠けるんですよね。

ラマヌジャンが如何に直感的で天才肌かというものを表現するのに、権威ある人物が驚く、認めていなかった人物さえ感服する、という感じなんですけど、それだけではちょっと凄さが伝わらない。
思うに映画やドラマといった映像表現というのは目に見えない技術というものの凄さを表現するのにはとことん向いていないのだなということを改めて感じます。
学問的優秀さや工業的技術の素晴らしさみたいなものをどうしても表現できない。
よくある凄腕ハッカーみたいなものの描写も、もの凄い速度でキーボードを打つ、ディスプレイに溢れる文字列、眼鏡にディスプレイが反射してキラリ、エンターキーを押すとそれによってあらゆる電子機器がダウン、みたいな感じでしょう。

で、表現出来ないからどうするかというと、そういう偉人を描くのに人間ドラマに置き換える。恵まれない生い立ち、認められない理不尽、仲間との葛藤、苦労の末に掴んだ成功、そういった苦難の半生を描く。でもそれは人間ドラマであって、その偉人の成果を表現していることじゃない。
ちょっと前に知人と話していて、ヒットしてる映画やドラマというのは全部その中身は人情話で大衆演劇のような勧善懲悪、水戸黄門、悲恋、そんなものばかりではないか、という話をしていました。本作にも当て嵌まると思う。

映画は視覚と聴覚によって短時間で物事を体験させる方法だから無理を言っても仕方ないし、一本の映画の中に描かれていないものがあるなんて言ってもこれまた仕方ない。
しかし、学問や工業技術の素晴らしさそのものを表現する方法が編み出されたらそれは凄い映画的発明なのかも知れないなあ、と考えたのでした。

新釣れんボーイ/いましろたかし

 いましろたかし(神様)の名作『釣れんボーイ』の続編です。

新釣れんボーイ (ビームコミックス)

新釣れんボーイ (ビームコミックス)

 

 『釣れんボーイ』は主人公の漫画家ひましろ先生の日々の生活と趣味の釣りが描かれるだけのお話です。であるけれど、エッセイ漫画でもないし完全な創作でもないという微妙な空気感が心地良い名作の誉れ高い作品なのです。是非ご一読されることをお勧めします。

本作はその『釣れんボーイ』の続編となるものですが、続編って言っても連綿と続く物語があるわけでもないので相変わらずひましろ先生の日常が綴られています。身体にがたがきて病院、マッサージに通い、病気に怯え、世情に憂い、猫を可愛がり、そして釣りに行くのです。
原発幻魔大戦』以降、いましろ作品は原発反対、TPP反対、改憲反対の姿勢をとっていて、政治情勢に対するぼやきが多めになっているのが前作とは少し毛色が違うところでしょうか。ネトウヨの人は意見を異にする人は嫌いでしょうから読まない方がいいと思いますよ。

なぜか漫画講座的なものを語りだすひましろ先生が登場する一篇があるのですが、そこでひましろ先生は「マンガとはとどのつまり「文章」である」と述べておられます。深いです。
いましろ作品はその空気感が独特で気持ち良いんですよね。それは文章に例えるなら語感といったリズム、漂う空気感が心地よいのです。時に可笑しく時に悲しく、そしてなんとも言えない無常感さえも心地よい。

文章って空気を創り出すものだと思うんです。雰囲気といっても良いと思う。何を語るかよりどんな空気を創り出すかに真価が問われているような気がする。良い文章と称されるものは良い空気、独特の個性的な空気、味わったことのない情感によって新しい空気を生み出している文章のことだという気がします。言葉を連ねていって、その順列組み合わせは無限にあって、それをどう配置するかで空気が醸成される。

でも詰まるところ、その空気を創り出すのってたぶん語り口に拠るところが大きくて、それはたぶん人柄なんですよね。技巧で変化させることもできるだろうけど、それでもやはり行き着くところは人柄なんじゃないかという気がします。だって文章からはその人の人格が滲み出るから。たぶん面白い人は何を書いても面白いんだと思う。

いましろ作品が面白いのは多分いましろたかしという人が魅力的でその語り口が素晴らしいんだと思います。勿論合わない人もいるんでしょう。でもそのリズムやグルーブにのれればとても心地良い。なんてことない話であればあるほど滲み出る何かがあって面白い。

いましろ先生はずーっとこういう漫画を描き続けて欲しい。枯れていく様さえ見たい。そんな漫画です。

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別冊少年チャンピオン11月号

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なんで漫画雑誌を取り上げたのかというと、これです。

 

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ノイズユニット、ゲロゲリゲゲゲa.k.a.山之内純太郎のインタビューが載っているのです。十数年振りのアルバム『燃えない灰』が今年リリースされたということでのインタビューなのでしょうが、ゲロゲリゲゲゲの最近のインタビューって貴重だと思います。

なんでこんなインタビューが少年誌に載っているのかと思ってましたが『掟ポルシェの死ぬ気!全力音楽塾』という連載があってそこで取り上げられていました。「Vol.53」となっているのでかなり長い連載なのでしょうか。

インタビューではその昔の相棒だったゲロ30歳が実は56歳だったとか、トラウマの名曲『B面最初の曲』に収録されている皮の音は本当の皮の音だった、という下らなくも貴重なエピソードが語られています。

こういうのって良いと思うんですよね。雑誌でわけの分からないものに出会うっていうの。エロ雑誌に蛭子能収の漫画が載ってて衝撃を受けたり、おしゃれ雑誌にリリーフランキーのだめ人間コラムが載ってたりして、なんじゃこれはって思うことあったから。少年チャンピオン読者もなんじゃこれは、って思ったんじゃないだろうか。でもそういうのって大事。今ってジャンルが細分化されて嗜好に合わせた情報ばかり仕入れてしまうでしょう。わけの分からんものが世の中にあるって知っておくだけでも大事。

 

augtodec.hatenablog.com

 

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軽率の曖昧な軽さ/中原昌也 著

中原昌也の最新小説集

軽率の曖昧な軽さ

軽率の曖昧な軽さ

 

 とても心地よい小説群でした。ぽかぽかとしたお昼間の柔らかい日差しが差し込む居間で、エスプレッソの芳醇な香りを味わいながら午後のひと時を過ごすようなゆったりとした読後感が漂います。明るい未来と暖かい多幸感、そしてそれに甘んじない改革と前進を目指す飽くなき進歩主義が感じられて、とても前向きで向上心が湧いてくるお話たちでした。この小説に描かれる景色や人々が現実のものでないなんて信じられないくらい!

『傷口』
原子力発電所の再稼働に反対する人々を密かに暗殺していくお話。
殺人が主題ではあるけれど、悪意に充ちているというお話ではないんです。主人公は正義に駆動されてその行為に及ぶわけですから仕方ないですよね。原子力発電所は日本という国家に必要なものなのにそれに反対するなんて馬鹿げていますから。そんな人達にはある程度苦い思いをしてもらわなければ分かって貰えないです。
無知な反対派を主人公が次々と撲殺していくんですが、その凶器が全部家庭用ゲーム機なんです。ファミコンスーパーファミコン、歴代プレステ、セガサターンドリームキャスト、懐かしいゲーム機たちが登場するのも隠れた魅力です。それらを悪人たちの頭部に腹部に強打して成敗していく場面の連続が爽快感に溢れていて風呂上がりの炭酸飲料のように鮮やかな印象を読者に焼きつけます。

『人間のしつけビデオに硬貨を入れれば』
若者がブロガーになって成功を手に入れるサクセスストーリー。
ブロガーになる、ブログの収入で生活する、なんて宣言をすると寄ってたかって「そんなの無理」って言ってくる人達がいるでしょう?そんな老害達にめげず主人公は良い記事を投稿し続けてやがて成功するというお話です。夢が広がりますよね。
主人公は炎上が必至と思われる危険な話題に敢えて踏みこみます。それを疑似科学外国人差別、男尊女卑、と批判する人々が現れますが、人々が隠していた本音をさらけ出すその姿勢に共振する人々が生まれ、次第に支持者が増えて大きな潮流となる過程が痛快です。
そして主人公はブログ収入で得られた資金を基に水素水を生成する巨大プラントを建造して億万長者に成りあがります。ラストシーンでは彼が巨大プラントを見上げながら今までの人生を振り返り煙草をくゆらせるのですが、その火が水素に引火し爆発炎上する場面は巨大スペクタクルパニック映画に勝るとも劣らないものです。喫煙者であったことだけが彼の唯一の欠点だったんですね。

『キミが見せてくれた夢に潜む落とし穴』
2020年、東京オリンピックのお話。
主人公は家が貧しいにも関わらず努力して走力を磨き、オリンピック100m走の決勝に進みます。しかし東京オリンピックに反対する人達がいて、予算を無駄に使い過ぎているなんて批判をします。そのことで主人公は自分がやっていることに疑問を持ち、気に病むのです。
選手が頑張っているのにそんなこと言うなんて不謹慎ですよね。なぜ皆で協力してオリンピックを成功させようと思わないのでしょうか。理解に苦しみます。お金なんて何とでもなるでしょう。夢はお金じゃ買えませんよ。オリンピックという夢を実現するのに少しぐらいの出費はいいじゃないですか。夢は大事ですよ。夢こそが最も大切なものですよ。夢に比べたら他のものなんて何の価値もありませんよ。そう思いませんか?
結果的にオリンピックは成功裡に終わるのですが、それは新国立競技場の基礎に人柱が埋められていたおかげだったということが明らかになります。その人柱の正体は歴代の東京都知事だったんです。首長という役職に就いた人たちが命がけで責任をとる姿勢が胸を打ちます。陳謝して辞職みたいな儀式で責任をとったことにする人達は見習ってほしいものですね。

『良子の見た帝国』
島根県の中央鮮魚市場の建て替えに纏わるお話。
島根県の市場の話なんて他府県の人間には何も関心ないです。島根だけでやってくれって話。唯一興味をそそられない短編でした。

 


こういうのも嘘だって書いておかないとまずいのでしょうか。

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