アトミック・ブロンド

2017年、米国、デヴィッド・リーチ監督作

東西の壁が崩壊しようとする寸前のベルリン、英国の諜報機関MI6の女スパイは重要な機密文書を敵国のスパイから奪還する使命を帯びて彼の地へ潜入する。シャーリーズ・セロン主演のアクション映画。

www.youtube.com

格好良い。凄く格好良い。
シャーリーズ・セロンが格好良いのは言うまでもない。激しいアクションも決まってるし、様々な衣装で見せるその立ち振る舞いがどれもこれも男前。「ベルリンでは誰も信用するな」と指示されて単身で乗り込んでいって、2重スパイが誰なのかという疑心暗鬼の中で活動するのだけれど、孤独を恐れない自立した人間というのは男でも女でも格好良いものです。
映像も洒落ていてテンポも小気味よい。オープニングのロゴからしてワクワクさせられる作りでした。当時のポップソングを挿入しているのも良い。それとベルリンの街並みが良いんですよね。なんとも言えない雰囲気を醸し出してる。こういうのを見るとヨーロッパの映画が観たくなる。


深いテーマなんて要らない、頭空っぽにしてその格好良さに酔えばいい映画だと思うのですが、主人公が東ベルリンに潜入してKGBの一味を避けて逃げ込んだ先の映画館ではタルコフスキーの『ストーカー』が上演されていて、実際スクリーンに映画の一部が映る場面もあった。『ストーカー』は大好きな映画のひとつなのだけれど、なんでこんな娯楽作のお手本のような映画に小難しい映画の代表のようなタルコフスキー映画だったのだろう。調べると『ストーカー』は1979年の映画で、本作は1989年が舞台だからちょっと時代が食い違う。この時期に東ベルリンではタルコフスキーが流行ってたんかな。唯一謎です。

大阪市立大学理学部付属植物園

f:id:augtodec:20171112150324j:plain

大阪の郊外、交野市の私市にある植物園に行ってきた。

入口は地味な感じだが園内はなんと甲子園の六倍の広さがあるらしい。確かに歩き回ると広い広い。そして綺麗。
緑に包まれる環境というと山に登るのが手っ取り早いけれど、京阪電車私市駅からすぐの所にあってアクセスも良い。

園に到着すると無料のガイドツアーがあるということだったので参加してみた。
職員さんが一人付いて、集まった十数人を引率し園内を歩きながら植物の解説をしてくれるという趣向でこれがとても良かった。樹木の小辞典を持って行ったのだけれど、実際に樹木のお世話をしている専門家のお話はひとつひとつが興味深く、そして面白く解説して下さって、その朴訥とした語り口もとても良い印象だった。やはり植物に触れて暮らしている人は穏やかな感じになるのかしらんと思ったり。

写真にある木はクスノキで、昔植物園に持ってくる時に牛で引っ張ってきたらしいが、途中で牛が動かなくなってこの場所に植え付けたのだ、というお話もされていた。クスノキは葉をちぎると香りがするということも教えて頂き、実際にそうするとほのかに香りがあった。

他にもメタセコイヤの大樹やサザンカの花が咲いていたりして見所多く、落ち葉を踏みしめながら歩いているとなんだかとても癒されたのだった。
季節によって樹木は花をつけたり実をつけたり、紅葉や落葉と表情を変えるのでこの先何度行ってもまた発見があるような気がする。

一日では見て回れなかったのでまたちょくちょく行くことになると思う。

ブレードランナー2049

2017年、米国、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作

2049年、市民に紛れて暮らす旧型レプリカントを処分する任務についていたブレードランナーのKは任務に従い農場にいたレプリカントを処刑する。しかし彼の周囲から30年前に失踪した女性レプリカントの痕跡を見つけ、彼女の謎を捜索することになる。
1982年に公開された偉大なSF映画ブレードランナー』の正統なる続編。

www.youtube.com

賛否両論の本作ですが、俺にはとても良かった。静寂に包まれた孤独な被差別者の話だった。

前作『ブレードランナー』には3人の登場人物、リック・デッカードとロイ・バッティ、そしてセバスチャンがいる。
デッカードレプリカントを狩るブレードランナーとしての孤独な男であり、ロイ・バッティはレプリカントで少ない仲間はいるが彼等と逃亡した被差別者、マイノリティとして描かれる。そしてタイレル社の科学者であるセバスチャンは人間であり真っ当な職業を得ているが老化する病気を持ったマイノリティであり部屋に機械仕掛けの人形を置いて自己を慰めているようなこれも孤独な男である。

ブレードランナー2049』でライアン・ゴズリングが演じる主人公Kは、その3人の個性を併せ持った人格として描かれる。
Kはブレードランナーという汚れ仕事を請け負う仕事であり、冒頭の旧型レプリカントとの会話でKもレプリカントであることが明かされる。そして警察署内でも住居でも「人間もどき」といった差別語をぶつけられる被差別者で孤立している。そしてそんな被差別者である彼は人工知能が作り上げたホログラムの美少女に癒しを得ている。デッカードとバッティとセバスチャン、3人の個性を背負わされていて、3人に共通するのは被差別的な境遇にいる孤独な男ということだ。本作のKも孤独な戦いを繰り広げる。

Kは自分への差別を甘受しているかのようだが、そうではないと思う。捜査の過程で自分の出自からくる差別を塗り替えられるかもしれないと期待するし、それが失われた時に感情を爆発させる。「ゴズリングの押さえた演技が良い」といった映画評を見掛けたが、それは違うだろう。感情はあっても抑制しているレプリカントを演じているに過ぎない。しかし感情がないわけではない。だから希望が失われた時に抑制がきかず感情が爆発する彼に意味があるのだから。そんな苦い境遇に表情一つ変えずに耐えている孤独な男なのだ。

終盤、Kは人間的な振る舞い、行動によって物語を結末に導く。ラストの彼の表情は人間性そのものだといってよい。それなら彼を差別していたのは何だったのか?その出自?職業?それは彼が属するカテゴリーであって、彼個人のことではない。差別はその人のカテゴリーによって烙印を押される。出自、国籍、人種、肌の色、髪の色、障害、生活保護など。でも個人の個性と人格を知っても差別できるだろうか。優しい人間性をたたえた個人をカテゴリーだけで差別できるだろうか。そういうことを突きつけてる映画だと思えた。

ラストシーンでKに降る雪はロイ・バッティに降る雨と相似形である。