軽率の曖昧な軽さ/中原昌也 著

中原昌也の最新小説集

軽率の曖昧な軽さ

軽率の曖昧な軽さ

 

 とても心地よい小説群でした。ぽかぽかとしたお昼間の柔らかい日差しが差し込む居間で、エスプレッソの芳醇な香りを味わいながら午後のひと時を過ごすようなゆったりとした読後感が漂います。明るい未来と暖かい多幸感、そしてそれに甘んじない改革と前進を目指す飽くなき進歩主義が感じられて、とても前向きで向上心が湧いてくるお話たちでした。この小説に描かれる景色や人々が現実のものでないなんて信じられないくらい!

『傷口』
原子力発電所の再稼働に反対する人々を密かに暗殺していくお話。
殺人が主題ではあるけれど、悪意に充ちているというお話ではないんです。主人公は正義に駆動されてその行為に及ぶわけですから仕方ないですよね。原子力発電所は日本という国家に必要なものなのにそれに反対するなんて馬鹿げていますから。そんな人達にはある程度苦い思いをしてもらわなければ分かって貰えないです。
無知な反対派を主人公が次々と撲殺していくんですが、その凶器が全部家庭用ゲーム機なんです。ファミコンスーパーファミコン、歴代プレステ、セガサターンドリームキャスト、懐かしいゲーム機たちが登場するのも隠れた魅力です。それらを悪人たちの頭部に腹部に強打して成敗していく場面の連続が爽快感に溢れていて風呂上がりの炭酸飲料のように鮮やかな印象を読者に焼きつけます。

『人間のしつけビデオに硬貨を入れれば』
若者がブロガーになって成功を手に入れるサクセスストーリー。
ブロガーになる、ブログの収入で生活する、なんて宣言をすると寄ってたかって「そんなの無理」って言ってくる人達がいるでしょう?そんな老害達にめげず主人公は良い記事を投稿し続けてやがて成功するというお話です。夢が広がりますよね。
主人公は炎上が必至と思われる危険な話題に敢えて踏みこみます。それを疑似科学外国人差別、男尊女卑、と批判する人々が現れますが、人々が隠していた本音をさらけ出すその姿勢に共振する人々が生まれ、次第に支持者が増えて大きな潮流となる過程が痛快です。
そして主人公はブログ収入で得られた資金を基に水素水を生成する巨大プラントを建造して億万長者に成りあがります。ラストシーンでは彼が巨大プラントを見上げながら今までの人生を振り返り煙草をくゆらせるのですが、その火が水素に引火し爆発炎上する場面は巨大スペクタクルパニック映画に勝るとも劣らないものです。喫煙者であったことだけが彼の唯一の欠点だったんですね。

『キミが見せてくれた夢に潜む落とし穴』
2020年、東京オリンピックのお話。
主人公は家が貧しいにも関わらず努力して走力を磨き、オリンピック100m走の決勝に進みます。しかし東京オリンピックに反対する人達がいて、予算を無駄に使い過ぎているなんて批判をします。そのことで主人公は自分がやっていることに疑問を持ち、気に病むのです。
選手が頑張っているのにそんなこと言うなんて不謹慎ですよね。なぜ皆で協力してオリンピックを成功させようと思わないのでしょうか。理解に苦しみます。お金なんて何とでもなるでしょう。夢はお金じゃ買えませんよ。オリンピックという夢を実現するのに少しぐらいの出費はいいじゃないですか。夢は大事ですよ。夢こそが最も大切なものですよ。夢に比べたら他のものなんて何の価値もありませんよ。そう思いませんか?
結果的にオリンピックは成功裡に終わるのですが、それは新国立競技場の基礎に人柱が埋められていたおかげだったということが明らかになります。その人柱の正体は歴代の東京都知事だったんです。首長という役職に就いた人たちが命がけで責任をとる姿勢が胸を打ちます。陳謝して辞職みたいな儀式で責任をとったことにする人達は見習ってほしいものですね。

『良子の見た帝国』
島根県の中央鮮魚市場の建て替えに纏わるお話。
島根県の市場の話なんて他府県の人間には何も関心ないです。島根だけでやってくれって話。唯一興味をそそられない短編でした。

 


こういうのも嘘だって書いておかないとまずいのでしょうか。

保存

保存

七人の侍

1954年、日本、黒澤明監督

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『午前十時の映画祭』( 午前十時の映画祭7 デジタルで甦る永遠の名作 )で上映中だったので観てきました。朝の十時からこんな大作映画って朝ご飯にステーキみたいでヘビー過ぎないだろうかと思ってましたが、映画が始まるとやっぱり引き込まれますね。何度も見ているけど今回気付いたことを。

台詞が凄く聞きとり難い。こんなだったっけ、という感じ。日本語字幕入れてもいいんじゃないだろうか。

最年少の武士、勝四郎(木村功)が子供だと言われる場面が何度もあって、今まではそう思わなかったのだけど、今回見ると木の枝をもいで持ち歩いたり草に寝転んだりする場面を見て「あーやっぱり子供だなあ」と思ってしまった。

村の入り口で三人の武士が森の向こうを見つめながら同時に刀を抜くという場面が強く印象に残っていて、予告編にもあるんだけど、それがどこだったか分からなかった。バージョン違いなのか、あったけど見落していたのか。

菊千代(三船敏郎)が死んで横たわっている場面で、泥にまみれた太腿に雨粒が落ちてまだらになっている場面が非常に印象に残った。無残さ無念さ、残酷さが伝わる場面でした。

全体的に風、雨、泥と清潔で心地よい空間が殆ど出て来ない。登場人物の着物も皆くたびれていて美しいという感覚とはほど遠い。戦乱の時代の農民、浪人、野武士のお話なので当然といえば当然なのだけれど、それが良いんです。
少し前に『闇金ウシジマ君』の映画を観たんだけど、清潔過ぎるんですよね。もっと現代の汚い部分を描く映画じゃないの?と思って。唯一、黒沢あすかの出演シーンが薄汚くてリアルに感じられた以外は、これじゃ原作の魅力がでてないとしか思えなかった。
今時のテレビドラマなんかもそうでしょう?煙草を吸うシーンも描けないなんてそんなのリアルじゃない。小奇麗で清潔で快適な空間や場面しか描けないなんて現実的じゃないし、現代を描けてない。
汚いもの、醜いものは現実にあるのに、それを覆い隠して居心地の良い快適な場所や物事しか描けないなんて片手落ちでしょう。子供番組ならわざわざ子供に見せるべきでないものはあると思うけれど、大人の見る映画やドラマでそんなのってどうなのよ。そういうものが映るだけで不快感をもよおしたり見なくなったりするんだろうか。
汚いもの、醜いものは一切見たくない、快適で心地良い美しい可愛いものしか見たくないなんて幼稚化してるんじゃないだろうか。

年配のお客さんが多かったけど、若い人も結構いて人気のほどが窺えました。映画館で見るとやはり大迫力で色々発見もあるなと再確認したのでした。

 

 

飛燕

大戦中の戦闘機『飛燕』が復刻され展示されているということで神戸ポートターミナルへ見に行って来ました。

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 でかいです。たった一人の人間が空に浮かぶためにはこれだけの大きさの装置が必要なんだなというのが驚きです。でも機関銃を持って行くというミッションがあるわけなので、それも含めてということになるでしょうが。写真の中に写っているバイクと比べていただくと大きさがよく分かると思います。機体の形が流麗で格好良いんです。

 

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こちらはエンジン。33Lですって。3Lじゃなくて33L。車と比べるとめちゃでかい。空を飛ぶためにはそれだけパワーが必要ってことなんでしょうね。右端に見える軸が主軸でここにプロぺラがついて回るということです。いかつい。

 

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川崎重工の主催なのでバイクも展示してありました。これは1000ccでスーパーチャージャーがついてるそうです。バイクにスーチャーって狂ってるんじゃないでしょうか。めちゃ格好良い。

 

戦闘機って本当格好良いんですよね。そこには意匠のような外観デザインはなく、空を自由に飛び回るための機能設計が形作った機能美があるからだと思います。美術のような美の為の美ではなく、機能を追求した結果の美がある。それが心を惹きつけるのではないでしょうか。

 

中華街に寄って、餃子食ってビール呑んで、神戸を堪能した1日でした。

 

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EUROPE CALLING/ブレイディみかこ 著

英国で保育士として働く女性による、労働者階級の目線から見た現代の英国、ヨーロッパの政治状況を語る一冊。

 英国では福祉の切り捨てと弱者に対する助成の削減といった緊縮政策が採られており、右翼政党の台頭とそれに抵抗する勢力といった構図があるようで、他国のことだと思えない状況です。

英国にはNHS(国民保健サービス)と呼ばれる原則無料の医療制度があるのですが、これを緊縮政策の流れで解体するか否かという攻防があるということが書かれています。NHS創設の理念を象徴する当時の大臣の言葉を引用すると

病気とは、人々が金銭を払ってする道楽ではないし、罰金を払わねばならぬ犯罪でもない。それは共同体がコストを分担するべき災難である

とあります。最近炎上したあの人に聞かせたいような言葉です。

人間誰しも弱っている時は人に優しくする余裕がない。それが国家規模で起こっているのが今の状況じゃないでしょうか。経済が停滞し、財政が圧迫されて弱者に対する福祉や助成が切り捨てられていく。弱っている時は弱者に優しくなんてしてられないということだと思います。

そういうのって動物的なんですよね。野生や本能に従順だと言ってもいいと思う。
財政が福祉予算で圧迫されている、経済は低迷している、ならば福祉を切り捨てよう、なんて最も単純な思考でしかない。強い者が生き残り弱い者は淘汰されるという弱肉強食の動物的世界に回帰している。弱者も含めて共存していく方策をとるのが人間的なのじゃないでしょうかね。

概ね右派と言われる人たちの主張って本能に従ってると思う。それがゆえに支持されるというところもあると思う。
差別的感情を隠さない、弱者に自己責任を押し付ける、軍事力を増強して存在感を増す、競争に参加できないのは努力してないからだ、どれもこれも感性が起動してそれを包み隠していない。感性がそう反応しても理性的に考えればそれは言うべきことじゃないことが分かるはずなのにコントロールできていない。しかしそのノーコントロールな状態を本音で語っていると捉える人がいる。本音だけで語ってちゃだめなんですよ。理性で制御しないと。人間なんだから。

てなことを考えました。

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ゴールデンカムイ

 

 漫画を読む習慣がしばらくなかったのだけど、知人が「面白いから読め」って家に置いていったんで読んだんです。①~⑤を読みましたが、これ面白いねー、凄く面白い。

明治末期の北海道を舞台に、アイヌが隠していた金塊を北海道独立を企む軍、元新撰組、そして個人的事情でそれを探す元兵士とアイヌの少女、彼らが入り乱れて金の行方を探すというお話です。

血わき肉おどる展開でぐいぐい引き込まれる。
1巻冒頭であっと言う間に金の強奪競争に巻き込まれる展開が素晴らしいです。転がるようにトラブルに巻き込まれて行く展開が小気味良い。もうここでぐっと掴まれた。
死を賭した行動に出るにはそれなりの理由というものが必要になるけれど、それが不可分なく配置されていてちゃんと感情移入できるようになっている。

明治時代、それも北海道の話なので時代考証とか大変だと思うんですよね。明治末期という時代設定は、ある意味時代劇でその風俗を描くのには並々ならぬ苦労があると思うんです。特にアイヌという少数民族の装束、その生活様式、狩りの仕方や料理まで描いている。それらを漫画として視覚的に表現しなければいけないわけで、資料を参照する必要があるだろうけど、これは大変だったんじゃないだろうか。巻末に参考文献が載っているけれど、それ以上の苦労があると思う。

なぜか料理漫画でもあるんですよね。アイヌの少女が山の獲物で料理を作ってみせる場面が多くある。これは資料集めは大変だったんじゃないでしょうか。庶民 のそれも少数民族の人たちの食事の歴史資料なんて集めるの難しいはず。それを絵で再現しなくてはならない。そして美味しそうに見せるという、幾つものハー ドルがあるのをクリアしてるところが凄いです。この漫画のビジュアルを創り出す裏にもの凄いデータがあることを想像させます。

続きが楽しみな漫画です。

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