K2@難波ベアーズ

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出演は
K2+.es
Epidemic showji
富松慎吾 大太鼓ソロ
K2+富松慎吾

K2こと草深公秀氏のノイズ音源は以前から聴いていたけれど、ライブを見るのは初めてでした。ベアーズによると17年ぶりの来阪だそうです。K2氏は本業はお医者さんらしいです。

会場に着くとステージには大きな和太鼓が据えられていてビジュアルの迫力が凄い。

K2+.es
一組目の演奏終盤でベアーズに到着。K2の電子ノイズとピアノ+サックスの演奏でした。ちょっとしか見れなかった。

Epidemic showji
ベース、ギター、サックス、これに機械リズムの演奏。ギターはメタル/HRのような演奏で、これにサックスが不思議に絡み合う。サックスを組み込んだストーナーロックというのもありなのじゃないかなどと思っていたらギタリストがバチを持って大太鼓を打ちまくる。どこにもないフォーマットの演奏で聴いた事のない情感でしたが、心躍る感じがあった。

富松慎吾 大太鼓ソロ
和太鼓の演奏がベアーズの狭い空間に響き渡る。振動が体に伝わって気持ち良い。太鼓というのはとても原始的な楽器だと思うけれど、人間の本能みたいなところに反応するんじゃないでしょか。

K2+富松慎吾
大太鼓とK2氏のノイズが絡み合う演奏。ノイズはリズムのない音楽ではあるけれど、リズム楽器である太鼓との共演はとても心地よい。ノイズのうねりと太鼓の重低音が鳴り響き、どこにもない音像が浮かび上がる。

和太鼓とノイズの融合なんてどこでも聴いたことがない。両者は決して出会わないフィールドで演奏していると思うから。でもこうやって出会って演奏してその音を受け止めていることが貴重な時間な気がする。実験的と言っていいのか分からないが、この両者が出会って演奏しているということが成果だと思える。
太鼓の音は生で聴くことに意味があるな。その振動を体で受け止めることに意味があると思う。

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演奏後の富松氏とK2氏。

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ハクソー・リッジ

2017年、米国、メル・ギブソン監督作

第二次大戦下の米国、宗教的理由で殺人を肯定できない主人公は銃を持つことを拒否し、その思想信条を理解されないながらも激戦地沖縄に衛生兵として赴くことになる。
沖縄、前田高地における日米の肉弾戦を描く戦争映画。

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この映画、戦場に参戦するまでの前半と後半とにくっきり分けられると思う。全然別の映画じゃないかと思えるほど前半と後半でくっきりと映画の色が違うのです。
前半は主人公が兵役に志願するも、その思想信条から人を傷つけることを忌避し、そのことで周囲から疎まれることになる。この部分では一切戦闘なし。寧ろ大戦を戦っているアメリカ国内が如何に平和かという描写でさえあると思う。
対して後半の戦場シーンはこれでもかという残酷でえげつない描写が繰り返される。その対比が凄い。落差が凄い。これは戦争の悲惨さを表すのに有効だったのじゃないかと思える。
戦場の残酷さを描いたということでスピルバーグの『プライベート・ライアン』が比較される本作ですが、残酷描写という点ではメル・ギブソンの方が勝ってる。爆風で人体が吹き飛ぶ様子が凄まじいんですよね。しかしこれはスピルバーグが戦場の残酷描写に先鞭をつけたからあるものでしょう。やっぱりスピルバーグは偉い。メル・ギブソンも偉いけど。

もうひとつ『プライベート・ライアン』との対比で言うと、この映画、というか戦場では米軍は攻める側なんですよね。
プライベート・ライアン』でも戦局的には攻める側だったけれど、最期の場面では連合国軍側が橋を守るという場面だったのです。ナチスドイツにこの橋を渡らせない、死守するという場面設定がなされていた。対して『ハクソー・リッジ』の米軍は侵攻する側で、そこのところは観客の心情に大いに影響があるんじゃないだろうかと思いました。
守る戦いと攻める戦いではどうしても守る側に感情移入する気がするから。沖縄が攻められているという日本人的感情もあるとは思うのだけれど。

主人公デズモンド・ドスを演じたのはアンドリュー・ガーフィールド。彼がこの役を演じる為にどんな役作りを考え、監督がどんな演出をしたのかは伺い知れない。ただこの映画を観て思ったのはドスを発達障害の青年として描いたのではないという気がする。発達障害の人たちは、健常者から見れば空気が読めないとされたり、過集中やあるものごとにこだわり過ぎると見られたりするが、ドスの生き方は人を傷つけない、人を助けるという方向に注力して周りと歩調を合わせることを度外視しているように見える。何の根拠もないけれどそう思う。そして発達障害だったとしてもその特性を存分に発揮する場面があるのだということを訴えているような気がする。

日本軍が大挙して押し寄せる場面があるのだけれど(予告編の0:35辺り)、それを観てポール・バーホーベンの『スターシップ・トゥルーパーズ』やないかい、これ。と思ってしまった。

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0:25辺りで敵であるバグが押し寄せる場面があるのだけれど、それとそっくりだと思ってしまった。太平洋戦争中の日本人なんて米国人にすれば異星人みたいなものなのでしょうか。

最後にもう一つ強く言いたいのは、主人公のお嫁さんになる役のテリーサ・パーマーさんが美し過ぎる。白衣の天使役が美し過ぎる。オーストラリアの役者さんらしいけど美し過ぎる。真剣に天使。

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もし観に行かれるならこちらも是非ご覧ください

『ハクソー・リッジ』の公開によせて | 浦添市

 

GRAVITY X/TRUCKFIGHTERS

 Gravity X

Gravity X

 

TRUCKFIGHTERSはスウェーデンのバンド、2001年結成でこのアルバムは2005年作です。ジャンル的にはストーナー、デザートロックと呼ばれるジャンルだと思う。ゴリゴリとした疾走感があって、ハードロックを現代版に更新したロックンロールを聴かせてくれます。

アルバム中で一番のお気に入りはこの曲

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マンハッタン・プロジェクトというと第二次大戦中の原爆開発のことで歌詞もそのことを婉曲的に歌っている。そういう作り手が伝えたいことを言葉として受け取るのも良いとは思うけれど、やはりこの曲のやるせなさとムカツキと怒りによる駆動力を感じたい。
こういう乾いた空しさや憤りみたいなのは中々他のジャンルでは表現できないんじゃないだろうか。例えばクラシック音楽ではこういう情感は表現できない気がするし、レゲエだったらどうだろうかとも思う。そのジャンルで描き出す悲しみや怒りというのはあるとは思うけれど。そう思うとある情感を音楽で描き出すのにはやっぱり曲調というのは大事で、それによってジャンルが分化したということはあるよな。とか。
でもあんまり何も考えずに聴きたい。ただただ格好良い。

Truckfighters

TRUCKFIGHTERS LYRICS - "Gravity X" (2005) album

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メッセージ

2017年、米国、ドゥニ・ビルヌーブ監督作

突如地球にやってきた異星からの飛行物体に対して言語学者は会話を試みる。

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とても静かなアメリカ映画。こういう静かな映画は好きです。賑やかなのも嫌いじゃないけれど静かさが映像として記録されている映画はとても落ち着きます。

異星人と文字による会話を成立させる過程がとてもスリリング。それを台詞ではなく映像で見せていく手腕がとても素晴らしいです。
他にも異星の飛行船内部での無重力になるギミックなどSF映画ならではの楽しみもある。そういう見せ場でどどーんと扇情的な音楽が流れたりせずに、静かで、ある意味不気味に映像と音楽がシンクロしていくのが心地良いです。

物語を語るとどうしてもネタバレになるので書かないけど、感心したところを。

主人公の言語学者と異星人が対面する場所は透明の壁で隔てられていて、そこに異星人は墨を吹きつけるようにして文字を記述していくのです。その文字を撮影して学者たちは言葉を解析していきます。で、異星人が壁の向こうで吹きつけた墨を主人公がなぞるようにすると彼等の文字が記述できる、という場面がある。既に主人公は彼等の言語体系をかなり理解している状態だったのでそれが可能だったということなのだろうけど、観ていて思ったのは、これは頭の中の思考や感情がそのまま言語として記述されるというテクノロジーなのかなと思った。
文章を書くということは思考を記述し感情を吐き出しているようにみえるけれど、そこには形を整えようという作為が働く。言いたくないこと言うべきではないことは隠すし、言いたい事を伝えるために省いた方が良いことは省略する。他にも少し格好付けたりキャラを演じたり格式を演じたりする。だから頭の中のものがそのまま文章で表現されているわけではない。多かれ少なかれ演出が混じってる。それは極端に言うと文章として出力する過程には嘘が含まれているといってもいい。
そう思うと頭の中の思考や感情が直接的に文字化するとすればそこには嘘がないわけで、異星人の特性とは嘘という概念が存在しないということなのじゃないだろうか。嘘が無ければもっと効率的に文明や文化が進化するというメッセージなのじゃないだろうか。そしてそれは嘘が蔓延することで真偽を確かめるためにコストを要する現代への皮肉みたいなもんじゃないだろか。なんてことを思ったのでした。

主演のエイミー・アダムスは映画によって全く違う人に見える。この人大好き。

Noise May Day - MASONNA oneman live action@難波ベアーズ

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いつも4組ほどのライブが見られて、海外から来たノイズの人も観られるので楽しみなイベントですが、今年は何とマゾンナのワンマンライブです。
マゾンナと言えばその演奏時間が短いことが有名で、ライブ後のTwitterでは毎回「今回の演奏時間は3分弱だった」みたいな発言が散見されます。そのワンマンライブとあってはどうなるのか目撃しておかなければなりません。

会場は7:30開場で8:00スタート。8時十数分からアクトが始まりました。

ギャっときてグワッとなってガーッとなってジャンプして飛び込んでマイクスタンド放り投げて終了。

伝わるでしょうか。ライブの臨場感が。twitterによると今回の演奏時間は2分弱だったそうです。素晴らしいですね。一瞬の閃光でした。スパーク。電光石火。

最高、以外に言うことないです。最高。

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