ゲームの王国/小川哲 著

カンボジアで生まれた二人の秀才は、クメール・ルージュが政権を奪取する前夜、出会いそして離れ離れになって成長する。彼と彼女は一瞬の出会いで体験したゲームの公正さを大人になって実現しようとする。 

ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

 

面白い小説でした。舞台はカンボジア、時代はポル・ポト率いる共産主義勢力のクメール・ルージュが勃興する時代、そして後半はサイエンス・フィクション。こんなお話が面白くないわけがない。

カンボジア共産主義政権が成立する前からお話は始まって、ソリヤという女の子とムイタックという男の子が登場します。ソリヤは人の嘘が見抜ぬける能力を持ち、ムイタックは辺境の村にいて高い教育を受けていないにも関わらず大人顔負けの洞察力を持つ知恵者の少年です。
その二人が、クメール・ルージュが政権を奪取する前夜に出会い、カードゲームで対戦します。今まで誰とゲームをしても勝負にならないくらい優秀だった二人が、強い相手に出会いゲームに魅了され、その楽しみを知る。そして混乱の時代を経て、ソリヤは公正なルールの下で国政が運営されることを目指して政治家になり、ムイタックは科学者になって、やがてまた二人が関わり始める、というお話です。

とにかく上巻が素晴らしく面白い。カンボジアの暗黒の時代に翻弄される少年と少女、そして土を食べて土と会話する男や輪ゴムで人の死生を占う男などが登場して、近代の歴史とファンタジーが入り混じる独特な雰囲気があります。
クメール・ルージュの時代のカンボジアにはとても興味があって、近代における間違った為政の代表的なものだと思います。
そのようなものでよく取り上げられるのはナチス・ドイツですが、スターリン時代のソ連や、中国の毛沢東による文化大革命の時代も負けず劣らず恐ろしいもので、その最たるものとしてカンボジアクメール・ルージュが上げられると思います。ヨーロッパで起こった事が広範に取り上げられるのは仕方ないとは思いますが、カンボジアこそ人間のおかした悪政の象徴ではないかと思っていて、その時代と場所を描ききった上巻のストーリーは息をつく暇もないほどのスピード感でした。傑作。

複製された男

2014年、カナダ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。

歴史を教える平凡な教師の男が自分と瓜二つの俳優を見つけてしまう。教師の男には恋人がいる。俳優には妊娠中の妻がいる。俳優は教師の男の恋人を抱かせろと迫る。

www.youtube.comよく分からない映画だった。タイトルからてっきりSF映画だと思っていた。その映像がウルトラセブンの『第三惑星の恐怖』のような不穏なムードを醸し出していて、結末はどうなるのだろうと思って見ていたけれど結局わけが分からなかった。

ネットで色んな感想文や解説を読むと、この映画は男の浮気願望みたいな話であるということらしい。まったくもってがっかりした。生真面目な男と奔放な男の二人が居たわけではなく、一人の男の中にそういう人格があったということらしい。妻がいるけれど不倫願望があるという男の二面性を描いたものらしい。がっかりだ。

不倫というものにまったく共感することができない。理由は分かっていて、俺の従姉妹は旦那の不倫を苦にして自殺したのだ。だから不倫を仕方のないものだとか愛だとか恋だとか言って擁護する気持ちに全くなれない。
自由で奔放な人間に憧れはするけれどこの点だけは許容できない。だって確実に身近な人間を傷つけるから。恋愛というものは電撃的なもので自分を抑えきれないものだと言う人もいるけれどそんな物言いで不倫を美化して欲しくない。

薬物中毒やアルコール中毒のような自分を制御できない人間の弱さには共感するところがあるけれど、不倫はノン。だって要は性欲でしょ? 性欲も人によって大小はあると思いますよ。制御できないほどの過多な性欲を抱えている人もいるんでしょうよ。でもノン。オナニーすればいいやん。自分で解決できるやん。オナってシコってカラカラになっても愛とか恋とか言えるのなら言えばいいよ。でも不倫はノン。

お盆の間に読んだり見たりしたもの

K氏の大阪弁ブンガク論/江弘毅 著
大阪弁を駆使する作家たちの著作を取り上げ論じる本。

K氏の大阪弁ブンガク論

K氏の大阪弁ブンガク論

 

 取り上げられている作家や書籍には関心を持った。著者のブンガク論が何なのかはよく分からなかった。


さらば、政治よ 旅の仲間へ/渡辺京二 著
歴史家である著者のエッセイ、インタビュー他をまとめた本。 

さらば、政治よ: 旅の仲間へ

さらば、政治よ: 旅の仲間へ

 

 著者は80歳を過ぎたということで老成するとはこういうことなのか、と思いつつ頁をめくった。元々こういう人なのかも知れないけど。


シリアルキラー展 大阪@海岸通りギャラリーCASO
連続殺人鬼たちが描いた絵画作品の展覧会。

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あまり何も感じなかった。会場は盛況でした。

 

ミッション・インポッシブル フォール・アウト

www.youtube.com長い。とても退屈な映画だった。



何を見てもあまり楽しいと思えない。気力が弱っていると思う。夏のせいだと思いたい。

ハン・ソロ

2018年、米国、ロン・ハワード監督

スターウォーズシリーズの主要登場人物であるハン・ソロの若き日を描く外伝もの。

www.youtube.com

あんまり楽しくなかった。なぜ楽しくないのかはよく分からない。
なんかね、ハン・ソロの映画なのに主人公の印象が薄いの。他のキャラクターの方に目がいってしまって。ランド・カルリシアンとかロボットのL3とかは良かった。格好良い。特にL3。チューバッカも活躍してた。だからなのか主人公の印象が薄い。

それに最初の列車強盗のシーンも良かった。アクション映画としてSF映画として迫力あった。でも全体を通しての印象はとても平坦。ずっと淡々と観てた。

もうスターウォーズに飽きてるのかも知れない。なんだか惰性で見続けてる感じがする。でも新しいのが上映されたらまた観に行くんだろうなあ。

独裁者のためのハンドブック/ブルース・ブエノ・デ・メスキータ&アラスター・スミス 著

独裁者は如何なる動機、如何なる方法で国を統治しようとするかを考察する書籍。 

独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

独裁者のためのハンドブック (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 本書は権力支持基盤理論と言われるものについて書かれた本で、その理論とは、訳者あとがきから引用すると

支配のありようを支配者とその権力の存立を左右する基盤となる人々との関係から解き明かそうとするものである。

とある。
独裁者に限らず、為政者という人たちがどのような人々から支持されて、どのような関係性を持っているかが数多の例をあげて解説されている。そしてそれは民主的に選ばれたリーダーにも共通している法則であるという。

端的にまとめてしまうと、独裁者というものは、その地位が長続きすることを望む。権力を長く行使したいと考え、そのように行動する。それには彼を支持する人が必要になる。本書では盟友集団という言葉が頻出するが、それは為政者の支持者のことで、独裁者にとっては彼の取り巻きの人々になり、独裁者の周りには少ない数の盟友がいて、彼らに富を分配することで独裁者は地位を保持している。軍部を握っている将軍や多数派の民族の族長のような人々に利益を供与することでその地位を保持している。
そして民主的に選挙で選ばれた為政者という者も盟友集団を持っていて、彼の支持者は選挙民であるから選挙民こそが盟友集団となる。そしてこの場合でも為政者は盟友集団に利益を供与する。それは選挙民から支持される政策を行うことで実現する。
小さな盟友集団を持つ独裁者は一部の取り巻きにだけ果実を与えておればその地位が確保できるので民衆の支持をとりつける必要がない。民衆から得た税収を取り巻きに供与することで権力は維持されるので圧制が敷かれ民衆は苦しむことになる。しかし、大きな盟友集団を持つ民主的に選挙された為政者は民衆の支持をとりつける必要があるので必然的に国民の為の政治を行うことになる。

というのが本書で書かれている一貫した理屈です。書き出してみると「そんなの知ってた」みたいな感じでもあるけれど、諸外国の事例を列挙して書かれた内容はとても興味深いものでした。

現在の日本の政治状況にあてはめて考えてみると、自民公明の連立政権というものは確かに民主的な選挙によって選ばれたものではあるけれど、彼らが通している法案というものは誰の為のものなのだろうかという疑念が拭い去れない。
本書で書かれている通り、為政者というものは支持基盤に何らかの「利」を与えなければその地位がおびやかされる。それならばカジノ法案は誰に「利」を与えるものなのだろう。残業代ゼロ法案と言われるような高度プロフェッショナル制度を内包した働き方改革関連法案で誰が「利」を得るのだろう。それらは大きな盟友集団である選挙民たちに向けられたものだろうか。どこかの小さな盟友集団だけに利益を提供するものなのではないだろうか。もしそうだとすれば、例え民主的な選挙で選ばれたとしてもその実態は小さな盟友集団を頼りに権力を維持し続けている独裁者の為政に近いことにならないだろうか。
大衆迎合主義といった民衆が喜ぶ政策だけが良い政治だとは思わないけれど、今の政治は誰の為に行われているのだろう。

そんなことを考えました。