LA LA LAND

2017年、米国、デミアン・チャゼル監督作
女優の卵とジャズクラブを持つことを夢見る売れないピアニストの男、二人は出会い励ましあい、それぞれの夢に向かって突き進む、ミュージカル作品。

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冒頭、渋滞のハイウェイからドライバーたちが飛び出してきて歌い踊るシーンでもう楽しい。ハイウェイの向こうの方、渋滞の最前列の人まで踊ってる。凄い。CGかも知れないけど、これだけでもうテンションが上がる。最高。
その踊る群衆の中で、黄色いワンピースの女が両手を広げて背中を見せる場面があるんだけど、その背中が良いんですよね。肩甲骨が浮き出たような痩せた背中じゃない。肉体的に充実した背中。健全な筋肉とか見せられたら高揚するじゃないですか。シュワルツネガーの映画なんてそのテーマの9割方は筋肉なんだから。後の一割が未来からの殺人ロボットだったり異星人だったりするだけでしょ。

もうエマ・ストーンが可愛くて仕方ない。知らない女優さんだったので、映画の最初に見た時は目と黒目が大きい人だなあ、くらいの感想だったのが、どんどん可愛くなる。エマ・ストーン頑張れ!って気持ちになる。愛らしくて堪らない。そして最後には貫禄のある姿まで見せるという凄さ。

対する男優であるライアン・ゴズリングはなんだかぼーっとした男という印象なんだけど、これは意味があるんじゃないでしょうか。

映画の鑑賞前に、ツイッターで「『LA LA LAND』は『Streets Of Fire』」みたいなつぶやきを見掛けて

 (たぶんこの方)


「へー、そうなん?でもどこにそんな要素あんの?」って思ってた。映画を観た後は本当にそう思う。この映画は『ストリート・オブ・ファイアー』なんです。

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『ストリート・オブ・ファイアー』は1984年作の米国、ウォルター・ヒル監督作。
女性歌手が故郷である街に凱旋公演にやって来たが、隣町の暴走族にさらわれてしまう。そこで彼女の昔の恋人だった男を呼び寄せて彼女の奪還を依頼するというお話です。
ダイアン・レイン演じるロックンロールの歌姫を助け出すのは、かつては札付きのワルだった元恋人マイケル・パレ。超絶的に単純なストーリーで一切の装飾がなく、またライ・クーダーの音楽が随所に埋め込まれてミュージカル映画の要素さえある。物語は男が才能のある女を助け出し、そして彼女の邪魔にならないようにそっと去って行くという結末なのですが、それが『LA LA LAND』と酷似している。

ライアン・ゴズリングエマ・ストーンを励まして独り芝居を勧めて応援する。そして大きな役のオーディションがあることを報せ、彼女をその気にさせるのもゴズリング。これは才能のある女を助け出すという『ストリート・オブ・ファイアー』のマイケル・パレの役割と一緒。そして静かに離れていくところも同じ。
マイケル・パレもあの映画では悪行に関して頭がきれるだけで、自分で「俺は君に見合う男じゃない」的なことを言って去って行くちょっとした駄目人間だった。そこら辺はマイケル・パレの素が醸し出してたのかも知れないけれど、『LA LA LAND』でのライアン・ゴズリングがあまりキリッとした表情を見せないで切れ者じゃない風を装っているのも同じじゃないだろか。ボンクラ男が才能のある女を助けて静かに去って行く。そこにあるボンクラの美学が素晴らしい映画だと思います。

『ストリート・オブ・ファイア』では彼と彼女の馴れ初めは軽く描いて、その奪還戦に焦点をあてて描いていて男と女がその後どうなったかは描かれていない。
対して『LA LA LAND』ではエマ・ストーンとゴズリングの出会いから仲が良かった日々、そして再会を描いていて、どうやって分かれたのかは軽くしか描かれていない。パズルのピースの凹と凸のように『ストリート・オブ・ファイア』で描かれなかった部分が『LA LA LAND』では描かれていて、もの凄く綺麗に当て嵌まる。
『LA LA LAND』は『ストリート・オブ・ファイア』を補完する物語だと言ってもいいのではないかと思う。

駄目人間のことでいうと、だって才能ある男と才能ある女の話なんか見たい?ちょっと駄目人間要素がある主人公の方が愛らしいでしょう。そう思うと劇中で赤いジャンパーを着てショルキー(ショルダーキーボード)を抱えているゴズリングのダサさにも納得がいく。実は有能なピアニスト、なんて設定だけじゃ好きになれない。格好悪い面もないと。というか格好悪い部分こそが好きなんだけど。俺たちはみんな映画俳優や女優のように格好良くない存在なんだから、格好悪さを愛さないと。じゃないと自己否定が延々と続くことになるでしょう。格好悪い自分を肯定する意味でも格好悪さを愛すべきだ。ショルキーのダサさは2周半くらい反転して格好良い!

その他、夜の路上でドレスの裾を翻して女4人が踊る場面、夕暮れの駐車場で主人公の二人がタップを踏む場面、プラネタリウムで浮遊する二人等々、最高に幻想的で浮世の辛さを忘れさせてくれる映画でした。
ミュージカル映画なんて登場人物が突然歌って踊るんだからリアリティとは無縁でしょ。ファンタジーで良いはず。最高のファンタジーでした。サントラも買ったから。

アドルフ・ヴェルフリ@兵庫県立美術館

兵庫県立美術館で『アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国』という展覧会を観てきました。

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アドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)はアウトサイダー・アートの方です。アウトサイダー・アートというと精神病院の患者の作品が芸術的に価値を見いだされたところから始まっていて、彼もまた精神病院で作品を創作し続けた人でした。

その作品はとても奇怪で歪んだイメージが横溢していて、執拗で、意味が読み取れず、それでいて静かに激情が渦巻いているような作品でした。こんな感じの絵です。

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アウトサイダー・アートの作品を観ていると思うのは、絵画に意味を読みとるのは無意味なことだよなと思います。絵画の解説として、この作者は当時恋人と別れて失意にありその心象風景が作品に現れた、みたいな「意味」が添えられるけれど、それは大して重要なことじゃないのではないか。作家研究や美術史的な意味はあるけれど、その作品を観るのにその解説は必要ないんじゃないだろうか。ただそのイメージに圧倒されればそれで良いのだと思う。それこそが絵画の機能じゃないかと思う。

絵も情報の伝達手段だけれど、言葉にできないものを伝達しているわけで、そのイメージを受け取ればコミュニケーションは成立しているような気がする。言葉と違って正確な意味は伝達できないけれど溢れ出る作家の激情を感じ取ればそれで良いのではないだろうか。そしてそのイメージが常識に囚われた固い頭からでてきたものではないところにアウトサイダー・アートの魅力があるように思います。

美術館は階段が素敵な建物でした。

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こんな感じとか

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こんな感じ。

悪夢の迷宮っぽい。

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新しいNEWネオ室町/踊る!ディスコ室町

 

新しいNEWネオ室町

新しいNEWネオ室町

 

 踊る!ディスコ室町は京都のファンク・バンド。名前が印象的で気になってたので聴いてみました。
聴いてみて思うのはファンクってテクニカルな音楽だなあということ。ドラムやパーカッションといったリズムを奏でる楽器以外は音階を表現する為にあるけれども、ファンクではそれらが全て、刻んだり、止めたりすることでリズムを奏でる楽器になる。全ての楽器はリズムの為にある、って感じ。即興音楽などを除いて、普通は音楽を構成するのに、アンサンブルが成り立つには全ての楽器のリズムが合っていることが必要だけれど、それをリズム強化の面で推し進めた音楽がファンクなのだと感じる。ノーテクではできないですよね。

でもテクニカルな音楽に背を向けていたのですよね。パンクが好きで、パンクって初期衝動、若気の至り全開の音楽でしょう。それを音楽的に稚拙だなんて批判に対して「あほか」と思ってて、どんどんノーテクニックな方向が好きになった。ガレージパンクが好きになったのもそうだし、ノイズが好きになったのもこれこそノーテクニックの究極だと思ったから。今はパンクにもノイズにも技巧やセンスの巧拙はあるとは思うけど。
少し前にプログレが好きだという人に会って、俺ってホントあーゆー技巧の必要な音楽に背を向けてきて損してたなあと反省したのです。

本作はそんなファンクの気持ち良さが味わえる作品。テクニック云々なんて考えなくても体が動けばいいんですよね。考えるな感じるんだ!って感じ。ライブに行きたい。

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あなたを待っています

2016年、日本、いまおかしんじ監督作
アルバイトをしながらだらだら暮らす青年、西岡は地震原発で東京は危険だと考えていて脱出を夢見ながらだらだら過ごしている。

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https://www.mmjp.or.jp/pole2/2016/anatawomatteimasu/anatawomatteimasu.html

漫画家いましろたかしの企画・原案ということでいましろファンは、のこのこ京都まで映画を観に行ったのです。

主人公は何をしている人なのか分からない。冒頭で何かそれらしい会話があったけど聞き取れなかった。居酒屋の皿洗いと交通警備のバイトで暮らしている人だが、何もしていない人という形容が良かろうかと思う。ただ友人と酒を飲んで吐いてずるずると毎日暮らしている。
話の本筋は、駅前で「あなたを待っています」と書いた紙を首からぶら下げた女と、彼女の助けになりたいと思う主人公の話ではあるが、それはどうでもいい。それよりもスナックのママにヤらせてくれと言って説教される場面の方が愛おしい。

たぶん恐らくもしかして、そういうどうしようもない感じの可笑しさを表現したかった映画なのだと思う。いましろ漫画にあるような、どうでもいい何てことのない無駄と言えば無駄な、でもそこはかとなく可笑しい、そんな雰囲気の漂う映画を作ろうとしていたのではないかと思う。そしてそれは成功の一歩手前まで辿り着いているような気がする。

しかし主人公が女を助けようとする辺りから彼に意志が見え始める。ただぐずぐず暮らしていた男が何かを成し遂げようとするところに目的が現れる。そうするとずるずる暮らしていることが否定的に見え始める。目的や意志はぐだぐだとは相性が悪いのだ。

いましろ氏によると

 『タクシードライバー』が元ネタで、かわいそうな女の人を勝手に助けたら自分が気持ちよくなるかなって」と

大橋裕之が主演映画で「ギャラもらってない」と、いましろたかしら制作陣にぼやく - コミックナタリー

 らしい。確かにいましろ版タクシードライバーと言える。トラヴィスと違うのはベトナム帰りじゃないってことぐらいだ。

面白かったかと聞かれればそんなに面白いとは思わなかった。でももっと面白くできるはず。いましろ映画の次作に期待します。

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この世界の在り方@芦屋市立美術博物館

芦屋市立美術博物館で『この世界の在り方』という展覧会を観てきました。

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あまり内容を知らずに観に行ったのですが、現代美術というやつですね。
1Fホールには床一面に同心円状に並べられた黄色い貝が並べられていて「なんじゃこれは」と思ったらそれも作品なのだそうです。他にも真っ暗の展示室で物音と抽象的な映像が流れる展示やガラスに落ちる雨粒の様子が延々と流れる映像作品など「なんじゃこれは」の連続でした。

現代美術が好きってわけでもないのですが、わけの分からんものは好きです。美術に詳しい人からすればそこに意味や技巧を読みとれるのかも知れないけれど、そういうのは素人には分からない。しかし作品を見てなんだか心地良い、なぜだか面白いと思えるものもあって、それは作者が巧妙に感性に訴えかけるように作り上げているということなのでしょう。美術作品を見るのに知識はあった方が良いだろうけど、感受性だけで判断するのもありだと思ってるので。

それとわけの分からなさというのは言語化できないってことなので、何も感じていないわけじゃない。意味は読みとれないけれど、何かしらの不思議な感覚は心の中に湧き起こってる。言葉で表現できるなら文章で表現すればいいのであって、文章では伝えられない情感を伝えることに文章以外の表現は意味がある。楽しいでも美しいでも心地良いでもない何かしらの感覚が湧きおこればそれで作品の存在価値はある。その感覚が好きかどうかは別の話だけど。無意味でも良いものはある。

一番面白いと思ったのは、A4くらいの紙にただ文章が書いてあるだけの展示でした。手書きの日本語で、なんてことない文章なのだけど、文章を考えた人と字を書いた人は違うということが書いてあります。手書きって文章と共にその文字を見て書いた人柄を想像するんですよね。でも文章が示す意味から連想する人柄とその文字が表す人柄は違うということが分かるだけで奇妙な違和感がありました。なんでこんなこと考えるんでしょうね。でもその変な感じが面白いです。

 

 

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