路地裏の資本主義/平川克美 著

資本主義にまつわる、実際の小企業経営者としての著者の考察。

 面白い論考がある本でした。ひとつ取り上げると
エマニュエル・トッドの『世界の多様性』という本に世界の家族形態の分類というものがあって、外婚制共同体家族といわれる類型があります。これは

“独裁的な権威者(父親)のもとに、権利上平等な何組もの兄弟夫婦が同居する大家族を作っていました。そして、理由は明確ではないのですが、自集団内での婚姻は禁じていました。このような家族形態は外婚制共同体家族という家族類型の範疇に入ります。”

“この家族形態を持つ国は、ロシア、中国、ベトナム、旧ユーゴスラビアキューバハンガリーといった国々です。”

これらの国々は奇しくも社会主義化した国々で、そのことから家族の形が社会制度の形に影響を与えている、と説くと共に、日本の家父長制というものが日本の会社の形とあまりにも似通っていると指摘しています。確かに、会社というものを家族と捉える見方はあって、本書でも

“社長は父親であり、社員はその子供であり、会社とは家族であるという価値観です。親は子供に絶対的権力を行使する代わりに、子供を扶養する義務を負います。”

と書かれています。そして、なぜその家族形態が採用されたのかは、野生動物の例えをひいて

“動物たちは、自然界の中で生き延びる確率の高い家族形態を選択してきたのであり、それがうまくいかない場合には絶滅していきました。おそらくは、人もまた生物学上の生存戦略として独自の家族形態を営んでいると考えられます。”

と記されています。人間の集団から慣習が生まれ、慣習が文化になり、あらゆるところに影響があると思ってるので、色んなところにパズルのピースが嵌まるような感じで成程と大いに納得しました。
そう考えると、現代の家族が核家族化から父権が弱くなって母子の発言権が増していることや、色んな事情で家族の中でのつながりが旧来よりも弱くなっているという変化は、現代における独立、起業が奨励されたり、会社組織というものに不満や鬱屈が噴出していることに現れていて、旧来の家父長的制度の会社と現代の家族制度で暮らしてきた人々との間に齟齬が生じて来ているということなのかも知れないなと思いました。

もうひとつは、ちょっと異論があるんですが、著者は先の流れから、人間が生物として家制度を形作り、それが社会制度にも影響を与えている、しかしグローバル資本主義というものは生物としての人間の本能に背くものではないか、と唱えておられます。
これについてはちょっと異論があります。
人間社会において社会を大きく変えてきたのは間違いなく技術でした。土器、鉄器の発明から、乗り物が発明され長距離を移動できるようになり、生産が機械化され物資が豊かになり、インターネットが普及して情報が国境をまたいで流通するようになりました。その度に社会は大きく変わり、今も変化の途上です。
資本主義のグローバル化というものについて言えば、ネットの普及により通信が飛躍的に発展して情報の流通が便利になったことは要因のひとつとして確実にあると思います。国外との情報のやりとりが簡便にならなければグローバル化は起こり得なかったのではないでしょうか。
そして、それらの技術的発展は人間が希求したものが発明され普及したものであって、人間の本能が創り出したものだと言っていいと思います。
つまり、人間の本能が欲したものによってグローバル資本主義が生まれているといっていいと思います。
高濃度と低濃度の液体の隔壁に導通できる穴ができれば濃度は均質化する方向へ向かいます。これと同じことが起こっているのではないでしょうか。

最期の例えは物理的なことで、人間のしでかすこととは関係ないようですが、人間も自然法則に従って生きているのであって、人間の考えることなんて所詮は脳内での化学反応の結果です。そのことは薬で簡単に気分が変えられることからも自明なことだと思います。

 

著者は内田樹センセイのお友達ですよね?語り口が似てるなーと思いました